『ドライブ・マイ・カー』のソーニャとワーニャ

 濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』の映画内戯曲の「ワーニャ叔父さん」は、独特の演出がされている。多国籍の俳優が、各母国語でセリフを言い、その翻訳が字幕で背景に映し出される。
 つまり、俳優たちは各人の身体に覚え込ませた戯曲を演じなければならない。この演出で、俳優はチェーホフのテキストに肉体を提供するだけの存在となり、観客と俳優は、チェーホフのテキストに対して、平等に純粋に向かい合うことになる。
 原作にはない、このアイデアが、映画を非凡なものにしている。カンヌで脚本賞を獲るのもむべなるかななのだ。
 色々な言語が飛び交うなかでソーニャのセリフは手話なのである。この手話をワーニャ役の西島秀俊が目で追っているのが気になった。
 各俳優のセリフは、いわば独白にすぎないはずだと思う。俳優同士は互いのセリフを理解できないことが演出の前提だと思う。なので、ソーニャの手話をワーニャが目で追うのは間違いなんじゃなかったかなと思う。
 たしかに目で追わないと聞いていないことになる。ただ、そもそもテキストは俳優の体内にある。だから、あの手話のセリフも聞かなくてよかったと思った。