宮沢りえが二役していたのかどうか気になる。
似ているのには気がつくけど、はっきり二役と確認できるほどではないのは、演出として実に正しいと思う。もしかしたらクレジットされてるかもしれないが、知らなくて、どうなんだろう?と考えてる方が楽しいし。
それから連想するに、磯村勇斗が演じる「さとくん」と宮沢りえが演じる「洋子さん」の違いは、他者に投影した自己を拒絶するか受け入れるかの違いとも言える。
言い換えれば、「さとくん」は「俺はおまえとは違う」と思うのだが、「洋子さん」は「私もこの人だったかも」と思うのだ。
そんなことを考えていた時に、茂木健一郎の「夏目漱石と『私』の現象学」って講演にぶっつかった。
フローベールが「エマは私だ」と言ったのは有名だが、およそそういう感性のない人が創作できるのかって話。