福田美術館で木島櫻谷(このしまおうこく)の展覧会を観てきた。というか、三ヶ日で開けている美術館は珍しいか。
木島櫻谷は、夏目漱石に酷評されたことで知られている。現在のその知名度の差からして、今から振り返ると、この事件は重大すぎるように感じるが、如何に夏目漱石と言えども時代の制約から逃れないというだけに見える。今回展示されていないが、漱石が酷評した《寒月》はむしろ傑作に見える。
夏目漱石はイギリス留学時代にホンモノの西洋絵画に触れている。『坊っちゃん』の中で日本で初めてターナーを紹介したのでも有名な夏目漱石の目は、日本画のぶれていく感じを敏感に感じ取っていたんだろうと思う。
つまり、
こういう朦朧体の影響からくる松の葉の描き方は、今振り返るとバカバカしい。朦朧体とは何かとありていにいえば、技術の面からは、要するに、輪郭線を廃して色のグラデーションにしただけのことだ。
私の理解では、このばかばかしさにはほとんどの画家がすぐに気がついて、朦朧体は、当の横山大観も後年には控えめになったと思う。
この変化がたどりやすいのは小林古径で、大英博物館で、伝顧凱之《女史箴図》の模写に取り組んだときに、東洋の絵の線の美しさを確信した。
乱暴な言い方をすると、当時の日本画家たちより、今の私たちの方が日本画の美しさを知っているのかもしれない。もちろん、そんな乱暴な言い方ができるのも、当時の画家たちの苦労があってこそではある。
しかし、観て気持ち悪いものは気持ち悪いというしかない。それがいちばん端的に現れるのは、人の顔の表現。
夏目漱石が酷評したかどうかに関係なく、木島櫻谷は人の顔が下手だったみたい。
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《駅路之春》は「うまやじのはる」と読ませていた。ちなみに、福田美術館は原則的に全作品の撮影が許可されている。
なので、この方向に自分の絵を見出しつつあった木島櫻谷には漱石の酷評はこたえたかもしれない。
同時に展示されていた岡原大崋がおもしろかった。
この波と鶴はたぶん曾我蕭白を意識している。
この牡丹は沈南蘋だろう。
こんな具合に、今の私たちは情報にアクセスしやすい。これに対して、漱石の時代では、京都にいる木島櫻谷と東京の夏目漱石では、生きている世界が違った。たぶん、京都の木島櫻谷の方がはるかに日本画の造詣が深かったと思う。