根津美術館、拙宗等揚

knockeye2016-06-10

 まるで日記みたいな書き出しになるけれど、先週の日曜日は、朝がたうすら寒いし、天気予報は終日曇りがちというしで、ジャケットを着て出かけたが、なぜか、根津美術館の庭に出ているあいだは晴れて、汗をかいてしまった。半そで短パンで散策している外国人観光客に怪訝な顔をされた。
 根津美術館が外国人観光客に人気なのはわかりやすい。女性スタッフはみんな英語に堪能だし、中国の青銅器、日本の仏像、茶道具、そして、国宝級の美術品の展示がある上に、あの庭なので。

 原宿、表参道、渋谷、六本木の真ん中に、あんな庭があるギャップに萌えるのだろう。

 でも、インド人らしきサリー姿のおばさんは、つまんなそうだった。インド人にとっての庭のイメージはちょっと違うのかもしれない。「庭はどこ?」「ここが庭だよ」みたいな会話をしてたみたい。デカめの「藪」にしか見えないかも。
 考えてみれば、19世紀末から、西欧と日本はお互いの美意識を点検したり交換したりしてきた。なわけで、欧米の人は、「日本庭園」って認識パターンができてるかも。なんで、「これ、藪じゃね?」みたいな反応は新鮮。そうそう、藪なんだよ。都に背を向けて、藪に分け入った人たちの文化なんだよって感じ。
 一方では、国宝になっている、南宋時代の李安忠筆と伝えられる《鶉図》の前に釘付けになっているおじさんもいた。日本人なんだろうけど、もしかしたら中国の人なのかもと想いを巡らせてみたりもした。

 最近、美術館に外国人が増えて、不思議なもので、お茶道具とか、書の掛け軸とか、どんな風に観てるんだろうとか想像すると、自分も新鮮なものの見方ができるような気がする。逆に、聖ベロニカとか、ピエタとかが展示されていたりする上野なんかで、西洋の人とすれ違うと、自分が今、何を観ているのかっていう意識は強くなる。風通しが良くなるっていう実感がある。
 根津美術館では、今、雪舟が「拙宗」と名乗っていた若い頃の絵が展示されている。拙宗等揚筆《芦葉達磨図》があったけど、雪舟は中国に留学してるんだし、達磨はインド人だし、日本文化に限らず、どこの国の文化でも、そこから、外国の要素を排除していったら、何も残らないし、そもそもそんなことに何の意味があるの?。いま目の前にある雪舟とは似ても似つかない、グロテスクなものが出来上がるでしょう。
 愛国心なんて自己愛の偽装にすぎない。すべての愛国は利己心である。自己愛も利己心もかまわないけれど、それを正義のように語る欺瞞には付き合えない。
 わたしは、国を愛するくらいなら、西利の漬け物を愛したい。最近、東京駅近辺に行くと昼はあそこで食べる。白味噌のお汁がすごくおいしい。