『長崎の郵便配達』

 『長崎の郵便配達』は、同じく第二次世界大戦を扱ったドキュメンタリーでも、昨日の『ファイナル・アカウント』とはかなり違う。元英空軍パイロットと長崎の被爆者の交流が軸になっているために、憎しみの感情が入りこんでいない。
 もちろん、チャーチルは米国が原爆開発に成功したと知っていたかもしれないし、日本軍はビルマで英軍兵士たちを虐待していたが、それがこの元英空軍パイロットと被爆者の交流に影を落とすことはなかった。
 そもそもこの映画が製作されるきっかけは、長崎の被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんが、自分をモデルに書かれた小説『長崎の郵便配達』が再販できないだろうかと、人づてに川瀬美香監督に相談を持ちかけたことだった。
 川瀬美香監督は、再販の許可をもらうために、著者のピーター・タウンゼントの娘さんイザベル・タウンゼントを訪ねて、亡きお父さんの書斎でインタビューのカメラを回した。
 たぶんあの書斎はフランスにあるのだと思う。ピーター・タウンゼンは、マーガレット王女との恋愛が結末を迎えた後、ランドローバーで世界を旅して回った。イザベルさんは、その後結婚したフランス女性との間の子で、浦上天守堂の司教とはフランス語で話していた。
 ピーター・タウンゼントが長崎を訪ねて谷口さんと親交を結んだのは作家として成功した晩年、1978年のことで彼ももう68歳だった。本が出版されたのは1984年。その間、何度も長崎を訪ねた。その時のインタビューテープが残っていた。イザベルさんが父の書斎でみつけた。
 結局、このテープの存在が大きかったように思う。映画化の話が動き始め、イザベルさんが谷口さんを訪ねようとしていた矢先に、谷口さんが亡くなってしまう。彼女が訪ねるのは谷口さんの初盆の精霊流しということになった。 
 そんな具合にタイミングが重なって、映画がとてもパーソナルな、個人的な味わいになっている。この映画は、イザベルさんが自身のルーツを探す旅の記録であることもまたまちがいない。イザベルさんの個人史の器のなかに、谷口さんの被爆体験という惨劇が入っている。だからこそ、観客がそれをすんなりと受け取れる。国家の罪とか、人類全体の罪とかまで思いを広げる必要はないのだ。
 イザベルさんのそういう素直な道徳観は、浦上天守堂の司教と話していた時によく現れていたと思う。「マリア像が残ってよかったですね」と言っていた。そもそも小倉に落とすはずだった原爆が、たまたま上空が曇っていたために、長崎に変更され、仏教寺院や神道の祠だらけの日本の、よりによってキリスト教寺院の上に落ちたのはなぜかと問えば、答えは言うまでもなく、ただの偶然なのである。そこに何か意味を見出すこともできる。しかし、馬鹿げていた。
 結局、この映画はイザベルさんとお父さんの映画だし、さらには『長崎の郵便配達』という本は、谷口稜曄さんと二人のお子さんの物語なんだろう。
 川瀬美香監督は、当初、戦争や原爆についての映画は自分の手に余ると考えていたそうである。しかし、イザベルさんとお父さんの関係、そして、ピーターさんと谷口さんの交友が映画のテーマになって結局良かったように思う。その向こう側に地続きに戦争や原爆が見える気がする。谷口さんとピーターさんの背後だけでなく、私たちの背後にもそれが見える気がする。


