『隣人は悪魔 ナチス戦犯裁判の記録』ネタバレ

 フォードの工場で働いて車を作っていた退職した老人が、1986年、急にナチスの戦犯だと言われて国外退去処分になり、イスラエルで裁判にかけられることになる。
 アメリカにそれ専門の機関があることに驚いた。専門性ゆえの良い面、悪い面はありうるだろうけれども、透明性を持って運営されていることと、もちろん法に則っていることが、日本の入管と違う点である。日本の入管を舞台にするとこんな法廷劇すら起こりえないだろう。
 まあ、日本はファシスト側だったのだから歴史的に見ればこれで正しいのか。ちなみに最近知ったのだけれど、日本の入管の前身は、憲法発布の1日前に滑り込みで作られたそうだ。外国人排斥のシステムを、そうまでして残したかったのかと思うと、その執念は薄気味悪くさえある。
 それはともかく、このジャン・デミャニュークというウクライナ人が、ホロコーストに関わった元看守(イワン雷帝と呼ばれていた)なのかどうか、正直言って最初から最後まで釈然としない。決定的と思われる証拠が出てきたかと思うと、その反証がまた見つかる。法廷劇としては文句なしに面白い。
 『ハンナ・アーレント』に描かれたような、アイヒマンという大物を被告とした1963年とは、法廷の色合いは大きく様変わりしている。
 というか、イスラエルの検察側が、60年代のそうした裁判の再現を狙っているのは明らかだと思われた。ところが、肝心のホロコーストの生存者の証言がけっこう覚束ない。この法廷で証言したその同じ証人の、戦後すぐの証言が掘り起こされると
(最初に書いているように、今、ネタバレ真っ最中なので、観たい人はこの先はほんとに読まない方がよい)
「イワン雷帝」は暴動で殺されたと証言していたことが分かる。
 この時点で、「はい、解散」ってことになりそうだが、なんかその証言はホロコースト生存者の後ろめたさからくる虚言だったってことにされる。でも、それが虚言なら、全く同じ意味で今回も虚言でありうるわけじゃないですか?。と思いましたけどね、私は。
 そんな生存者の証言と一枚の写真だけではさすがにちょっとと思うのだけれど、検察側の言い分としては「ホロコースト生存者の証言を信じないのか?!」みたいな。そうなるともう裁判の体をなさない。と思いましたけどね、結局、有罪になっちゃう。
 この辺の経緯を見てて、日本人としては慰安婦問題を思い浮かべずにおれなかった。極右の安倍晋三ですら慰安婦の存在を否定してない。ただ、細部になるとかなり胡散臭い話が混じってる。なのに挺対協は100%真実と主張する、それに対して日本の差別主義者が100%ウソと主張することになるわけで、この時点で、問題の主眼はナショナリズムの対立に過ぎなくなっている。
 このジャン・デミャニュークの裁判の場合も、アメリカのみならず、世界のホロコースト否定論者からの資金援助がなければ、経済的な面で裁判を続けられなかっただろう。家族はそういうつもりじゃなくても、外野の騒ぎは大きくなる。
 いったんは有罪が確定したジャン・デミャニューク。でも、そのころはちょうど東西冷戦終結の時代で、ホロコーストの元看守「イワン雷帝」は別人だという証拠が旧ソ連の資料から見つかる。
 いやいや、それまでの騒ぎはいったい何だったんだってことになる。
 デミャニューク氏は晴れてアメリカに帰国することになる。この時の再審裁判では、デミャニューク氏側の弁護士が薬物をかけられて失明しかかったり。
 イスラエルの検察側の発言では
ホロコースト生存者の証言より、ソ連の書類の方を信じるのか?」
って言うんだけど、そう言うことを言い出すと、ホロコースト生存者が「あいつを殺せ」って言えば誰を殺してもいいことになっちゃう。
 これでめでたしめでたしかって言うとそうじゃなくて、最初にデミャニューク氏を国外追放したアメリカの機関が、「イワン雷帝」ではなかったにしても収容所で働いていたのは確かだってことで、今度はドイツで裁判を受けさせる。
 で、どうなったかと言うと、高齢のために、裁判が結審する前にドイツで客死してしまう。
 ひどいと思う人もいるかもだけど、これですら日本の入管よりはるかに人道的。元ナチスの疑いでようやくこの扱いなのである。まあ、日本の場合、入管の方が元ナチスなんだから当たり前か。
 結局、長い裁判を引き摺り回されたデミャニューク氏の過去はわからないままなのだけれど、最後にイスラエルの検察の人がドイツの専門家に意見を求めた話をする。どう思うか尋ねられて、そのドイツ人は、あなたたちはイスラエル人なんだから、ホロコースト生存者の言葉を信じていればいいと思うよと言ったそうだ。
 ドイツもイスラエルも関係なく、人道にもとる罪を犯したからこそ元ナチスを裁いているのかと思いきや、もはやホロコースト生存者は聖域化してしまっている。
 2022年のギャラップの調査では、民主党支持者の調査で歴史上はじめてパレスチナ支持者がイスラエル支持者を上回ったそうだ。パレスチナ人に対する迫害は、イスラエルが目指しているのが、国際正義ではなく自国民の優遇であると疑わせるのに十分だと、アメリカのリベラル層にさえ思わせているのだろう。
 ドイツはユダヤ人迫害の責任をすべてナチスに負わせて、彼らを徹底的に処罰することで国際社会に復帰することができた。しかし、実を言えば、この映画の主人公がウクライナ人であるように、ユダヤ人迫害は、ナチスのみならず、キリスト教社会にあっては正義でさえあった。非人間的な行為をナチスがなぜなしえたかと言えば、彼らが心底から、ユダヤ人を人間だと思っていなかったからだ。『ヒトラーのための虐殺会議』では、参加者は自分たちが歴史的偉業を成し遂げつつあると信じている。
 彼らにそう思わせたのはキリスト教原理主義であって、マルチン・ルターを生んだドイツがその中心であったのは当然だと思われる。非キリスト教徒だからと言って、個人的に、キリスト教が悪いと言うつもりはないけれど、どんな宗教であれ、原理主義的になった時は、仮想敵を人間とは思わなくなるものだと思う。
 本来、警戒すべきなのは、ナチズムよりも原理主義的なナショナリズムだろう。ナチスを非難しつつ自国のうちにナチスの芽を育みつつあるのがイスラエルの状況だろうと思う。ハンナ・アーレントアイヒマンを普通の男だと言った時、憤慨したユダヤ人もいたけれど、ハンナ・アーレントが指摘したのはまさにこの状況だろう。

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ヒトラーのための虐殺会議

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