『ベルイマン島にて』

 イングマール・ベルイマンが暮らしたフォーレ島に、映画作家カップルがひと夏を過ごしに来た。
 ティム・ロスの演じる映画作家の方が、自身の映画の上映とトークショーに招かれた、そのついでに、ベルイマンの過ごした島で、お互い、書きかけの脚本を仕上げようとしている。
 ベルイマンの島、歳の差のある映画作家カップル、書きかけの脚本、という道具立てで、メタフィクションが展開する。劇中劇はヴィッキー・クリープスの演じる女性のシナリオの方で、その主人公をミア・ワシコウスカが演じている。
 女が男に、出来かけの構想を話すかたちで劇中劇が始まる。この導入が絶妙にうまいと思う。「1度目の出会いは早すぎ、2度目の出会いは遅すぎた」そういう男女の話なのだと、これはヴィッキー・クリープスのセリフで語られる。この映画の梗概を要約するとその一行で事足りる。それをどう見せるかが映画ですから、というミア・ハンセン=ラブ監督のしたたかな自信みたいなものを感じさせる。
 メタフィクションの外側と内側をつなぐメガネの青年、ハンプス・ノルダーソンの風貌もいい。アリスを不思議の国に誘うウサギ役として絶妙だと思う。
 映画のナレーションの役割は興味深く、この映画ではけっこう重要な心理をあっさりヴィッキー・クリープスの語りで済ませてしまう。凡庸な映画ならその心理のまわりでくどくどした描写を重ねてしまうと思う。どうしてこうなったか、言い訳のように必然性に縋りつこうとして。
 しかし、そうではなくて、その時何をしたかを描くことで、日常の裏側にひそんでいる何かを感得できる。これは言葉と映像で語ることができる映画の特徴だと思う。
 何を語ったかといえば何も語っていないような、あるいはこれ以上言えば野暮になるような、こういう映画は豊かであると感じる。
 「理論化できないことは物語れなければならない」と舟越桂が言ってたけど、その伝でいえば、物語れないものは映画化できるわけだ。
 ミア・ハンセン=ラブはオリビアアサイヤスとパートナーだそうで、そんな事実からこの映画を私小説的に捉えることもできるのだが、それはたぶん罠だと思う。そんなゴシップ的な興味で映画をつくるわけもない。それに引っかかる客ももちろん想定済みだろうけれど。

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