終戦記念日に読む2冊

佐藤優は、私の見るところ、出版界におけるかつての小林よしのりの地位を奪取した。
週刊プレイボーイに連載の「セカイを見破る読書術」、毎回楽しみにしているが、今回、「終戦記念日に読む2冊」には、ちょっと「?」と思うところがあった。

 あの戦争では日本国家と日本人を守るために多くの人々が命を捧げた。この人たちの犠牲の上に立って今日の日本の繁栄があることを忘れてはならない。評者は終戦記念日の前後に靖国神社を必ず参拝し、英霊に対して「どうもありがとうございます」と手を合わせている。

「?」は、二点ある。まず一点。
現在の日本が過去の日本人の犠牲の上に成り立っていることに何の異論もないが、戦争で犠牲になったのは兵士だけではない。むしろ、靖国神社に祀られている人たち「の」犠牲になった、靖国神社に祀られていない人たちもいるのだ。
A級戦犯合祀以降、昭和天皇靖国神社に参拝しなくなった経緯については、最近詳しく報じられた。
二点目の「?」は、上の「?」よりはるかに大きい。
戦争の犠牲になった人たちをどう追悼するかは、その人たちの思想信条によって決められるはずである。
靖国神社の信者は靖国神社におまいりすればいい。しかし、仏教徒仏教徒のやり方で、キリスト教徒はキリスト教徒のやり方で、無心論者は無心論者のやり方で、それぞれ追悼すればいいはずである。
私は、佐藤優キリスト教徒だと思っていた。
勘違いかもしれないが、もしそうだとすれば、戦没者を追悼するときにだけ靖国神社を参るのは、キリスト教にとっても、靖国神社にとっても、二重に冒涜ではないのだろうか。
このあたりが一般の日本人は平気なのかもしれない。
私は浄土真宗門徒として、そこはどうしても納得できない。ここは一般の日本人と私が違っている点なのかもしれない。