『SHE SAID』『パラレル・マザーズ』

 週末に『SHE SAID』と『パラレル・マザーズ』をみた。
 どちらも重いテーマをエンタメに昇華させた、満足感の高い映画だった。
 特に、『SHE SAID』の方は、エンドクレジットに「herself」と書かれている人が3人もいたのが感動的だった。特に、アシュレイ・ジャドは、かなり早い段階でハーヴェイ・ワインステインの行為を告発していたのに、その時はマスコミが取り合わず、逆に、そのために女優のキャリアを損なった経緯があるので、リベンジ感がハンパない。
 『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャリー・マリガンが主役のひとりのニューヨークタイムズの記者のミーガン・トゥーイーを演じているのも良いキャスティングだった。バディを組んでいるジョディ・カンターを演じるゾーイー・カザンとの組み合わせは、ルックスからも『大統領の陰謀』のロバート・レッドフォードダスティン・ホフマンを思い起こさせる。
 ちなみにこの2人、ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターはこの映画の主役だけでなく原作者でもある。
 引きの映像を多用しているのも効果的に思えた。心細さと無力感が伝わる。何の関わりもない赤の他人が、突然加害者になるかもしれない、それは、直接的な行動だけでなく、心ない投稿とか、愚にもつかないコメントとか、単に、悪意のある視線とかも含めて、そういう社会全体が孕んでいる暴力を、画面全体が感じさせる。
 つまり、主人公たちの努力やあがきに対して、社会全体がいかに無関心かが、映画全編の通奏低音としてずっと流れている。逆説的にそれが映画全体のドライブにもなっている。画面に加速感がある。
 ほぼ同じ背景を映画にした『スキャンダル』も観たけれど、あっちよりずっとタメが効いてる。そして、そのタメの分、同じことだけど、背景の重みが響いてくる。
 ハーヴェイ・ワインステインその人は姿を見せないのもうまい。ハーヴェイ・ワインステイン個人のセクハラの内容は、そうとう異常な感じがした。ただ、性的な嗜好は個人差があるので、その感じ方は人によって違うのかもしれない。なので、敢えて、ハーヴェイ・ワインステインの側に踏み込まなかったのは賢明だと思う。問題のありかがあいまいになっただろう。映画のなかでも言われてるから書いてもいいと思うが、いちばんの問題は、むしろ、加害者が守られて、被害者が傷つけられるシステムが存在していることだろうと思う。
 フェミニズム映画という意識はしないでいいと思う。そういう限定的な狭いレンジの映画ではない。そういう視野でしか見られない人は自己点検した方がいいと思う。
 プロデューサーがブラッド・ピットなのも面白いと思った。ブラピといえばロバート・レッドフォードの愛弟子の印象があり、その意味でも『大統領の陰謀』を思い出すから。

 

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 『パラレル・マザーズ』は、巨匠ペドロ・アルモドバル監督の新作。前作『ペイン・アンド・グローリー』が私小説的な映画であったのに対して、今回はスペインの痛切な歴史に踏み込んだ作品だった。
 プロットだけを聞くと、是枝裕和監督の『そして父になる』みたいなことなのかなと思うのだが、テーマは全く違って、奥行きが深い。
 小津安二郎監督の紀子三部作は、射程の長い反戦映画だと思っているのだけれど、これはそれと同じ意味で、フランコ独裁政権下のスペインを描いている。
 『SHE SAID』と似た手ざわりなのは、抱え込んでいる背景の広さだろう。私たちが何かを思っている、その背景には、そう思わせる社会的背景がある、この2つの映画はそういうところまで目が届いている。
 個としての私たちが社会と切り離して生きていけないかぎり、その社会の真実と正義は、私生活とは無関係ですとは、絶対にならない。
 その意味で、こういう映画を撮る事は、間違いなく作家の良心そのものなのである。フェミニズムとかリベラルとかそういうことは関係ない。


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