泉屋博古館 東京「日本画の棲み家」

 根津美術館の後、泉屋博古館日本画の棲家」。コロナ禍が去って気ままに美術館のはしごができるようになった。
 根津美術館東武電鉄をつくった根津嘉一郎の創設だが、泉屋博古館は住友なので創業は江戸時代に遡る。元は大阪の商家なので、泉屋博古館の本館は京都。泉屋博古館東京はつい数年前まで分館を名乗っていた。
 なので、かどうか知らないが、やはりどちらかというと関西ゆかりの画家が多い。中でも、最近泉屋博古館が推しているらしく感じるのは木島櫻谷(このしまおうこく)。円山四条派の流れを受け継いでいるのは

木島櫻谷《雪中梅花》(片隻)
こういう屏風をみてもわかる。
木島櫻谷《秋野孤独鹿》
木島櫻谷《秋野孤鹿》

 どちらも大正7年の絵とは信じられないくらい。鈴木其一の絵と言われても疑わないかも。西洋絵画の影響をいちばん受けなかった日本画家なのかもしれない。
 その意味では、「日本画の棲家」という今回の展覧会の趣旨に似つかわしい。明治維新以降も京都の暮らしはあまり変わらなかったのではないか。京都の家々には、このような六曲一双の金屏風や掛け軸の居場所があり続けていたことだろう。
 「床の間芸術」という言葉が当時あったそうで、それは、旧態依然とマンネリ化した日本画に対する批判でもある一方では、展覧会に偏重する絵のあり方に対するアンチテーゼでもあった。
 今回の展覧会では、現代の作家に、「新しい床の間芸術」というテーマで作品を依頼している。

松平莉奈《ニュー・オランピア》
松平莉奈《ニュー・オランピア

 私はふだん人物画を描きますが、「人物画は家に飾りづらい」と言われることが時々あります。その理由は、目が合って落ち着かない、誰かに監視されているような気がする・・といったようなものです。多くの人は、プライベートな生活空間へ自分と関係ない他者の存在を招き入れ、その視線を感じることに、少しの戸感いをおぼえるのかもしれません。
 視線といえば、邪観という考え方を日本にはじめて紹介したのは南方熊楠だそうです。邪視は世界各地に古く伝わる民間伝派であり信仰の一つです。熊楠が「蛇に関する民俗と伝説」の中で引用する邪視の話で面白いものがあります。中国の広東省でかって、妊婦
とその夫が胎児とともに四つの眼を持つ邪視の能力者として恐れられたというものです。様々な恐れがないまぜになって生まれた考えかと想像されますが、見えない視線の力を信じる興味深い例です。
 もし、家の中で、絵が自分を対等に見つめ返してきたとしたら・・・
 私はこの状況を生み出す装置が床の間だったのではないかと考えます。襖、扁額、欄間などもそうです。これらは生活空間と地続きのようで、実は生活と精神的に切り離された時間や空間を創り出す仕組みです。床の間のある家の人たちはある意味で絵に見張られながら、緊張感の中で生活をしていたのではないでしょうか。これは、現代人のプライバシー重の生活空間が失ったものといえます。
 私たちはいつから絵を一方向的に見るだけのものと思うようになったのでしょうか。
さあ、目を開けてとくと絵を見てください。そして絵に見つめ返されてください。

 木島櫻谷の絵を鈴木其一に例えたけれども、無意識にも光琳宗達にまで遡るのはさすがに無理だと感じたのだと思う。鈴木其一はすでに幕末に踏み込み始めていて、絵が日本画の外へ開かれていく気配がある。というより当時、外部を意識せずにいられるはずはなかったと思う。特に、ありとあらゆる流派の技法に貪欲だった鈴木其一ならなおさらだったはず。
 鈴木其一の時代にはすでに絵のあり方が揺らぎ始めたいただろうと思う。というのは、琳派の正式な継承者として、鈴木其一も風神雷神図を描いているが、屏風ではなく襖絵なのだ。
 事情は知らないが、襖と屏風では意味が違うと感じる自分がいた、その無意識の中身を探っていくと、確かに、松平莉奈が書いていることに似ている、生活空間が、無意識にも、この世ならざるものとつながっていた、そういう生活のあり方が,すでに幕末には揺らいでいたのだろうと想像する。
 欄間があり、床の間があり、仏壇があり、台所があり、玄関があり、そういう全てが、生活の価値を支えていた、そういう時代が完全に損なわれた今だからこそ、逆に、そういった家の在り方が、無意識の底から浮き上がってくるのだろうと思われる。
 ホームステイに来た外国人が床の間に腰掛けているのをホームペアレントがたしなめた、なんていうエピソードが大昔にはあった。
 床の間に腰掛けるなんて信じられない、なんて感覚を、今の日本人もまだ共有しているのかどうか。
 前にも書いたことがあるけれど、「日本、家の列島」という展覧会が2017年にあった。これは、2014年から欧州各地を巡回した、日本に建てられている個人住宅の写真展なのだ。
 ユニークなデザインに着目した展覧会だったが、個人的に衝撃を受けたのは、その中に、高い壁で四囲を囲って周囲の環境をら完全に遮断しながら、かつてそこにあった祠の桜だけが見えるように、その一隅だけ壁を切り落としている住宅。
 こんな外界との断絶を意図した住宅が、家として存在しうる社会って果たして何なんだろうと薄ら寒かった。にもかかわらず、かつて、おそらくははるか有史以前からそこにあったかもしれない、コミュニティの象徴としての祠に咲く桜だけは見たいという悲しさが何とも言えない。しかも、その家のオーナーは当然その家を展覧会に紹介することを快諾したわけだから。そのにこやかな家族の雰囲気が、対位法的な痛ましさを感じさせていた。
 日本をふりかえるなら、この展覧会のように、日本人の生活史を見なければならないのに、江戸時代の国学者から連なる、「トンデモ日本史」を日本史だとしてしまっているのが、日本の右翼なんだろうと思われる。そこに保守と右翼がかけ離れる原因がある。
 近所のうどん屋がなくなるのが嫌だというのが保守だと亡くなった坪内祐三が言っていたかと思う。

渋沢星《WATER》
渋沢星《WATER》