『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』盛大にネタバレ

 地下鉄サリン事件を知らない人のため書いておくと、1995年3月20日オウム真理教というカルト団体によって、東京の地下鉄車内に毒ガスのサリンが撒かれ、多くの死傷者を出した。あのとき死者が奇跡的に少なかったのは、松本サリン事件を経験したていた医師が、地下鉄サリン事件のTV中継をたまたま見ていて機転を利かせたからだった。そうでなければあの程度の被害で済むはずがなかった。
 この映画の監督のさかはらあつしは、この事件の直接の被害者で、今でも後遺症に苦しめられている。オウム真理教の後継団体アレフの広報部長の荒木浩は、この映画で見るかぎり、さかはらあつしと年も一歳違い、出身大学も同じく京都大学、そして出身地もほど近いところだったらしい。さかはらあつしは荒木浩を、いわば、地獄めぐりの旅に連れ出す。つまり、大学、故郷、かつての家、といったように。
 社会的な意味でのオウム真理教への評価はすでに着地していると思うがどうだろうか。いま、それを改めて告発する意味はさほどない。そこに価値を見出せるのはパパラッチ的ジャーナリズムを生業にするものだけだろう。さかはらあつし自身も時にその出自に戻って、そのような告発の態度を取る。しかし、彼を動かしている本質的な動機がそこにはないことは伝わる。「なぜ」という止むに止まれぬ問いが、この20年間彼の中で繰り返されてきたことが、荒木浩との対話の端々から感得される。
 さかはらあつしが、空海の『三教指帰』について荒木浩に尋ねる。なぜなら、『三教指帰』は空海が自身の出家について、なぜ儒教道教でなく仏教なのかを説いた、いわば空海の出家宣言の書なので、さかはらあつしは、空海の論理性が荒木浩自身の出家にあるのかを問うているわけ。
 荒木浩は「空海はその3つを比べその1つを選んだ。が、4つならどうなったか」と、少しはぐらかした答え方をする。
 それに対してさかはらあつしは「3つから1つを選ぶのと4つから1つを選ぶのとの違いは、1つから1つを選ぶのとの違いとは大きく違う」と反論する。
 つまり、地下鉄サリン事件のような未曾有のテロ事件を起こすオウム真理教をなぜあなたは選び続けるのか?。さらには、そもそもあなたが出家を選んだその判断は理性的だったか?、と問うているわけ。
 このさかはらあつしの問いは、カルトを離れようとしない荒木浩に対して決定的であるように思えた。それで、荒木浩がどう答えるのか固唾を飲んだ。  
 荒木浩は、こどものころサッカーをしていた彼の弟が「骨肉腫かもしれない」と診断された少年時代の思い出を語った。精密検査の結果次第では切断かもしれないと、両親と彼は知っていた。弟は何も知らない。結局、検査の結果、良性の炎症にすぎないとわかり、弟は回復し、家族の生活も旧に復したのだけれども、彼の中では何かがかわってしまっていた。
 3つ、4つ、5つ・・・と選択肢を増やしていって一体何になるのか?。それでは空海はなぜ天台ではなく密教を選んだのか?。選択肢がいくつあろうが最後の選択は結局、直観にすぎないはず。であれば、1つから1つを選んだ自分の出家も、3つから1つを選んだ空海の出家も何の変わりもないはずだと荒木浩は言いたいわけ。
 無常が迅速であり、選択が直観によらざるえない以上、いったん出家した後に、他にもっといいのがありそうだからやっぱ辞めたを繰り返す意味はない。それが師を選んで出家するということですと荒木浩は言う。
 この問答は見事だと思った。さかはらあつしが地下鉄サリン事件の被害者であることと、荒木浩が今でも麻原彰晃を師と仰いでいることの間には何の関係性もない。論理的には荒木浩の言う方が正しいと思う。
 さかはらあつしは、地下鉄サリン事件の被害者として、そのゆるぎない特権を持って荒木浩に迫るしかない。荒木浩は、地下鉄サリン事件を引き起こしたカルト団体の責任者として、被害者に、さかはらあつしに、謝罪するしかない。しかし、それはどこまでも社会的な立場、割り振られた役割としての責務であるにすぎない。それが虚しいと観じたからこその出家であるかぎり、それで荒木浩の心を動かすことは不可能だ。
