藤田嗣治展

knockeye2006-04-16

東京国立近代美術館で開催中の藤田嗣治展を見てきた。ほんとはきのう行くつもりだったのだけれど、ちょっとトラブル処理で出勤した。
ベッドの中でうだうだしていると、『日曜美術館』が藤田嗣治の特集をやり始めたので、見てから行くことにした。そういえばゲストの立花隆が、藤田嗣治についていろいろ調べていると、少し前の週刊文春に書いていた。あの番組が今日であったわけだ。昨日展覧会に行って、今日番組を見られたらベストだったのだけれど。
東京国立近代美術館は、番組の効果かどうかは知らないけれど、なかなかの入りだった。お客さんのマナーはよかったようだ。不快な思いはしなかった。初めて訪ねたが、皇居のお堀の前にあり、昼飯を食う店もないくらいの場所だし、千鳥ヶ淵の桜もおおかた散ってしまっては、ついでに入って来る客がいないせいかもしれない。それとも雨と寒さのせいで、やはり客足が鈍かったのか。
エコール・ド・パリの画家の中で、藤田嗣治がどのような地位を占めていたのか分からずにいたが、もし、藤田嗣治がいなければ、パリはずいぶんさびしかったことだろう。「すばらしき乳白色」は、それがいかに人々を魅了したか、その一端をうかがい知ることができた。あのように美しい肌は見たことがない。乳白色の技法を藤田は墓場に持っていってしまった。いまだに解明されていないそうだ。
日曜美術館』のインタビューに村上隆が出ていて「海外で成功しちゃうといろいろ言われるんですよ、みんな嫉妬深いからねぇ。特に、藤田さんの場合は間に戦争を挟んじゃったから」と。日本画壇のせこいのは、米国の占領軍が何にも言って来ない先に、勝手に気を回していけにえを探したところ。藤田を人身御供にすることに決めたのはいいが、結局占領軍からは音沙汰がなかったというから、なかなか惨めな連中ではある。しかし、思い返してみて、日本人って結局そんな人たちであるとも思う。私たち日本人ってそんなやつらみたいですよ。違う?
1947年に描かれた「私の夢」については、尋ねられて「そんな夢を見ただけ」と答えたそうだが、寓意を読み取るよりも、夢としてみたほうが味わい深い。ユング派(?)としてはそう思う。
そして猫だが、藤田の猫は実に愛らしい。猫を飼ったことがある人はわかると思うが、猫とはああいう生き物である。藤田は女よりも猫のほうに親しみを覚えていたのではないかと思うほどだ。
常設展も覗いたが、日本画壇の醜聞を聞いた後とあっては、やや鼻じらむ。日本画にも洋画にも属さないオリジナリティーを確立した藤田嗣治はやはりたいしたものだったと思う。
別館、工芸館の入場券がおまけについてきたので足を伸ばした。陶磁器にテイストがないのだが、四谷シモン吉田良という人の球体関節人形があったため。イサム・ノグチの照明などもあったがうっかりしていると美術館の照明と思ってしまう。現に、イサム・ノグチの照明を照らしている美術館の照明も、作品かと思ってしばらく見てしまった。