『ちょうちんそで』 江國香織

ちょうちんそで (新潮文庫)

ちょうちんそで (新潮文庫)

 江國香織は、たとえば、須賀敦子とか吉田健一とかとおなじで、とにかく次から次へと読んでいきたい作家のひとり。
 この三人に共通しているのは三人とも翻訳家でもあるという点。違っているのは、須賀敦子吉田健一はもう新作が読めないが、江國香織はまだまだ読んでいない本もいっぱいあるし、これからも新作が望まれるであろうという点。
 『ちょうちんそで』もみごとだったな。「あやまち」についてのお話。「あやまち」という言葉が出てきたかどうか憶えていないが、ここで人に説明するとすればそういうしかない。
 「あやまち」という言葉は、一見しての倫理的なみせかけとは別の、下世話な興味をかきたてる内容しかない婉曲表現にすぎない。
 わたしやあなたが「あやまち」について語るとき、そこに正邪の基準があるかのように語るやりかたで、倫理について語っているようにふるまうにはちがいないが、じっさいには下世話な興味しかないのはおたがい暗黙に了解されている。
 しかし、その「あやまち」について語られている本人たちはどうか。自分の過去の行為が「あやまち」という婉曲表現で一般に語られることはじゅうじゅう承知しているが、本人にとってはそれは人さまの下世話な興味を満足させる「あやまち」などではないのはいうまでもない。
 小説の言葉が生まれてくるゼロ地点はたぶんそこにある。「あやまち」というひとことでは大きくそれていってしまう標的をめがけて、長い射程距離を、大きな弧をえがいてたどっていく言葉の軌道。江國香織の小説にはそういうことばの正確さをいつも感じる。