快晴。
だが、十月なので、あえて長袖を着て、こういうよい天気の日でないと、出かけようという気が起こらない、神奈川県立美術館の葉山別館にでかけた。
‘古賀春江の全貌’という展覧会が開かれている。
この人は、38歳で亡くなったそうだ。
こないだの稲垣仲静といい、速水御舟といい、有元利夫も、磯江毅も、まるで、老いに拒まれたかのように、早死にしている。佐伯祐三もそうだし。
なぜ彼らは老いることができなかったのか?と問うのは理不尽だろうか。それとも傲慢なのか。
そうかもしれない。でも、秋野不矩が90歳をすぎて描いた黒雲の絵のスケールの大きさとか、レオナール・フジタが晩年描いていた子供たちの絵とかを思いうかべると、夭逝した画家たちが、老いた後にどんな絵を描いたか、観てみたいと思ってしまう。
古賀春江の突然裁ちきられた画業の最後は、シュールレアリズムに分類される<海>や<窓外の化粧>が飾っている。
商業的なイメージを、油彩でモンタージュするこの手法は、この画家にすごくしっくりきていたと思う。
ときには‘カメレオン’と評されるほど、めまぐるしくスタイルを変化させてきた画家だけれど、ごく初期に故郷の風景を描いた<柳川風景>から、素人にも一見して共通しているとわかる特徴は、人工的なものと自然、都会的なものと昔からの暮らし、新しいものと古くからあるものの対比が生み出す面白さだ。
たとえば<将棋>という絵がある。
二人の洋服を着た男が、縁側のテーブルで将棋をさしている。一人の手には巻きたばこ。こういうモチーフを選ぶこと自体が、この画家が、新旧、あるいは、和洋の対比に反応することを如実に示している。
他にも、洗面器のおいてある窓とわらぶきの屋根とか、古い町並みを見下ろす坂のコンクリートの構造物とか、<中洲風景>の水に映るビル群や石造りの橋もそうだろう。
<美しき展覧会>などの時期、パウル・クレーに学んで、自分のものにしようとしていたそうだが、パウル・クレーとは資質が違ったのではないか。古賀春江には、パウル・クレーの音楽性がない。
パウル・クレーよりは、むしろ、ルネ・マグリットにずっと近い。
<手をあぶる女>などのマチスの影響を見ることができるころのものの方が面白いと思った。
古賀春江を惜しむ気持ちには、突然おわってしまったモダニズムの時代を惜しむ気持ちが、かなり混じっているのではないかなと自問した。
葉山の美術館のよいところは、美術展を見終わったあと、散歩道をとおって海辺におりられること。
十月だというのにまだたくさんの人が水遊びに興じていた。