『モンテッソーリ 子どもの家』を観た

 若いとは言えない年齢で引きこもりに陥った。なんとか2~3年でそこから抜けだせたものの、そこからは自分の人生を生きているという気がしない。
 自己肯定感の薄い人生を生きてきた。引きこもりから抜け出せたといっても、人生を取り戻したわけではない。人生から逃れるために、引きこもりからも逃れたにすぎない。自分じゃない「フツー」のだれかのようにふるまって生きてみたにすぎなかった。
 もう恋するには遅すぎると思っていた。思い出してみると、引きこもりになる前からそう思い込んでいたきらいもある。
 そんなとき、ある人を見て、なんて美しいんだろうと思った。そう思って見つめていた。まずいことにその思いが伝わってしまった。心の底から後悔した。そんな立場じゃない。2度と会うまいと思っていたが、何か月もたって、たまたま再開したとき、その人は涙を浮かべて怒っていた。私は一言も、思いを伝えていない。それでも、フェアでないのは私の方だと思った。
 それで、その日のうちに小さな贈り物を買って、ふたたび彼女の働いているお店に向かった。きっと喜んでくれるはずだ。少なくとも慰めになるはずだ。そう思った。バスがその停留所を告げた。そのとき、自分の心の中に闇が湧いた。にぎわう街の明かりも透過しないまっくらな闇が、胸のあたりに充満していた。私は、降車ボタンを押さなかった。
 あの闇が私を支配しているのを「フツー」のふりをしている間に忘れていた。大学をあと2単位、一講義とれば卒業というところで辞めてしまったときは、自分でもなぜなのかわかっていなかった。そのとき両親はわたしに夢でもあるのだろうと思っていたのだろう。夢であれ、闇であれ、いずれにせよ、両親はわたしを観ようとしなかったと思う。私はあの人たちによく似ている。しかし、あの人たちのせいではない。私のせいなのだ。だからこそ救いようがない。
 そんなことをこの映画を見ながら思っていた。
 マリア・モンテッソーリってイタリアの女性が20世紀初頭に考案したモンテッソーリ教育は、Amazonジェフ・ベゾスGoogleの創設者のラリー・ペイジセルゲイ・ブリンWikipediaジミー・ウェールズ経営学者のピーター・ドラッカー(日本の水墨画のコレクターとしても知られている)、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクなどを輩出したそうだ。
 日本では将棋の藤井聡太さんがモンテッソーリ教育を受けたそうだ。
 映画を観た後、この面々を見るとすごく納得してしまう。いかにも自主性のある人たちだと思うのだけど、どうだろうか。
 この映画はフランス最古のモンテッソーリ学校の2歳半から6歳のクラスを2年3ヶ月にわたって撮影したドキュメンタリー。
 特長的なのは、大人が手を出さない。大きな声を出さない。褒美や罰を与えない。子供の集中を妨げない。
 子供たちが夢中で「おしごと」をしている。まるでシジフォスの神話のように無駄なことの繰り返しに見える。だが、子供たちはそれに熱中している。これにもし大人たちが手を出して代わりにやってしまったら、子供たちが自尊心をなくし、自己肯定感を失うのは間違いないだろう。発作的な怒りの種を心にため込むだろう。そう思ってみていた。
 泣きたくなる。しかし、もう泣くこともできない。泣く意味もない。


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