横浜の後、新百合ヶ丘のレイトショーで『search/#サーチ2』。帰宅は日付が変わったけど、朝早いより性に合うので。
『search/サーチ』の続編ってわけじゃないので、これ単体だけ見ても楽しめる。すべてがパソコンやスマホなどの端末画面だけで語られるって縛りが共通しているだけ。
メディアリテラシーの高い作家がその知識をフルに活かして推理小説を書けば面白いだろうに違いないが、それを実現したのは、このチームが初な気がする。
監督は前の人(アニーシュ・チャガンティ)とは違うんだけど、原案に名を連ねている。前回みたいなどんでん返しに次ぐどんでん返しは・・・ない、とも言えないか。二番煎じのアイデアがないので、前とは違うと感じるだけかも。
いずれにせよ、デジタルガジェットをここまで巧みに使いこなすストーリーテラーは今までいなかったと思う。たとえばコナンなんかは阿笠博士が、謎のメガネとか、謎の蝶ネクタイとか、謎のベルトとか、謎の靴とか謎のスケボーとかを発明してくれて、それがなければストーリーが成立しないのだけれども、ふと気がつくと、現実の世界も阿笠博士の発明品の上をいくガジェットに満ち満ちている。
考えてみれば『名探偵コナン』が初登場した、つまり、工藤新一が江戸川コナンに縮小されちゃったのは1994年のことだった。まだ、Windows95さえこの世にない。江戸川コナンの世界は結局そこで止まっている。前作なんかコナンくんのベルトから出たサッカーボールが渋谷の街(だったかな?)を包み込むくらい膨張するんですぜ。
灰原が主人公らしい最新作もぶっちぎりの興収1位らしいが、Windows登場前の世界に大人も子どもも浸っている日本人。
現実のガジェットを駆使して事件を解決していく『search/#サーチ2』の主人公も奇しくも高校生なんだけど、1994年の高校生がさらに小学生に退行してる映画に熱狂しててホントに大丈夫なんだろうか?。
それともうひとつ特筆すべきは、今回も非白人が主人公だという点だ。アカデミー賞は2024年から作品賞に関して、「俳優、製作・マーケティングスタッフなどに、一定の割合で有色人種、女性、障害者、性的マイノリティーのLGBTQを含めるよう規定」した。
どんな縛りも適用された直後は不便に感じたり窮屈だったりするかもしれないが、現実の人口比を映画の人口比が反映するのはむしろ当たり前なのだから、おそらくすぐに自然に感じられるようになるだろう。
サーチもエブエブも何ならザ・ホエールもインクルージョンに気配りされている。アカデミー賞というと、ハリウッド村のうちわのパーティーだと揶揄されたりするのだけれども、そういうアカデミー賞ですら、政治的な正しさに向かって努力している。
映画『トランボ』のように、米ソ冷戦時代は赤狩りが横行したこともあった。今もそのままだったら、ハリウッド映画を誰が観る?。過去の非を改めて、現在の問題を解決しようと努力しなければ『サーチ』みたいな軽い感じのエンタメ作品すら生み出すことはできない。そりゃそうでしょ。当たり前じゃん。
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