www.youtube.com

ナガサキの郵便配達

ナガサキの郵便配達

Amazon

『ファイナル・アカウント』 ネタバレあり〼

 これは2020年のドキュメンタリーであり、つまりもうホロコーストの当事者たち、それは、被害者、加害者ともに、その当事者であった人たちの直の証言を得るのは難しい時代になりつつある。
 今回のこの映画でインタビューを受けている人たちは、ヒトラーユーゲントのさらにその下部組織に、たとえば10歳の時に加わったときけば、この人たちを断罪しようという気にはとてもなれない。しかし、インタビューを聞いていくうちに、だからこそ、この人たちの罪の意識、罪悪感が、むしろ今の私たちに切実な、近接する意識になることに気がつかずにいられなかった。
 最大に関与していた人でもせいぜい収容所の塀の監視役とか、子供のときにユダヤ人の店の前で店に入るのを邪魔していたとか、ほとんどタイカ・ワイティティの『ジョジョ・ラビット』の世界。
 そして、この映画の監督ルーク・ホランドは祖父母をホロコーストで亡くしたユダヤ人である。なので、この人をホロコーストの被害者と言っていいのかどうか判断に迷う。それは、映画を見た後にますます迷ったと言う方が正しい。それは多分、この映画のインタビュイーが加害者なのかどうか、映画を見る前よりももっとわからなくなったのと比例してそうなった。
 この映画監督が予断を持って断罪するつもりでインタビューしているわけではないのはもちろんだ。どのインタビュイーにとっても、この話をするのがとても困難なのがよくわかる。彼らが、実は誰よりもその罪について考えているのが伝わってくる。話しをするのが難しいと彼らに思わせているのは、彼らと同じ深さでこの罪を考えている人に出会えないためだろう。
 「私を有罪にすることはできない。私が考えているのは・・・」と言って言葉を失った人がいた。先に言ったように、当時、10歳やそこらの子どもだった人たち、あるいはそれが、ベトナム戦争に従軍した米兵たちのように18、9歳だったとしても、彼らを断罪できる人がどこにいるだろうか?。同じように、彼らを無罪にしてあげられる人もまたいない。おそらく、あなたには罪がないという人にもまた、この人は同じような反発を感じるはずなのである。
 インタビュイーのひとりが若者たちと対話するシーンがあり、そこがこの映画の最大のハイライトだと思う。元ヒトラーユーゲントと若者たちとの対話と言われて、あなたはどんな内容を想像しただろうか。何人かの若者は顔を隠している。顔を隠していない者は発言していない。顔を隠して、何なら姿も映っていない若者が「なぜドイツを恥だと思わなければならないんだ?」と抗議する。これに対して「祖国のために戦ったことを恥だとは思っていない。しかし、何の罪もない人たちが尊厳のないやり方で殺されたことは間違いだった」と猛然と言い返す。彼らの懊悩はこのレベルではないことがよくわかる。「なぜ君たちは顔を隠してる?。卑怯じゃないか」とも。この若者たちが顔を隠さなければならない時点で、これはもうお話にならない。
 その一方で、ナチズム自体を間違っていなかったと主張する人もいる。思想として間違っていなかったと。そういう人でもホロコーストは断罪する。ちなみに、この映画の中には、ホロコーストはなかったとか主張する人は出てこない。ホロコーストを正しかったという人もいない。しかし、彼は「どこかへ移住させればよかったんだ」という。彼の主張には危ういものを感じた。ホロコーストは実はそうやって始まったからである。ナチの最初の計画では、ロシアか、さもなくば北アフリカのどこいらかにユダヤ人を追放するつもりだったはずだし、ユダヤ人の中にはそれでもいいと思っていたひともいたらしい。その計画は頓挫した(その結果のホロコーストであった)が、この思想をユダヤ人の側から発想するとそのままシオニズムになる。それが今のパレスチナ問題につながっている。
 イスラエル建国はパレスチナからしたら侵略以外の何物でもないはずだが、素知らぬ顔でそれで長年のユダヤ人差別の贖罪を済ませた気持ちになっているヨーロッパの人たちは、この元ヒトラーユーゲントの老人と同じ考えだとおもうのだけれどどうなんだろうか。 
 もし、ナチがイスラエル建国に成功して、そこにユダヤ人たちを移住させていたとしたらどうなっただろう。虐殺は優生思想からなる障害者、また、同性愛者、退廃芸術家など、ホロコーストよりは小規模の虐殺にとどまったはずである。その時、私たちは今のようにナチズムを非難しているだろうか?。というより、今、私たちは、パレスチナの差別をどのくらい非難している?。ウイグルは?。チベットは?。
 こうして問題は現代に繋がってくる。ひとりのインタビュイーが戦後米兵がやってきた時の話をしていた。ある米兵が元ヒトラーユーゲントの一人に尋ねた、「ナチスが残虐行為をしていたのを知っているか?」「ああ、もちろん知っていたよ。」と言うと米兵が握手を求めてこう言った。「ありがとう、ナチの残虐行為を知っていたというナチスは初めてだよ。」と。
 これは小噺かもしれない。ただ、当時まだ10代だった彼らのほとんどはほんとうに知らなかったと言って間違いではないだろう。しかし、うすうすは知っていた。あるいは知ろうとしなかった。そのことが罪なのかどうか、彼らはそのことをずっと問い続けて生きてきただろう。
 皮肉には、最近の報道によると、自民党の多くの議員が、統一教会について「知らなかった」と発言しているそうだ。中でも福田達夫という自民党の総務会長は「何が問題かわからない」のだそうである。米兵が握手を求める自民党議員は出てきそうにない。彼らが10代の若者なら後に言い訳も立とうが。
 確かに、こういう政治家を動かすにはテロがふさわしかったのだろう。ちなみに、安倍晋三の著書『美しい国へ』の出版される2年前に出版された、統一教会初代会長の遺稿集のタイトルが『美しい国 日本の使命』だったそうである。


