『茶飲友達』ややネタバレ

 この映画は、じわじわヒットしてきているらしい。個人的にはスター俳優が出ていない映画は大好き。このキャストの中で見知った顔は渡辺哲さんくらい。
 何よりも、私が知らないだけで、日本には腹のすわった女優がいっぱいいるんだなぁと感服させられる。
 実際の事件をもとにしているそうだ。高齢者同士を引き合わせる、おそらく売春斡旋として摘発されたってことになるのだろうか、映画を見ていて、心情的な意味からだけではなく、法的にも何が罪になるのかちょっとわかりにくかった。というのは、じゃあ世の中のデリヘル、ホテヘルはどうなるのかって話になるので。
 高齢者を嬢として、高齢者に斡旋した、そういう事件を題材にして映画を作ろうとした時に、ここまで社会的な広がりを持ったシナリオをものにできるのは、2013年の『燦燦ーさんさんー』以来、高齢者をテーマにした映画を撮り続けてきた外山文治監督ならではなのだろう。監督初の群像劇だそうだが、かなりな数の人物がいるにも関わらず、出入りが巧みでごたつくこともなく、どの人物も自然で、一人一人の背景にまで想いを馳せられる、厚みのある仕上がりになっていた。
 特に、高齢者の側だけでなく、この商売を運営している若者の側の人物は、こういう人ならこういう商売に惹きつけられるだろうと思わせられる、家族に欠落を感じている人たち。むしろ、そういう部分のない人の方が少数派なのかもしれないし、誰もが誰かに感情移入できるかもしれない。
 かなり昔、10年以上前かもしれない。カンブリア宮殿だったと思うが、若者の車離れみたいな話題から、村上龍が、いい車に乗りたい、いい女を抱きたい、いい家に住みたい、とかいろんな欲望のうちで、まあこれはいいかって具合に、いらないものを削ぎ落としていくと、最後に残るのは家族だろうと言っていたのが印象に残っている。
 それが今はすごく切実になって表面化している時代に見える。明治の中央集権化で地域社会が破壊され、さらに、戦後の高度成長下の核家族化で家族が崩壊した。そのどちらも、当時はその方が良いと思ったのだし、現に良い面もあった。
 だから、その良い面を享受した人たちも現にいるだろう。しかし、それを享受した側だったはずの元農水事務次官(当時76歳)が、引きこもりの長男(当時44歳)を手にかけて殺すなんて事件も起きる。
 ひとつ歯車が狂うと落ち着くところまで落ちてしまう社会。正解の幅がおそろしくせまい社会。まさしく主人公のマナが「正しいだけが全てじゃない」と訴える言葉が強い説得力を持っている社会で、しかもその正しさの背景には文化や宗教の裏付けがない。さっき書いた通り、せいぜい明治政府のの国家主義にすぎない。だとしたらそこに人間の顔はない。
 夏目漱石の『こころ』で帰省した主人公に対して、彼の兄が「先生」のことを「利己主義」だと評した時、主人公は「この人は利己主義の意味が分かってるのか」と訝るのだが、明治って時代をよく示している。浅薄な舶来のの倫理観。だが、まあ、右にならえで、国家の言いなりになってれば間違いないだろうってだけ。
 で、明治政府はそのまま破滅の道をひた走ったのは、今の私たちはよく知っているのだけれども、その時のままの浅薄な倫理観を振りまわすネトウヨって人たちが、モグラ叩きのように跡をたたないのは、結局、それに代わる倫理観や社会観を私たちが共有できていないからだろう。
 靖国日蓮主義という戦前のままの宗教的背景の持ち主が、結局は現在の政権も牛耳っているのは不気味でもあるし、当然の帰結でもある。靖国日蓮主義に社会を牛耳られているのが異常だと思わないほど、おそらく今の人たちは自分たちの社会に鈍感なのだろう。
 それからそれへと話が広がってしまったが、しかし、映画からずれてしまったって感じはしない。それくらい今の社会の現実の深いところまで錘を沈めている映画だった。
 特に、松子さん(源氏名・若葉さん)の人物造形は見事だった。『羊たちの沈黙』でクラリスが語る「羊たち」、子供の頃逃してあげようとして柵を開けたのに、動こうとしなかった羊たちに、人間の顔をつけたらまさにああなると思う。結局、万引きやめてないしね。
 でも、勾留中のマナに「面会です」となった時(誰の面会か明かさないのがうまい)、松子さんか、少なくともメンバーの誰かであってほしいと願う自分がいた。結局、あの「家族」にどっぷりハマっていたわけである。
 だが面会に来たのは。このネタバレをしたところで、この映画の鑑賞の興を削ぐことはないと思う。何といってもそこまでの群像劇が魅力なので。これがオチってわけではない。面会に来たのは、マナの母親だった。おまえ死にかけてたんじゃないのか?って思ったのは、観客だけじゃなくマナもだったと思う。観客にとっても、マナにとっても、いちばん来て欲しくない面会だったのではないか。あの時だけ母親のライティングが明るい。娘が捕まって生き生きとしているように見える。
 家族は一方でくびきでもある。サマセット・モームの『人間の絆』を読み終わった後、原題を見たら「Of Human Bondage」で、この「絆ってbondageなの?」ってわけがわからなくなったことがある。東日本大震災の時「絆」と言われるたびに、どうしてもこれを思い出さずにいられなかった。
 どういうわけか私が観た回に舞台挨拶があり、岬ミレホさんと鈴木武さんが登壇なさった。

茶飲友達 岬ミレホ 鈴木武

 この2人は映画の中ではハードボイルド担当で、やさぐれた感じが魅力的だった。こうして一部のキャストだけ取り出してみるとまた別の見え方をする、改めてよくできた群像劇だったなと思う。ワークショップみたいに、キャストごとにキャラクターを積み上げていったのではないかと思う。

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