オードリー若林と山里亮太の『さよなら たりないふたり』については前に書いた。オードリーも南海キャンディーズも正統の漫才とは少し違う。そのせいもあってか、この『たりないふたり』のユニットでは2人とも自分たちのオリジナルのユニットではやれない漫才を楽しんでる感じがあった。
それから半年。こんど『たりないふたり』の新たなバージョンを収録したのだそうだけれど、オードリーのオールナイトニッポンで若林さんが山里さんにちょっとキレてた。そのキレ方がちょっと私にはわかりにくかったのだけれど、「10年やってるのにまだ家族とみとめてくれてないのか」ということだったと思う。
これを受けて、次の週の山里亮太の不毛な議論では、こちらの方が私にはわかりやすかったのだけれど、家族というよりライバルという気持ちでいるということだった。
漫才師といえば、やすきよなんかがそのいちばん典型なんだとおもう、最後までコンビでお互いをライバル視していたし、「たりないふたり」のユニットは、どちらかというとそういうタイプなのかなと思っていた。オードリー、南海キャンディーズ、たりないふたり、と並べると、たりないふたりのコンビ関係は、家族というよりライバルなのが、いきさつから考えても自然に思える。
で、なぜ、「まだ家族じゃないのか」みたいな唐突なことを言い出したのかと考えてみると、まったくの邪推にすぎないけれども、最近、松本人志と番組MCを務めたことと何か関係がある気がする。
松本人志という人は、漫才師にとって、特別な存在なのである。だから、その人と同じ番組でMCを務めるってことは、オードリー若林にとっても、やはり画期的な何かだったはず。
で、松本人志と仕事をした後で、松本人志とおなじ吉本興業の山里亮太と仕事をすると、山里亮太の背景に、吉本興業という帰属が、今までよりも意識されてきたってことなんじゃないかと思った。
オードリーの所属するケイダッシュステージは、事実上、オードリーがトップみたいなものなので、漫才師の先輩と言える人がいるかどうかわからない。それに比べて、吉本興業は、エンタツ・アチャコからの歴史があるわけで、そういう感じ方をしてしまうと、そこに疎外感をかんじても不思議ではないという気がする。
ま、最初にことわったように、何の裏付けもないただの妄想に過ぎないけれども。
「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです」にペコパがでていた。ペコパとオードリーの関係は、前にも書いたけど、TAIGAさんとの関係から、ふわっとした兄弟弟子みたいなところもあっておもしろい。
小林信彦さんがどこかで書いていたと思うが、昔は、東京の芸人さんは、大阪に比べて、人間関係にまとまりがなかったそうだ。イベントをやろうとしても、まとまらず結局は話が流れてしまうというような。
いまはもちろんそんなことはなさそう。明石家さんまの存在が大きかったような気もするが、それにつづく、とんねるず、ダウンタウンと言った人たちが、古いしきたりを壊していったことは間違ないとおもう。
山里亮太のラジオにとんねるずの木梨憲武が乱入してきた。ハイヒールのリンゴねえさんと組んで漫才を始めるそうだ。「梨とリンゴ」というユニットだそうだ。