www.youtube.com


www.youtube.com

finalaccount-movie.blogspot.com

政権がカルトに汚染されないためには

 この統一教会問題がいつごろ飽きられるのかわからないが、この問題が解決されず有耶無耶な状態で放置されるのであれば、改憲の可能性はかなり低くなったと言えるだろう。というのは、統一教会との関係が「何が問題かわからない」政党に憲法をいじってもらいたくないのが、まともな国民だろうから。
 統一教会日本会議創価学会がつくる憲法を押し付けられるくらいならアメリカに押し付けられた憲法の方がいくらもマシに違いない。それこそ今の憲法の何が問題かよくわからない、カルトに憲法を押し付けられるに較べれば。
 今回のことは、日本の選挙の歪さを知らしめた。結局、政治家は、選挙の票集めのためにカルトと結託する。カルトに洗脳された奴くらいしか選挙に行かないだろうと思っているわけだ。そして現状は、それが正しいと結果が物語っている。そういう政治家の集まりであれば、投票率がなるべく低くあってくれと願うのも当然だ。そういう彼らが民意のために働こうと思うわけがない。ひたすらカルトのご機嫌を取ろうとするはずだ。こうして政権がカルトに汚染されていく。
 一方では、これは選挙に行かない国民が招いた結果だと言える。ひとつの解決策としては、投票率90%以下の選挙は無効にして、投票にいかない国民には高額の罰金を課す仕組みに変更することである。選挙に行けばその罰金は発生しないのだから、かなり高額でいい。本来、投票は義務化されていいはずだが、それがされないのは政治家がそうしたくないからである。それ自体が民主主義に対する裏切りなのである。
 政治家が、カルトに「選挙を手伝ってもらってる」こと自体が恥ずかしいことのはずなのに、よくそれを平気で口にできるものだ。もし志があるなら、カルトに頼らずとも、自分の政治理念に賛同する政治団体くらい自分で立ち上げられるはずだ。それを考えると、色々批判はあるものの、維新や令和はいくらもマシである。大阪は維新に支配されているみたいなことをいう人がTwitter界隈にいるけれど、東京はとっくに創価学会に支配されている。実効支配されている。そのことに気づいていないのが恐ろしい。
 令和は、原発事故の時に盛り上がった人たちがその背景にいると考えたい。カルトに汚染されないまともな政治団体を育てていくことが、地道ながらこの問題の一番の解決策だと言えるだろう。古い政党は、与党に限らず、選挙のことを考えて宗教団体を批判できない。それが統一教会日本会議創価学会をここまでのさばらせてきたわけだから。
 

