ビュッフェとアナベル 愛と美の軌跡

今年はベルナール・ビュッフェの十回忌ということもあり、ビュッフェの絵がまた注目されているのであればうれしい。
横浜そごう美術館では、「ビュッフェとアナベル 愛と美の軌跡」と題した展覧会が開かれている。
三島にあるベルナール・ビュッフェ美術館に最後に訪れたビュッフェは、自らのキュレーションによる展覧会を発案し、二千点を超す所蔵品のなかから、2日がかりで展示する作品を選び出した。このことは以前に書いた。
今日、展示されていた彼の祖母の家を描いた絵もビュッフェ美術館の所蔵で、この絵を見たときビュッフェは「この絵はここにあったのですね」といったのだそうだ。
その言葉は、最後のキュレーション作業のときに出たものではなかったかと、私はふと思った。
画家にとって、自身の個人美術館があることは、きっと特別なことなのだろうと思う。多くの画家にとって、傑作といわれる絵であっても、普通、それがどこにあるのか分からないのだろう。
画壇に認められるきっかけとなった祖母の家の絵、貧しいころに描いた静物画、若いころを過ごしたアトリエの絵、そして、生涯の伴侶アナベルの絵。
最後のキュレーションのとき、一日は何も決まらず、美術館の職員をやきもきさせた。過去の絵を前にしてずっと何かつぶやいていたそうである。
闘牛士の絵のモデルになったのもアナベルだと知ってびっくりした。マタドールの衣裳をつけたアナベルの写真も展示されていた。
アナベルは、自分がモデルになった絵をみて、これは自分ではない、と思うこともあれば、全く自分がモデルになっていない絵に、これは自分だと確信することもあったそうだ。
言い換えれば、ビュッフェの絵のなかにアナベルは遍在する。そして、ビュッフェの死後、アナベルは、アナベルの絵にビュッフェを見出す。それは彼女の心を慰めた。
ビュッフェの絵は「戦後の不安と虚無」という言葉で語られることが多いが、世界が不安と虚無に満ちているのは今に始まったことではないし、わたしはむしろ彼の絵に、世界をもう一度愛するための力強い意思を感じる。
オットー・ディックスと同じく、ビュッフェの絵には生きている手触りがある。
直線にも個性が宿りうる。個性というものが持っている、失われることのない新鮮さに、ビュッフェの絵は気づかせてくれる。
摩天楼を描けた画家をビュッフェ以外に知らない。
そごう美術館にひとつだけ文句をいっておくと、照明がきつくあたりすぎている。絵の保護という点からも望ましくない気がするし、それに、照明が画面に反射してむしろ絵が見づらい。あれは何とかならないものだろうかと思った。