『ONODA 一万夜を越えて』

 おそらくわたしが今年観た中でいちばんの名作だと思います。
 予備情報なしで観たので、観終わるまでどこで誰が撮ったのかさえ分からなかった。
Arthur Harariっていう監督が何人なのかも分からなかった。もしかしたらルバング島の人なのかなと思ったくらいです。
 それくらい嘘がないように思えた。『MINAMATA』でアメリカ映画がここまで日本人を映画にできるようになったことに驚いたばかりなのに、この映画はそれを超えてきた。
 おそらくこれはアメリカでは実現不可能だと思いました。アメリカでは、戦争を、特に第二次世界大戦を、こんなふうに対象化できないのではないかっていう不信感、というか、みくびりたい気分は持っちゃいますね。
 というのは「アメリカをふたたび偉大に」とか言うスローガンがリアリティを持ってしまう国ですから。小野田寛郎が軍人であることが、かの国ではバイアスになってしまうと思います。
 そしてこの映画を観て感じたことなんですが、日米関係ってやっぱりなんかいびつですね。たぶんアメリカ人は小野田寛郎の存在を日米関係の構図にうまく落としこめないと思います。
 この映画は、フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、日本による国際共同製作作品だそうです。監督はアーサー・ハラリではなく、アルチュール・アラリというフランス人監督。脚本もこの人。そして、撮影監督は実兄のトム・アラリだそうで、小野田寛郎の青年期を演じた遠藤雄弥によると、カンボジアのジャングルの中で映画さながらの兄弟げんかを始めることもあったそうだ。

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 実際、撮影はキャスト、スタッフ共同の冒険だったろうと想像できる。インターネット以前の世界は、今や国籍の差をはるかに超える跳躍だと思われる。
 第74回カンヌ国際映画祭2021 「ある視点」部門のオープニング作品として上映されたときには、小野田と小塚がジャングルで国際情勢を分析するシーンで笑いが起きていたそうだが、日本人があれを笑えるかどうか。たしかに、可笑しいのはわかるのだけれども、同時に、どうしようもなくいたたまれない。
 どう終えるつもりか、その見通しもなく始めた戦争の滑稽さは、同時にまた、今の私たちにまで負わされている途方もない悲惨さとなったことを、日本人は知っているからで。
 そして、画面から伝わる感じとして、現地のスタッフとキャストは、はたからは狂気と滑稽のはざまにしか見えない小野田たちの行動を、少なくともその現場では共有していたと見える。
 だからこそあの場面は笑えると思うのだ。『リング』の中田秀夫監督によると、撮影現場で笑いが起こるような場面ほど出来上がりを観たとき怖いのだそうだから。
 
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 上のインタビューで、この映画の小野田さんは、日本兵らしくないから日本人らしいのだというパラドクスに気づいてしまう。よく考えると、日本兵らしさっていうステレオタイプに、私たちは長く飼い慣らされてきたものだった。おそらく、当時の日本兵たちですら、日本兵らしさに囚われていたに違いないけれども、彼ら自身がそう囚われているステレオタイプほどに、彼ら自身が日本兵らしかったかどうかは疑ってみてもよかった。
 壮年の小野田さんを演じた津田寛治によると、撮影を通じて「どんどんナチュラルになっていった」そうなのだ。アラリ監督が俳優でもあるのが大きかったのかもしれない。アラリ自身の脚本だが、出来上がりは台本と違っていたと、津田寛治は語っている。
 『ONODA』も『MINAMATA』も日本人の手で撮れなかったかなという悔しさはあるが、日本にも、たとえば『菊とギロチン』の瀬々敬久監督や『日本のいちばん長い日』の原田眞人監督がいますから。
 ちなみに、仲野太賀の演じた鈴木紀夫青年の、映画にはないサイドストーリーも面白い。小野田寛郎さんを発見した後、鈴木紀夫さんはほんとに雪男も発見する。70年代のそんな青年に仲野太賀とSONYのラジオがよく似合った。
 当時の資料に当たってビジュアルは徹底的に忠実に再現しているそうです。そう聞いて検索してみましたが鈴木紀夫さんの撮った写真がいちばんよいように思いました。


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