『MEN 同じ顔の男たち』ネタバレ

『MEN 同じ顔の男たち』

 アレックス・ガーランド監督って人は独特の世界観で、監督デビュー作の『エクス・マキナ』は優品だった。アリシア・ヴィキャンダルもあれが一番印象的だったのではないか。というのは、本当に作り物みたいに綺麗なので。『トゥームレイダー』にはちょっと華奢すぎたと思う。
 『MEN』もユニークな映画。あらすじだけ言っても何も伝わらないんだけど、旦那を亡くしたばかりの女性が、田舎で休暇を過ごそうとするが、そこで不思議な体験をする。
 ラストシーンが不穏でよかった。何が何かわからなくて胸が騒ぐ感じ。どこか後ろめたく、露わにされたくない気持ち。配偶者の自殺(あるいは、もしかしたら事故)が罪悪感を抱かせるとしたら、その罪悪感の正体って何だろうかって話。
 タイトルが示すとおり、主人公が訪れた村の男たちはみんな同じ顔をしている。つかこうへいのたしか『寝取られ宗介』だったと思うけど『蒲田行進曲』かも。主人公が旦那の実家に帰ったら親戚がみんな旦那とおんなじ顔をしていたってのがあった。
 都会で見ていると個性に感じられたことが、実は、集団の属性にすぎなかったって知らされる、それがなぜゾッとするのか、うっかり口にすると差別表現になりそう。
 教会の神父に相談するシーンは、そのあたり示唆的で、田舎の教会の神父って、イメージだと酸いも甘いも噛み分けた含蓄のある答えをしてくれそうじゃないですか?。ところが、この同じ顔した神父は、Yahooコメントにありそうなうすっぺらな正義感で、傷口に塩をむりこぬようなことを言う。
 美しい田舎の風景にまぎれこんでいる同じ顔の男たちは、確かに怖いんだけど、むしろ不快と言った方が正しい気がする。現に、彼らが超自然的な姿(このCGはすごい)をあらわす段階になると、主人公はもう怖れなくなっている。
 この不快感は虫の不快感に似ている。気持ち悪いムシ。だから、そこで終わっちゃうと、「何だかな」ってかんじだったかもしれない。
 だから、ラストはうまいと思った。それまで事あるごとにスカイプか何かネットでチャットしていた女友達が心配して駆けつけてくれる。その彼女が臨月近いお腹をしているのがそこで初めてわかる。何故かうげっとなる。
 田舎の自然は美しいけれど、同時に私たち自身も生命に引き戻される。種に引き戻される。都会で成功しているらしいこの女性が、他の性、他の社会に直面するとき、露わになるのが弱さではなく、断絶であるところが面白い。最後には結局、主人公が勝ってしまう。しかし、その勝利にはさして意味がない。変なムシを叩き潰したってだけなのである。
 彼女は彼女自身の内面の弱さに打ち勝ったわけでもない。友人が訪ねてきた朝に、ちゃんと血の痕が残っている。彼女の内面のドラマではないのだ。
 彼女は得体の知れない「MEN」には打ち勝ったけれど、しかも容易く打ち勝ったのだけれども、それでは変わらない。何が変わらないかと言えば、そこに彼女自身も所属する社会が変わらない。そして、その社会を再生産していく装置としてしか(そんな発言をした政治家がいた)女が役割を与えられていない、古い社会を変えていくビジョンも持てない。その無力感がラストに現れている。
 ホラーと見せつつ、途中で怖くなくなって、それよりも遥かに深刻な気分に落ち込む。アレックス・ガーランド監督はかなりユニークな作家らしい。


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