甲斐庄楠音の全貌

 東京ステーションギャラリーで、「甲斐庄楠音の全貌」展が始まっている。
 甲斐庄楠音は、速水御舟なんかと同時代の日本画家のうち、たぶんもっとも魅力的な作品のいくつかを残した画家なんだけど、土田麦僊という、今ではあまり知られていない(というか、甲斐庄楠音を批判したことで知られている)先輩の画家に、何かいやごとを言われて一線を退いた。
 惜しいという気持ちで残念に思っていたのだが、別の見方をすると、古臭い画壇を後にして、華々しい映画界に転身した、という見方もできる。
 今回の展覧会では、映画の世界に行ってからの仕事も視野に入れているので、なるほどこっちの仕事はこっちの仕事でやりがいがあったろうなと思い返した。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した、溝口健二の『雨月物語』では、風俗考証とクレジットされている。
 旗本退屈男のためにデザインした衣装が多数展示されていた。
 知らなかったんだけど、甲斐庄楠音は性的にマイノリティだったそうだ。当時として別に珍しくもないとも思うが、そのことも画壇を窮屈に感じさせる要素のひとつだったのかなとも考えた。
 こういう写真が残っている。

甲斐庄楠音
甲斐庄楠音

 メガネをかけてない方が甲斐庄楠音。子供の頃に歌舞伎を見て、いい歳のおっさんがきれいな格好をしているのにゾクっときたらしい。
 土田麦僊は、《横櫛》をさして「美しくない」と言った。今残っている《横櫛》は、甲斐庄楠音がのちに加筆修正したものなので、その時の《横櫛》がどんな絵だったのか分からないが、ただ、

甲斐庄楠音《春宵(花びら)》

こういう絵を評するに、美しいか美しくないかは余計なお世話。そういうことを言う画壇に背を向けるのは実に正しい行為だった。
 しかし、後に戦時色が強まる時代には「旗本退屈男」も「このご時世に『退屈』とは何事か」と映画自体の撮影ができなくなってしまったそうだ。
 これを言ったやつはそうとうオモンナイやつだったろう。「笑いに知性が必要」っていうセリフはこういう時に言うべきなので、偏差値と知性の区別がつかない元芸人ユーチューバーなんかは、どちらかというとあっち側にいる気がする。
 入管法改悪の審議で「可能と言ったのは不可能のいい間違いでした」でそのまま法律が出来上がってしまう今の状況、この権力のやりたい放題ぶりはまずいと思う。
 昭和初期の頃の昭和モダンと言われた明るい雰囲気から、アンガールズ田中の言うところの「おもんなボーイズ」がやりたい放題の時代まであっという間に転落する。ほんとにヤバいって気がする。

 2021年の「あやしい絵展」で人気だった

《畜生塚》
《畜生塚》

も展示されている。

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 未完の絵の生々しさってのは確かにあって、それこそ、まだ美しくなる前の絵。裸婦画なので話がややこしくなるが、裸婦画のさらに裸を見てしまったみたいな気持ちになる。
 2023・8・1に展示替えがある。8.27まで。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202307_kainosho.html