統一教会問題は改憲論のノイズ

 辛坊治郎さんのYouTubeでの議論の推移を見ていると面白い。 
 7月12日、「看過できない朝日新聞素粒子」安倍元首相を揶揄」ってところ、安倍首相と統一教会とのつながりについて、こんな程度の認識で済ませようと思ってる人は現時点では多分いない。
 いちばん違和感を覚えるのは、「この程度のことは当然知ってるはず」という発言で、暗殺事件が起こった以上、ちょっと軽々しい発言じゃないだろうか。今までの認識がそうだったとしても改めて掘り下げてみるべきと誰もが思ったでしょう。それに、元首相がカルトの式典にメッセージを贈るってことだけでも、そんなどうでもいいこととは思えない。
 ただ、これが、7月18日には「人がひとり亡くなっている、人としてどうなのか朝日新聞川柳」という、要するに、情に訴える内容になり、7月20日には「議論をしようよ朝日新聞さん」と、呼びかけになり、7月27日には、もう章立ての中にもないので見逃しそうだが、
「このタイミングで、自民党統一教会の関係を言えばいうほど、殺人者の思惑通りになるので抵抗感があるのだけれども」
と言いつつ
「今回の事件がこの国で起きていたことをあぶり出す形になったことは否めない」
と発言している。
 7月12日時点では「おじいちゃんの知り合いの寄り合いにビデオメッセージを送っただけ」みたいな言い方だったのだから、これは事実上の発言撤回なんだけど、そう思わせない感じの言い方にしているのはさすが。ちゃんと撤回するだけ、今の政治家たち、あるいは報道関係者たちの中でも、飛び抜けて誠実だと言えると思う。それに、暗殺直後の報道で統一教会の名前が出ていないことを真っ先に批判したのも辛坊治郎さんだった。たぶん「朝日新聞憎し」の思いで変な具合になったんだろうと思う。
 立命館大学に山上徹也を義士と顕彰しようというビラが貼られて話題になったが、この統一教会問題の広がりを見る限り、結果的には義士と呼んでも別に間違いなさそう。
 自公政権は、日本会議創価学会、つまり、日本を破滅に導いた国家神道日蓮主義の再結託だと理解していたのだけれども、それに統一教会まで絡んでいたとなると、戦前よりさらに悪い。
 奇しくも今度の参院選で、改憲勢力が発議の条件となる3分の2(166議席)を維持して、岸田首相も「発議できる案をまとめる努力に集中していきたい」と語っていたのだが、統一教会関連団体の改憲案が自民党改憲案と瓜二つという記事がバズったりして、国民の間で(普通の国民の間で)、盛り上がってきた真面目な改憲論議、それは集団的自衛権などの議論を通じて、健全な政治論として醸成されてきた改憲の議論に、今回の統一教会問題は、水を差したという程度ではなく、軌道を狂わせるノイズを加えてきたといえるだろう。
 普通の国民は、ポスト冷戦の防衛問題として改憲論を交わしてきたはずだった。しかし確かに「家族は社会の自然かつ基礎的単位」などという条項は、いつの間にか混入していた感があった。防衛問題と何の関係もないからである。それがまさか、統一教会の案件であったとは。
 国民がまじめに憲法について議論してきたのに、実は、カルトが改憲を裏回ししていたとなれば岸田首相の言うような「発議できる案をまとめる」なんてことはとてもできそうに思えないが。
 


www.youtube.com

↑ この発言が ↓ こうなる。

news.yahoo.co.jp

www.jcp.or.jp

kogotokoub.exblog.jp

www.nikkan-gendai.com


news.yahoo.co.jp


www.fnn.jp

 

