『フリーソロ』観ました

 フリーソロとは、上の動画みたいに、命綱を使わず、単独で登るロッククライミングのこと。その第一人者が、上のアレックス・オノルドで、今までいろんな記録を塗り替えてきた。
 その彼が、今回は、ヨセミテ国立公園の未踏壁、975メートルのエル・カピタンに挑む。その挑戦に取材したのは、『MERU』を撮ったジミー・チン
 今回のジミー・チンは、監督、撮影なんだけど、『MERU』の時は、彼自身、コンラッド・アンカー、レナン・オズタークと、「サメの背ビレ」とも呼ばれる、ヒマラヤの未踏峰の初登頂を果たした。
 「MERU」の成功体験っていうのがあったと思う。あのとき、レナン・オズタークは、アタックの半年前に大けがを負ったにもかかわらず、それを押してあえて挑戦したっていうこともあったので、今回、アレックス・オノルドが足首を捻挫した状態で挑戦しようとしたことに、ジミー・チン自身は、ちょっと鈍感といえば、言葉がきつすぎると思うのだけれど、やはり、「MERU」のときの記憶が無意識にでも反映していたんだと思う。
 アレックス・オノルドが、ヤッパリこのひとすごいんだなって思ったのは、一回目のチャレンジのとき、途中まで登って、辞めて帰っちゃう。
 季節を考えると、それがその年のギリギリのリミットで、それを逃すとまた一年待たなければならない。だからこそ、捻挫を押して挑戦しようとしていたのだが、途中で、といってもかなり上ったところなんだが、「この足に命を預けられない」と、突然おもったのだそうだ。
 そのあと、ジミー・チンは涙ぐんでいた。無理を強いていたかもしれないという思いだろう。観客としての私でさえ、「MERU」のときのレナン・オズタークの印象が強すぎて、捻挫していてもたぶん成し遂げるんだろうと思い込んでいたのに気づいてハッとした。
 あのときのレナン・オズタークは、下手すれば、気圧差で脳の血管が破裂するかもしれないという状況で、あえて挑戦したのだった。そのときのジミー・チンは、カメラマンでもあるのだけれども、どちらかというと、彼自身が挑戦者だったので、挑戦を分かち合っている意識があったと思う。
 今回の撮影も、あの瞬間までは、その意識を持っていたと思う。被写体に入れ込んでしまう。山岳カメラマンは彼自身が登山家なので、命綱こそあるものの、カメラマンも危険を共有しているという思いはあったと思う。
 でも、フリーソロはやっぱりそれとは違う、その一段上の集中力を要求されるのだろう。一瞬、手が滑ったら死ぬのだ。だから、まずいと判断したら、空気を読まずに辞めて帰れるその意思がなければやっちゃいけないんだと思う。
 そのあと、アレックス・オノルドは、彼女と新居に引っ越して、家具を買ったりしてるから、これで辞めちゃうってオチかなと思った。そこまでのいろいろなチャレンジを映像で見てるから(落ちた人の映像もあった)、一観客としては、そういうアンタイクライマックスでも満足していいし、むしろ、ほっとするくらいなんだが、結局、やるんだね。
 成功するときってそういうものなのかもしれないが、快晴の空のした、びっくりするほどのスピードでするするとのぼっていってしまった。
 『MERU』もすごかったけど、これはまた全く違うし、おなじくジミー・チンが撮っていてもひとつひとつ違う写真なんだということを納得せざるえなかった。
 それともう一点は、アレックス・オノルドは、サンニという彼女と付き合い始めてから、今まで落ちたことがなかったのに、たてつづけに二度落ちている。捻挫もそのせいで、じっさい、別れるべきなんじゃないかと悩んだそうなのだ。
 そういう行き方もあったと思う。女と別れて山一筋って。でも、結局、それとは逆の方向に行った。彼女と暮らし始める。その辺のメンタルのセルフコントロールが、やっぱりただモノじゃないと思った。平気で普通に生きて偉業を達成するという。

 アレックス・オノルドの講演があったので。

 ついでに『MERU』の予告編も。