コレクション展「旅」第2部「異郷へ 写真家たちのセンチメンタル・ジャーニー」

旅に出るときは必ずカメラを持っていく。旅と写真の結びつきは古い。
この写真展は、70〜80年代に発表された写真家たちの旅の作品をあつめている。
国鉄の「ディスカバー ジャパン」というキャンペーンが行なわれたのは、1970年だそうだ。コンセプトは「日本を発見し、自分自身を再発見する」だったそうだ。
しかし、皮肉なことに、そのころから日本の地方がだんだん特色を失い均質化されていったのが、この写真展を見ると切実に感じられる。農家には農家の暮らしが、川漁師には川漁師の暮らしがあり、誰もが自分たちの暮らしを信じて、はっきりとした表情をしている。
このころから推し進められた土建屋行政によって、この人たちの暮らしは破壊されたといえるのではないか。川漁師という暮らしから未来を奪い、子供たちはサラリーマンにならざるをえなくしてしまったのではないか。
こないだの「朝まで生テレビ」で雨宮処凛の「普通の働き方」という言葉が引っかかっている。
本来、「普通の働き方」なんてないはずではないのか。仕事の目的や内容によって働き方は変わるのが当然だ。
「普通の働き方」という幻想は、日本国民の総サラリーマン化現象が生んだものにすぎないと思う。
私には地方の多様性を奪い、均質化を推し進めてきたこと(それはたぶんに政治家の得票目当てに行なわれたことだった)が、今、「格差」といわれているものの元凶だと思える。均質なものの中でなければ「差」は生まれない。多様なものは差を比較しようがない。
本来、多様な地方の暮らしに対応する細やかな政策が行なわれるべきだった。実際に行なわれたのは、中央の官僚による生活様式の押し付けで、その規格にはずれる生活は不可能になってしまった。そのことが地方の暮らしを貧しくしてしまった。