「反キリスト者」 - ルサンチマンについて

 先週末はニーチェの「反キリスト者」を読んでいた。短いので読みやすいが、体系的に理論武装されてるわけではないので、断章的に取り上げて、悪意を持って批判しようと思えばそれで済ませられる。
 ましてや、これが出版された1895年(明治28年、まだ日清戦争も起こっていない)なら、近代=ヨーロッパ=キリスト教と世界中が思い込んでいた時代と言えるだろうから、ニーチェのこの激しいキリスト教批判が、まともに取り合われなかっただろうことは想像に難くない。
「この書物はごく少数の人たちのものである。おそらく彼らのうちのただひとりすらまだ生きてはいないだろう。・・・」
と、序言の冒頭にある。絶望ではなく確信を感じさせる言葉だ。
「人は、私の真剣さに、私の激情にだけでも耐えるために、精神的な事柄において冷酷なまでに正直でなければならない。・・・政治や民族的我欲の憐れむべき当今の饒舌を、おのれの足下にながめることに、熟達していなければならない。」
 近代化=キリスト教化と、本気で考えられていたこの時代、日本でも、内村鑑三や植村正久の指導で多くの改宗者を出した。例えば国木田独歩、たとえば正宗白鳥。それでも、日本はキリスト教化されなかった。というか、国木田独歩や、死の直前に洗礼を受けた正宗白鳥でさえ、キリスト教に帰依したと言えるかどうか疑わしい。
 志賀直哉は『暗夜行路』の主人公に
「もし今一人の牧師が自分の前へきて『心の貧しき者は幸いなり』といったら自分はいきなりその頬をなぐりつけるだろうと考えた。・・・心の貧しい事ほど、みじめな状態があろうかと思った。」
と言わせている。芥川龍之介が憧れた志賀直哉の健全さはこれなんだろうと思っている。芥川龍之介も「おしの」という短編で似たようなことをやろうとしたがうまくいってない。
 ニーチェが、当時、キリスト教化を近代化と同じと考える傲慢を「民族的我欲」にすぎないと断罪していた、とは言い切れないが、仏教とキリスト教を比較している箇所を読むと、少なくともキリスト教を絶対視していないことは明らかである。因みに少し遡ると、ゲーテは仏教をうす暗い神秘主義と捉えていたふしがあった。ただし、ゲーテが仏教と比較したのはキリスト教ではなく、ギリシャ哲学だったが。
 今日的な目で見れば、仏教よりキリスト教の方がよほど神秘的に見えるはずだ。少なくとも、啓示宗教であるという点だけからも、キリスト教の方が神秘的でなければならないはずだ。
 それこそ東洋人の「民族的我欲」から、仏教はキリスト教より優れているなどと言いたいわけではない。そうではなく、ゲーテですらただの神秘主義と思っていた仏教を、キリスト教と同列に比較してみるといった「精神的な事柄において冷酷なまでに正直」なニーチェの態度は、今日にあっても持てない人が多いだろうと思うのだ。
 日本には、近代化とともにキリスト教を受容しようと格闘した、優れた先達の例がいくらもある。そのおかげで、私たちは仏教もキリスト教も相対化することができる。「足下に」眺めることができる。しかし、それはようやく今だからできるというべきだろう。戦前戦中、民族主義の熱に浮かされた時代の日本人にはそれはとても期待できないはずである。
 それを19世紀末、ほとんどキリスト教が絶対視されていた時代にやってのけたニーチェには感嘆する。「おそらく彼らのうちのただひとりすらまだ生きてはいないだろう。」という序言の一節は、その後の100年に世界が被ってきた苦難の歴史を考えるとおそろしく重い。目を背けたくなるような殺戮の歴史を経てこなければ、私たちはニーチェの「真剣さ」と「激情」に耐えられなかったのである。
 この本を読んで初めて、ニーチェルサンチマンという言葉を理解できたと思う。韓国のキリスト教化は、まさしくそのキリスト教理解の正しさを立証しているように見える。
 たまたま、この本を読んでいる最中に、安倍晋三氏暗殺が統一教会と関連しているらしいニュースが流れ始めた。そのために、まるで意味のある偶然のように、そこだけがハイライトされてしまうのに注意しなければならないが、韓国のキリスト教化は、ローマ帝国統治下でキリスト教が成立する過程のごく小さなミニチュアに見える。これはまたそれほど日本の統治が酷かったという裏返しでもあるが。
 ローマ帝国に祖国を滅ぼされたユダヤの民の中からキリスト教は生まれた。国を滅ぼされる以前は、ユダヤの神も、ギリシア神話の神々や日本の神道の神々のように、気まぐれで理不尽な自然神であった。

