キュビズム展

 YouTubeの「山田五郎オトナの教養講座」で国立西洋美術館で開催中の「キュビズム展」を紹介していたので観に行った。
 それで改めて山田五郎さんの話がいかにわかりやすいか思い知った。音声ガイドなんかよりたぶんはるかにわかりやすい。予習になってよかった。
 それともうひとつ、分析的キュビズムと総合的キュビズムにははっきりした定義の違いがないってこともわかってよかった。
 私はなんとなく、ピカソキュビズムは分析的だと思ってたのだけれど、それはまぁ、ピカソがとっととキュビズムから離れてしまったことが大きいんだろうと思う。
 ピカソのものでもパピエ・コレ(紙を貼るやつ)とかあの辺のものは総合的キュビズムというようだ。
 ブラックは、「私たちはザイルで結ばれた登山者のようでした」とピカソとの関係を語っていたそうだ。実際、このころのふたりの作品はどちらがどちらの作品かわからないほどよく似ている。

パブロ・ピカソ《ギター奏者》
パブロ・ピカソ《ギター奏者》

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ジョルジュ・ブラック《静物》
ジョルジュ・ブラック静物

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色まで似てる。

これも左がピカソ、右がブラック。
これも左がピカソ、右がブラック。

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なんかフォントまで似てる。
 この頃の画家たちでキュビズムの洗礼を受けないものはいないそうだが、そう言われて見てみると、ひたすら抒情的なマルク・シャガール

マルク・シャガール《婚礼》
マルク・シャガール《婚礼》

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マルク・シャガール《墓地》
マルク・シャガール《墓地》

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確かにロベール・ドローネーと似て見えた。

ロベール・ドローネー《パリ市》
ロベール・ドローネー《パリ市》

 何処が?。と言われると、まぁ、色。特に、分析的キュビズムの時代のピカソもブラックもまるで色を忘れてるみたいに見えるから。シャガールは確かに、アンリ・ルソーの宙に浮いてる人物と、キュビズムの影響は大きいんだってわかる。本質的には抒情的なんだけれど、その表現手段としてキュビズムがハマったと見える。つまり、キュビズムは分析的キュビズムのようにひたすら冷たくもなれるし、シャガールのようにひたひたに甘くもなれる、間口の広い表現手段だったのがわかる。

 ブラックがセザンヌの跡を追ってレスタックの街を描いている絵なんて、セザンヌの絵の具を借りたのかと思えるほど。特に緑色なんて。

ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》
ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》

 セザンヌに感銘を受けた初期の頃から、ブラックは生涯キュビズムに魅了され続けた。アルフレッド・シスレーが生涯印象派であり続けたように。
 しかし、それは例外で、多くの画家はキュビズムを離れていく。「はしか」と言われる所以。当時のほとんどの画家が、点描→フォーヴ→キュビズムという遍歴を経ているそうだ。
 そういえば、ピカソを嫌っていたヴラマンクさえも一応キュビズムに手を出していた。
 山田五郎が触れてなかった部分で印象的だったのは以下に引用する第一次大戦時代のキュビズムをめぐる空気。

キュビスムをめぐる「戦争」
フランスとドイツとの間の戦争によって、キュビスムナショナリズム的な政治闘争の対象ともなりました。キュビスムの芸術家たちの作品がドイツ人画商カーンヴァイラーによって扱われていたこともあり、すでに戦争の以前から、キュビスムはドイツと結び付けられ、フランス語のCではなくドイツ語的にKで始まるスペルでキュビスムが示されたり、「コニスト」(フランス語の「円錐(cone)」と、「愚か者(con)」とが重ねられている)と併記して揶揄されていたりもしました(no. D23)。
大戦が始まると、キュビスムはドイツによる文化侵路だと非難されるようになり、当時の挿絵雑誌などでは、キュビスムによってフランス文化が堕落してしまったと弾されました。戦意発場の名目で1915年に創刊された『ラ・バイヨネット(銃剣)』には、キュビスムの画家は、赤髪で口髭のあるドイツ人のように描写されたり(no. D24)、フランケンシュタインのごとき怪物のように表わされたりしました(no.D26)。
これは、キュビスムこそがフランスの伝統を受け継ぐフランス的な美術であると考えていたサロン・キュビストたちの主張とは真っ向から対立する非難であり、アポリネールらはキュビスムを擁護する立場から反論を行いました。
画家アメデ・オザンファンが創刊した雑誌『レラン(飛躍)』には、「キュビスムの同志たちへ」と題された文章が掲載され、フランス人のキュビスムの芸術家たちが前線でドイツと戦っている事実を指摘し、フランスにおいてキュビスムを「ボッシュ(boche)」(「ドイツ人、ドイツの」を指す産称)の絵画と攻撃することが不当であると訴えています(no. D25)。

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 ヴラマンクピカソをフランス的でないと非難していた。その発言の背後にある空気が見える気がした。
 ピカソやブラックを扱っていた画商のカーンヴァイラーがドイツ人だったので、「キュビスムはドイツと結び付けられ、」「キュビスムはドイツによる文化侵路だと非難されるようになり、当時の挿絵雑誌などでは、キュビスムによってフランス文化が堕落してしまったと」の言説が流れたみたい。
 第二次大戦では、ヒトラーが退廃芸術展をやって貴重な絵画が灰になったのは有名だが、第一次大戦下では、逆に、フランスでそんな言説が流布していたとは驚き。じゃあ、ヒトラーが退廃芸術展で巡回した後、作品を燃やしているのを見て、そういう人たちは内心ほくそ笑んでいた?。それとも自身の不明と偏見を恥じた?。おそらくそのどちらでもない。国粋主義者は洋の東西を問わず世界共通の反知性なのである。

 今回ひときわ存在感を放っていたのは、

レイモン・デュシャン=ヴィヨン 《大きな馬》

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 世の中に数多の騎馬像があり馬の彫刻は見慣れているけれど、そのどれよりもこの馬の方が存在感がある。
 ルノワールのあと、パリの女たちはみんなルノワールの女たちになったと言われるように、印象派にせよ、キュビズムにせよ、アーティストは結局、観客の共感も作り出している。アーティストが作っているのは作品だけでなく、私たちの目もかれらが作っている。



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