『シン・仮面ライダー』『ヴァニシング・ポイント』

 この二作、確かに同じ週末に観たこともあるけれども、くくりとしては懐かしの70年代。
 『シン・仮面ライダー』は、伊集院光さんが過密スケジュールの中、まんじりともせず観たそうで、大絶賛していた。でも、それは多分に懐かしさじゃないかなと思います。ご本人もかなり「せまい」映画だと言ってました。
 私としてはちょっと説明台詞が多すぎやしないかと思いました。あれだと目をつぶっててもストーリーが追えそう。
 仮面ライダー2号まで登場したのは驚きでした。だって、2号は1号役の藤岡弘さんが骨折したために急遽抜擢された代役なので、そこをあえてストーリーに組み込んだのは、オリジナルに対する偏愛というかリスペクトの極みなんだと思う。最後に斎藤工の演じる人の名前が「滝だ」と分かって「おお」となるオールドファンがどれだけいるのだろうか。
 個人的な発見は、仮面ライダー1号のオリジナルストーリーを全然知らないということに気がつきました。もしかしたら観てないのかも。
 完全にオリジナル偏愛に突き進むか、それとも換骨奪胎してリメイクするかのどちらにも振り切れてないような気がして、ちょっと乗り切れませんでした。『シン・キカイダー』に期待だな。

 『ヴァニシング・ポイント』は、テレビで観たんだと思う。今回、女の子が全裸でバイクに乗ってるシーンは、あれ『ヴァニシング・ポイント』だったんだと思ったくらい。シーンは記憶に残ってたけど『ヴァニシング・ポイント』とは結びついてなかった。
 『ヴァニシング・ポイント』と言えば、最後に車で突っ込むシーンと、盲目の黒人DJが警官にボコボコにされるシーン。感傷的でナルシスティックすぎないかと感じていたけど、BLMを経て見直すと、DJのシーンはむしろリアルだったんだと気付かされる。
 ただのスピード違反であそこまでムキになる警察の異様さも、今見るとむしろ予言的にさえ見える。権力について知らなかったのはこっちだった。
 ラストシーンも実は仕掛けがあって、冒頭に同じシチュエーションが置かれて、そこから過去に遡って語るスタイルになっていて、冒頭では突っ込まずにuターンする。
 最初に観たときはそこが理解できてなかった。映画でしかあり得ない、不思議な展開になっている。展開としては矛盾したまま放り出している。
 この映画的な自由さが『シン・仮面ライダー』にあればなあと。
 ただ、二つの映画を見て気がつくことは、やっぱり70年代は、大きな物語をあきらめた時代だったんだということ。  
 1968年が全世界的な世界史のターニングポイントだとはよく言われるけれども、社会、公共、あるいは国家、世界、と言った話題に急速にリアリティが失われていった。
 それはウルトラマン仮面ライダーの間にある大きな溝なんだと思う。
 ウルトラ警備隊や科学特捜隊自衛隊を、ウルトラマン在日米軍を、怪獣や異星人が、ソ連や中国や韓国といった非民主的な暴力国家に対する漠然とした不安を、それぞれ表していたとして、仮面ライダーの方はどうだろう。
 社会を変革しようとしているのはむしろショッカーの側で、それも何か凶々しい狂気の沙汰のように描かれざるえない。
 仮面ライダー自身も実のところ何のために戦っているのかよく分かっていない。社会と切り離された感じ、虚無的な感じが、意外にも、このふたつの映画には共通している。


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