 それが、民族の完全な敗北によって屈折してしまったのである。人類史には、そうして完全に滅び去った神々も多数いたはずである。ユダヤ教が生き延びたのは、ローマ帝国が寛大だったからだとさえ言える。たとえばユダヤ人自身が「約束の地」と呼んでいるイスラエル

 神はイスラエル人にこう言った。「あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ベリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼしつくさねばならない」(申命記20章16節〜17節)

 聖書によれば、

イスラエルの神、主が命じられたように」(ヨシュア記10章28〜42節)ユダヤ軍が、リブナ、ラキシュ、エグロン、ヘブロン、デビルの町々、山地、ネゲブ、低地、傾斜地を含む全域の「息のあるものをことごとく滅ぼしつくした」

とある。ローマ帝国イスラエルより残虐だったわけではない。

イスラエルの歴史は、自然の価値からすべてその自然性を剥奪する典型的な歴史として貴重である。

ニーチェは書いている。
 イスラエルも、もともと、とくに王国時代にはすべてのものと自然な関係を保っていた。エホバがイスラエルの神であるとは、イスラエルの人々の希望であり、歓喜であり、勝利であり、救いでもあり、力である、つまり正義の神だったのである。そうした自然な関係性、他の全ての民族と同じような自然と暮らしとの関係の中から培われた神への思いが、他の民族の侵入によって壊れたとき何が起こったか?。もはや以前なしえたことのひとつとしてなしえない神は捨てられたか?。そうではなく、不幸は罪に対する神の罰だということになった。
 私たちの今知っている宗教の姿がここに生まれているのが見える。教会が、僧侶が、原罪が、殉教が、ここから生まれてくるのが手にとるようにわかる。
「いわゆる「道徳的世界秩序」という欺瞞きわまる解釈の手法にほかならない。報いと罰とで自然的因果性が世界から除去され」
気力と自己信頼の霊感であった神に代わり、「要求する神」が現れる。
「万事に対する「悪意のまなざし」としての道徳。」

神の概念は偽造され、道徳の概念は偽造された、(略)その証拠として残されたのが聖書の大部分である。(略)言いかえれば、その過去を、エホバに対する負い目とそれに応ずる罰という、エホバに対する敬虔とそれに応ずる報いという愚にもつかない救済のからくりにでっちあげてしまったのである。

 これを読んでいて想起してしまうのは、日本人が仏教を受け入れたときの、本地垂迹神仏習合のしたたかさである。もちろん、それが定着するには長い時間がかかったし、仏教に主流とは誰も考えていないのだが、一般大衆のレベルでは、神と仏は完全に一体化した。除夜の鐘を聞いたその足で初詣に出かける、ジョークのように言われることだが、実のところ、日本という国が形作られる前から、自然に信じられてきた神と人間との関係を連続させるためには神仏習合は欠かせなかった。
 中沢新一神仏習合について

・・・鎌倉新仏教にばかり目を奪われていると、日本人の精神史に起こった、このような重大な飛躍を、私たちはうっかり見過ごしてしまうことになる。

と書いている。
また、白州正子は

・・・当時の仏教が、外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に、影響を及ぼすに至らなかった、その間隙を縫って、民族の中に生きつづけたほとんど思想とはいいがたい本能的な力が、ある日突如として爆発した。

