カイユボット展

knockeye2013-10-25

 ブリジストン美術館でカイユボット展が開催中、12月29日まで。
 カイユボットの自画像はこんな感じですが、オトコマエ。

ゲイリー・オールドマンに似てます。

 しかも、おうちは、とりあえずお金のことは考えないでいられるくらいのお金持ちで、弟さんのマルシャルもアマチュアの音楽家だったそうだけれど、この人も音楽を生業にする気は毛頭なく、ふたりでつるんで気ままに暮らしていたそう。
 絵はこんな感じ。

 これは絵はがきなんで画質が粗いですけど、実際の絵はもっと質感がよく画面も大きい。
 手前のお皿は画家が見下ろした角度で描かれていて、‘パースが正しくない’ことになるだろうけど、この絵にこの皿を描こうとすれば、この角度になるしかない。写真でとることを考えれば、お皿の高さすれすれまでレンズの位置を下げなければならなくなり、そうすると食事をする角度としては全く不自然になる。だからこれは絵としては正しい。画家がこの午餐の家族のひとりとしてこの絵を描きたかったとすれば、自分の皿だけないなんてことは考えられない。
 円いテープルの縁をたどって、奥に視線を移すと、テーブルの向こうのお母さんと給仕のひとが、えらく遠く見える。途中でナイフとフォークを使っているのが、例の弟マルシャル、画家から見てその奥がちょうど部屋の隅。そうすると、二つの窓の前にある三つの椅子の角度のせいか、壁が緩やかな弧を描いているようにも見える。テーブルの弧と呼応して画面に動きを生んでいる。
 また、写真をとるひとはご存じのとおり、広角のレンズを使うと、距離感がこんな風になる。室内だと広角でなければ全部が入らないので、おのずと広角になりがちだが、カイユボット自身の目の感覚が、広角レンズに近かったのかもしれない。たとえば、風景にカメラを向けて、ファインダーを覗いたときに、標準レンズだと、あれなんか違うって感じる人がいる。私個人は、自分の感覚が標準より望遠よりだと思っている。
 絵の題材も、半径500メートルを出ないのかというくらいで、窓から見下ろした光景だったり、ちょっと散歩したついでにみかけた場面とか、そんな感じの絵が多い。ただ、画家がそれを絵に描くかぎりはそこに何かを見ている。
 広角レンズは都会的なレンズ。すくなくとも、超望遠なんかをさげて街中をあるいていたりするのは、どうにも物騒。やっぱりパンケーキレンズくらいの軽い感じが都会にはよく似合う。
 カイユボットの絵には、画角の面からもそうだし、構図もスナップ写真のよう。その意味で、マネ、ドガに近い、都会の画家という感じがする。
 マネ、ドガ、モネ、ルノワール、といった印象派の初期の画家たちとは親しくつきあっていて、カイユボットは、なにしろお金持ちということもあり、彼らの作品をたくさん買っている。そして、他の画家たちもカイユボットの絵を所蔵していた。特に、モネはずいぶん借金をしたようで、図録の年表を見ていると、‘モネに○○フランを貸す’っていう一節が毎年出てきて笑ってしまう。
 カイユボットは45歳で亡くなってしまう。突然死に近い感じだが、死の予感があったのか、あるいは、すぐ下の弟が若くして亡くなったことで思うところがあったのか、28歳の頃から遺言を書き始めていて、そこには彼の印象派のコレクションすべてを、‘ルーブル美術館で展示すること’を条件に、国家に遺贈すること、また、その遺言執行人をルノワールにすることが書かれていた。
 今では考えられないけれど、この遺贈をめぐって2年以上、すったもんだしたらしい。つまり、印象派の絵をルーブルに展示するなんて、‘とんでもない’という人たちがいた。フランス政府は当初、全点を受け入れる予定だったらしいが、最終的には40点のみになった。
 反対の論陣をはったのは画家のジェロームだったそうだが、展覧会で見たことがあるけど、Hな絵という印象しかなかったけど、意外。
 この展覧会でもうひとつ面白いのは、弟マルシャル・カイユボットが写した写真が多く展示されている。

 これはギュスターヴ・カイユボットと犬のベルジュール、カルーゼル広場、1892年、2月。
 「シルクハットの漕手」が描かれたイェールの旧宅は、カイユボット庭園として公開されているそうです。
追伸
ライアン・ゴズリングにも似てました。