吉朝の訃報

今月の9日早朝、わたしがちょうど「回復に向かいつつあるらしい」と書いたその日に吉朝

人間国宝桂米朝(80)の弟子で、落語家の桂吉朝さんが8日、心不全のために死去していたことが9日、分かった。まだ50歳の若さ…上方落語界の将来を担う逸材と期待されていた。同日、米朝大阪市内で会見。一門のホープを突然失い、「これからを楽しみにしていたので大変残念です」と、沈痛な表情で語った。
 吉朝さんの最後の高座は師匠の米朝とともに国立文楽劇場大阪市)で10月27日に行った「米朝吉朝の会」だった。このときのことを米朝は「40分くらいかけてしゃべっていたが、声の力は弱いなと思った。どうしてもやりたかったんやろうなあ」と寂しそうに振り返った。
 吉朝さんは、8日午後11時20分、心不全のため兵庫県尼崎市の病院で亡くなった。60代が旬と言われる落語家。あまりにも早すぎる。ファンは多く、米朝落語の継承者とも目されていた。その陰で、病魔と闘っていたのだった。
 1999年11月に胃がんの手術を受け、復帰。04年10月にがんが再発し、投薬治療をしていた。今年に入り経過は良好で、8月10日には大阪で落語と狂言の公演「お米とお豆腐」で復帰したが、9月25日に入院。それでも病室では、噺(はなし)のけいこを続けた。師弟共演は、ドクターストップも押し切っての出演だったという。
 師匠は「私の小型みたいなところがあった」と、“親子会”のパートナーにも抜てきし、実力を認めてきた。「しんどくて誰もやりたがらんようなネタや、廃れてしまいそうなネタをあえて取り上げ、それをお客さんに面白いと思わせる才覚があった。頼りにしてたんですけど」
 亡くなる前日の7日、米朝は病室へ見舞いに行った。帰り際、「また来るけど気長にやりな」と声を掛けると、弟子は手をつかんで「おおきに。ありがとうございます」と答えたという。
 「見舞いへのお礼か、これまでのお礼かよく分かりまへんが…。調子悪いとは聞いていたが、命にかかわることになっていたとは…」。会見で、米朝は何度も目を閉じ涙をこらえ、時折声を詰まらせた。
 葬儀・告別式は行わず、後日お別れの会を開くという。
米朝悲痛… 桂吉朝さん死去

こちらにいると上方のことはほとんど耳に入らない。けさ、実家から宅配の荷物が届いて、母と電話をしているついでに知ったような次第で。
米朝師匠は、枝雀、吉朝と二人の弟子を逆に見送ることになった。枝雀は駆け抜けていった気がして、こちらの哀しみが追いつかないが、吉朝は今がまさに盛りだっただけに残念でならない。早すぎる死を悼む。
吉朝はまだ死ぬべきではなかった。