と書いている。
 法然親鸞道元といった人たちの思想は確かに重要に違いないが、そもそも民族と共にあった神とは、それとは次元が違ったのである。
 そう思うと、廃仏毀釈とそれに続く国家神道は愚かだった。日本人の自然な道徳基盤を毀損し、ありもしない神をでっち上げたという意味では、確かに、ニーチェキリスト教について言っていることと似ている。イスラエルと違って、国が滅ぼされたわけではなかったのに、一部の人間が、ことの重大さを理解せず政治利用を考えたのかもしれないし、あるいは、江戸時代から胎動し始めたナショナリズムの史観で歴史を書き換えられると考えたのかもしれない。
 いずれにせよ、ほんとうに国が滅んだ後の国家神道は、ままニーチェの言うことが当てはまる。まさにルサンチマンの道徳(?)いや、もっとひどいのか、悪くともキリスト教は2000年文化を育んだわけだが、国家神道は、国が滅んでから100年も経たず、いまだに暴力でなんとか従わせようと躍起になっているだけだから。
 ここで、日本の政治状況の奇妙なねじれが見えてくるだろう。
 統一教会の教義は、ルサンチマンと言ってもいいかしれないが、というよりわかりやすく恨みつらみだろう。日本人から献金を巻き上げて韓国に送金するカルトが、日本の極右である安倍晋三と祖父の代から協力関係にある。すると、何故この人の政権下であんなにも日韓関係が冷え切ったのか不思議になる。
 慰安婦問題をめぐっても不思議なねじれが見える。慰安婦の存在が人権問題であるについて何の異論もない。しかし、これがなぜ日韓関係の問題なのかわからない。日本人の慰安婦もいたし、韓国人の兵士もいたのだ。慰安婦問題に関してなぜ韓国人が自分達が被害者だと思っているのかは、分からないというより、わかりすぎる。慰安婦問題は韓国の極右である挺対協の主張にすぎないが、これをなぜか日本の左翼が支持している。ありもしない対立軸で泥試合をしているので庶民の心が離れていくのだろう。
 やっぱり目の前の事件に引っ張られて話が少し政治寄りになった。
 「悪とは何か?。弱さに由来する全てのもの」という一節がずっと気にかかっている。「弱さは悪ではない、悪こそ弱さだ」と左翼は言うだろう。また、「強さこそ正義だ、弱さは悪だ」と右翼は言うだろう。私はどちらも正しいと思えない。これではお互いが「お前が悪い」と罵り合ってるにすぎない。
 できれば自分の心の弱さを克服したい。しかし、弱さを克服したと思った途端に実はそれこそ弱さだったということになりたくないのだ。ニーチェににとって悪は二種類あったそうで、ここで言われている悪は「schlecht」で「böse」とは区別して使っていたらしい。それについてどう書いているのか知りたいと思う。
 
 

