慰安婦問題こそ戦後秩序に対する挑戦

knockeye2014-10-05

 まず、ちょっと本題と関係のない話をするが、山谷えり子というなんとか大臣の国際記者クラブでのインタビューを、ユーチューブで見た。個人的な感想だが、白痴かと思った。
 在特会は、「悪」であるよりも「幼児的な退行現象」なのであって、これは悪よりさらにタチが悪い。一般市民のレベルに比して、明らかに低能なああした存在に対して、矯正する作用が市民社会に起こるのはむしろ当然で、もし法的になんらかの対策が講じられないなら、法や行政は、市民的な信頼を失うだろう。
 今回の山谷えり子の記者会見は、彼女が、ほとんど信じられないが、閣僚であるのだから、日本の政治全般が、国際社会での信用を失うのは当然のことだと思う。
 政治の現場であのレベルの人材がうごめいているのを目の当たりにすると、さすがに政治について考えたり書いたりする意欲がなくなる。
 さてしも・・・・。
 よく、慰安婦問題について、戦後秩序に対する挑戦とか、歴史修正主義とかの批判を耳にするのだけれど、では、戦後秩序とはどういう価値観かと端的にいえば、それはつまり、日米安保にほかならない。
 第二次大戦で、二つの異なる価値観が戦って片方が勝った。それについて、一般の日本人がそうであるように、私も勝った側を支持している。気分よく町をぶらついているときに、憲兵とかいうあほないなか者に偉そうな口をきかれると、考えるだけでむかつく。
 だから、アメリカがどういうつもりでやったにせよ、広島長崎に原爆をおとしたのも、‘しょうがないじゃん’と受け入れている。前に言ったように、母の知り合いの腕には原爆のケロイドが残っている。それでも、だ。
 結局、終わった戦争だ。そこから、わたしたちは再出発したのだし、わたしたちだけでなく世界全体が再出発した。それが‘戦後秩序’というものだし、それを私たち日本人は受け入れてきた。
 では、その戦後秩序にとって、慰安婦問題とは何なのかといえば、これは、役人連中が言うように、とっくに解決済みの問題にすぎない。
 朝日新聞吉田清治の発言を嘘だったと認めて以来、「慰安婦問題にとって‘強制連行’は問題ではない」みたいな議論が涌いて出ているのだが、強制連行が問題じゃないなら、慰安婦問題は問題じゃないのだ。
 なぜなら、売春婦といおうが、性奴隷といおうが、そうした人権侵害を行っていた、その政治体制は、敗戦によって解体させられ、そこから戦後秩序が構築されたのであって、朝鮮半島での過去についての清算も、日韓での協定で、とっくに終わっている。
 あらためていうまでもなく、日本は韓国と戦争をしたわけではない。侵略をしたわけでもない。日韓でとり決められた協定は、併合支配の過去に決別して未来を指向するためのものであったはずであり、そこに慰安婦に対する補償の意味が含まれていないと、なぜ考えるのか、むしろ奇怪だが、それについて、援用された論拠が「強制連行」という犯罪要素だったのである。
 しかし、その「強制連行」は、朝日新聞の捏造で、妄想のたぐにすぎないということが明らかになった。もし、強制連行ではなく徴用にすぎないとしたら、それは、お前たちの命は一銭五厘だと言われて、はがき一枚で徴兵された当時の兵士たち、慰安婦を抱いた少年兵に対する人権侵害と同じなのだ。そうした軍国主義に決別した時点から、戦後秩序は構築されたのである。なぜ、慰安婦問題だけが解決済みでないのか?。そんなことがあるはずがない。もちろん、解決済みなのである。
 これが、人道的な救済という意味ならば、なんらかの対策を講じることには、大いに賛成である。これも、多くの日本人が同意することだろう。だからこそ、アジア女性基金というかたちの救済法を講じたのだが、それを拒否したのは韓国人自身なのだ。
 では、改めて、慰安婦問題とは何なのかといえば、それは、韓国のナショナリズムにすぎないですよと言っていることが、どういうわけで歴史修正主義などといわれるのか。まったく理解できない。
 むしろ、現在の基準に照らせば間違いなくテロリストである、安重根を英雄と祭り上げたり、天安門事件についての総括を行わず、チベットを侵略し、各地で少数民族を弾圧して、まともに選挙さえ行っていない中国を最恵国待遇することの方が、はっきりと戦後秩序にたいする挑戦であり、歴史修正主義だと言うべきだと思うが違うだろうか。
 しかし、最大の問題は、この程度のことさえ、国際社会に向けて発信できる政治家の、ひとりとして日本にいないことである。
 その意味では、日本の政治家は在特会より幼稚なのかもしれない。 
 ちなみに、韓国の仁川で行われているアジア大会で、リレーで日本チームを抑えて優勝した孫選手が「日本の国歌は耳障りだと発言した」と報道されたことに対して、日本チームの入江選手と萩野選手がどうコメントし、孫選手がどうコメントしたかが伝えられている。
 双方ともとても立派なコメントだが、スポーツ選手ができるこの程度の配慮さえ、配慮そのものが仕事だとさえ言える政治家ができない。そして、こんな報道をするマスコミはくそ。