 荒木浩は事件の後、一時期体調を崩して、実家で療養していたことがあるそうだ。さかはらあつしは「結局、出家といっても、最後は家族を頼りにするじゃないか。そういう人に資格があるのか?。」といった。この言葉はおそらくさかはらあつしが考えていたのと違う反応を荒木浩にもたらしたように見えた。「家族が大事だな」というふうに荒木浩の心が傾くと考えたのではないか。しかし、荒木浩はむしろ、そのころの自分の行動を愧じたように口を鎖ざしてしまった。
 荒木浩の両親は高槻に住んでいるそうだから、映画の冒頭で列車で訪ねてた山陰線の駅は、荒木浩が子供の頃すごしていた思い出の駅だったようだ。それを見ながら泣いていた。丹波の黒豆を食べながら「豆の味の中に残ってますね」と荒木浩自身、恩愛を断ち切れていないことを認めているが、それは出家の感慨に違いない。
 以前に、林羅山の書いた、大燈国師が出家したときの伝説を紹介した。
「妙超(大燈国師)弱齢にして法を顕密の家に問ふて心に快からず、すなはち元に入りて法を求めんと欲し、つひに博多に赴く。」在家の修行に限界を感じた大燈国師は、博多でたまたま元から帰国した僧に出会い出家を決意する。「ときに超妻子あり、恩愛の欲を絶たんがために妻をして酒を買はしめ、ひとり戸を鎖してその二歳の児を殺し、これを串にして炙る。妻還りてこれを見て怪しむに及んで、すははち炙れる児をくらって以て飲む、妻熟視して大いに叫喚して出づ。超もまた出づ。これすなはち紫野の大燈国師なり。」
 この伝説が事実かどうかはともかく、出家が恩愛を断つことを意味するとは、この伝説を伝えた庶民にとっても常識だったってことはわかる。おそらく儒教が徳川によって事実上国教化される以前は、親子関係が神聖化されてはいなかったろうと思われる。
 さかはらあつしは被害者の特権を行使して荒木浩に両親の家に泊まることを勧請する。荒木浩は迷った末これを受け入れるが、「今夜はご両親の家の布団で寝てくださいよ」というさかはらあつしに対して、持参した寝袋を無言で掲げる。
 先程書いたように、荒木浩にとっても恩愛は断ち切りがたい。しかし、近世以後のように、特に、明治以降のように、親子の情愛を絶対視するのは、それはそれでかなりいびつな価値観だと思う。それを突き詰めていくと、国民を天皇の赤子とする軍国主義国家へと突き進んでしまう。
 『大奥』のところで書いたように、明治維新がその思想として尊王攘夷という急進的なナショナリズムをしか持たなかったことは不幸だった。そのもたらした災禍はオウム真理教の比ではない。荒木浩のマインドコントロールがまだ解けていないと批判する一方で、いまだに靖国のマインドコントロールに囚われているものが政権の中央にいることに無関心なのは不気味としか言いようがない。
 アレフは信者の数を増やしているという。怪しむにたりない。未だに靖国に参拝する人より被害の膨大さを比べれば可愛いものだ。頑として靖国参拝を拒絶し続ける天皇家の態度がまっとうなのである。
 荒木浩は、実際の被害者であるさかはらあつしとその両親には謝罪した。というよりこの地獄めぐり自体が謝罪そのもののだと思う。しかし、マスコミに向かっては謝罪を拒否した。芸能人や企業がマスコミにする謝罪が体面上のものにすぎないことをおもえばこれは当然だろうと思う。そこで映画が終わっているのは残念に思った。マスコミの強制する謝罪に今の日本人は慣れすぎている。あの集団リンチに何か意味があると思っているなら、それこそマインドコントロールだと思う。
 しかし、思想的な対話がほとんど成立しない現代の日本にあってこの映画は奇跡的だった。この映画を成立させたさかはらあつし監督には惜しみない賞賛を贈りたい。

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