『熊は、いない』『君は行く先を知らない』

 イランには優れた映画監督が多い。その中で、ジャファール・パナヒ監督は、特殊というか不思議というか、イランの外から見ると謎な状態に置かれてきた。2010年に「イラン国家の安全を脅かした罪(?)」を犯したってことで、20年間の映画制作・出国・あらゆる取材を禁止された。
 が、それ以降も、2011年の『これは映画ではない』を始め何本も映画を撮り続けてきた。私も『これは映画ではない』と『ある女優の不在』は観た。どちらも素晴らしい映画だった。
 監督の置かれている状況から、そうならざるえないのか、どれも彼自身が彼自身として出演する擬似ドキュメンタリーになっている。
 『これは映画ではない』は、まだ、ホントに映画じゃないかもみたいな、映画じゃないですって言いつつ映画を撮ってるって、出オチ的な、一回しか使えないっすよって感じの撮り方だったけど、2018年の『ある女優の不在』になるともう堂々たるもので、等身大のイランの今を撮っているのはこの人なんじゃないかなと思うんです。
 『別離』『セールスマン』で2度のアカデミー賞を受賞したアスガー・ファルハディ監督ももちろんすばらしいんですが、アスガー・ファルハーディーの場合、『誰もがそれを知っている』みたいに、ペネロペ・クルスハビエル・バルデムで、イランが舞台じゃなくても撮れちゃう。あの砂漠の葡萄園は、じゃあどこだったんだろうって思い返すと、イランのおもかげも見えるけれど。
 これにくらべるとジャファール・パナヒの置かれた、カフカの不条理小説のような状況は、確かに、創作の自由が制限されてはいるのだけれど、そういう制限が作家の思惑を超えて、思わぬ名作を生んだりする。
 『熊は、いない』は、もちろんジャファール・パナヒ監督の力量もさることながら、一方で、イランの今の特異な状況が生みだしたという一面は、たとえば、小津安二郎の紀子三部作が、今でも愛され続けているのは、戦後という異常な状況があったからだという思いににている。
 小津安二郎作品では、紀子三部作以外にも、たとえば、『浮草』とかはすごく好きだけど、『秋刀魚の味』は、シチュエーションは『晩春』とほぼ同じ。父親役も笠智衆なのに、時代が戦後でないだけで、まるで味わいが違ってしまう。というか、それを証明するために撮ったのではないかと疑うくらいだった。『晩春』は射程の長い反戦映画だと私は思っているが、『秋刀魚の味』はスケールの小さいお茶の間ドラマに見えてしまう。
 イランの映画監督といえば、アッバス・キアロスタミの遺作は奇しくも日本を舞台にとった『Like someone in Love』になったが、小津安二郎に私淑する彼が日本で日本映画を撮るという念願を果たした『Like someone in Love』と、不自由なイランでもがいて撮っている『熊は、いない』とを心の中で思わず比較してしまう。
 『熊は、いない』の梗概を簡単に言えば、イランで映画制作を禁じられているパナヒ監督が、トルコに現場を置いて、リモートで演出をしようとする。そのため国境近くの村に部屋を借りる。
 ところが、村の若い恋人の三角関係に巻き込まれて、村長たちの集会で証言させられることになる。その道すがら、熊が出るからと付いてきた案内役がおためごかしにいいたいだけ言った後に
「じゃ、あとはこの道まっすぐなので」
「熊は?」
「熊なんか出やしませんよ」
って。このやりとりがタイトルになっている。
 トルコの現場は現場で、撮影を機に亡命しようとする俳優の男女がいる。パナヒ監督を中心に、二組の男女の逃走劇が進展するスリリングな展開。国境の村では、農業よりもはや密出国ビジネスが盛んで、パナヒ監督自身も誘われる。
 茶番でしかない古いしきたりの裏側で、法の裏を掻いて儲けている村のリアリティ。そして、その二面性に翻弄される男女を描いて、へぼいミステリーよりずっと面白い。
 イランからの亡命のリアリティは、ジャファール・パナヒ監督のご子息パナー・パナヒの初監督作品『君は行く先を知らない』を先に観ていたので、より説得力があったのかもしれない。
 あるイラン人のインタビューに「イラン人は今の日本人の気持ちがよくわかる」っていうのがあった。ホメイニ革命以前はイランは中東で最も栄えた国だったのに今ではサウジやトルコに抜かれてしまった。だから日本人の気持ちはよくわかるってことだった。
 ジャファール・パナヒ監督は、今年2月に釈放(この映画撮影後に逮捕されていた)され、その際に永らく没収されていたパスポートが返還された。事実上の出国禁止解除で、4月にはご子息の暮らすフランスに行ったそうだ。
 ご自身のハンガーストライキや各方面からの嘆願の結果ではあるだろうけれど、たた、この10余年間屈せずに作り続けてきたこれらの作品群は、めまいがするようなめくるめく映画たちだと思う。
 パナヒ監督に限らず、困難な中で映画を作り続けているイランの映画人はすごいと思う。


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