『ツユクサ』

 予告編にリンクしたら、この映画の公開は4月29日だ。今さらレビューを書くのも憚られる。コロナ禍以来、遠くの映画館に出かけなくなった。本厚木に映画館ができたのも大きい。このくらい遅れるんだけど、観たい映画はだいたいここまでやってくる。
 小林聡美主演映画を観るのは久しぶり。『かもめ食堂』、『めがね』、『プール』、『東京オアシス』と立て続けに観た。特に、『プール』は、ライフタイムベストに入るくらい好き。ちなみに、NHKでやってた『17歳の帝国』というドラマでやってたランタン祭りを日本で最初に紹介したのは多分『プール』だと思う。
 『かもめ食堂』、『めがね』、『プール』は三部作的に捉えられがちらしいけれども、実はそれぞれ全然違う。『かもめ食堂』は、群ようこ原作で、この人はもともと椎名誠さんの『本の雑誌』で働いていた人だったんじゃないかと思う。だから、というのも変だけれど、椎名誠の「オフ文壇」な感じ、エッセーかな、小説かな、実話かな、フィクションかな、みたいな、今よりもう少し人と人との距離感が適切で、社会が軽やかだったころの雰囲気によく合っていた。一時期は、わたしもよく読んでいたように記憶する。
 一方『プール』は、原作が桜沢エリカ、監督、脚本は大森美香なのである。原作、脚本、監督が違う映画は全く違う。だのに、これら三作が三部作みたいに言われるのは、やはり小林聡美がスターだからなのだ。小林聡美は、どの映画を見ても小林聡美でしかない。サミュエル・L・ジャクソンニコラス・ケイジと同じくスターなのだ。
 私はその後の『東京オアシス』も好きなんだけれども、これがどこかのレビューサイトで『かもめ食堂』以来のファンにけちょんけちょんに酷評されてたのを見て驚いたことがある。あまりにもひどかったのでちょっと口出しした。
 『かもめ食堂』、『めがね』、『プール』までは観光映画と思って見ればそう見えないこともなかった。それが、『東京オアシス』になると東京を出ないし、あれ?、これ違う映画だぞって気づいたんだと思う。『寅さん』を見にきたら今回の寅さんは旅に出ないじゃないか、とか、水戸黄門の映画だと聞いてきたのに、『大日本史』編纂してるじゃないか、とか、何かそんなことだったんだろう。でも、それで怒ることある?。気持ちがわからない。
 たしかにあれでちょっと鼻白んだってところはあったかもしれない。作り手側も、あの酷評は応えただろう。ともあれ何となく気分がぼやけた。
 久しぶりの小林聡美はやはり小林聡美以外の何者でもなく、順調に年を重ねていた。今回の役は、小林聡美のようなスターにやってもらうのがよかったのかもしれない。というのは、1億分の1の確率で隕石にぶつかった女性って役作りは難しそう。その意味では、小林聡美というパブリックイメージが機能したかもしれない。でも、『漁港の肉子ちゃん』で声優を務めた大竹しのぶだったらどんな風だったかなとか、安藤さくらならどんな風に演じたかなとか夢想してみるのもいいかもしれない。
 ただ、平山秀幸監督によると、小林聡美の起用は『閉鎖病棟』の時に決めたそうだ。それからもわかるように、じつはこれは10年以上温めてきた企画だった。発端はかぐや姫(フォークグループの方)の「神田川」を映画化しようとしていたそうだ。高橋恵子草刈正雄で映画化されたことがある、あれのリメイクってことなのかどうかわからないが、これは頓挫してしまった。その時の脚本家の安倍輝雄さんが代わりに出してきたシナリオだったそう。もし10年前に実現していたら、松重豊の髪はあんなに白くなかったろうから、それはそれでいいタイミングだったとも言える。
 「どこにでもある大人のおとぎ話」とキャッチコピーされているが、「どこにでもある」なら「おとぎ話」ではないわけで、10年熟成された苦味は底の方に漂っている。
 コメディとして秀逸なのは、江口のりこ桃月庵白酒の恋愛で、サーフィンする坊主は小林信彦の「オヨヨ」シリーズを思い出させた。
 俳優としての泉谷しげるを見られたのもうれしい。主題歌が中山千夏の「あなたの心に」なのはさすがに古すぎやしないかとも思ったが、古すぎて誰も知らないので新曲と同じかも。
 日本映画は予算で階級わけした映画祭があれば低予算クラスではかなりの部門を制覇すると思う。ただ、低予算映画は重箱の隅が目立つきらいはある。この映画だと後半部分が少し端折ったというか、図式的になったように思えた。主演のふたりが東京に行くあたりの行程にもう一工夫ほしかった気がする。キーになるセリフがあるのだけれど、それが少し浮いているように思ったが、どうでしたでしょうか?。


www.youtube.com

弓削田眞理子さんの話

 「激レアさんを連れてきた」に、マラソンで60歳を超えて3時間を切る世界でただひとりの女性という弓削田眞理子さんが出ていた。
 うっかり忘れてしまいそうになるが、弓削田さんの若い頃は、まだ女子マラソンという競技自体が生まれたばかりだった。弓削田さんは日本の女子マラソンの草分け佐々木七恵さんの二つ下くらいだろう。24歳の初マラソンの記録が3時間9分21秒。ネットで調べると佐々木七恵さんの初マラソン記録が3時間7分20秒だそうである。弓削田さんは、しかし、その後の記録が伸びず、26歳で結婚後、競技生活から離れた。
 子供に手がかからなくなってマラソンに再挑戦を始めたのは52歳だったそう。そして58歳で初めて3時間を切り、61歳、62歳と記録を更新し続けている。36年かけて自己ベストを更新した。もちろん結婚後もトレーニングを続けてきたのである。
 そのモチベーションを支えたのは、初めての子供がお腹にいた1984年、ジョーン・ベノイトというアメリカ人女性が、五輪初の女子マラソン金メダリストになったレースだった。弓削田さんは大きなお腹を抱えて、真夜中のテレビでそのレースを見ていた。
 今年の4月、ボストンマラソンの記念大会に招かれた際に、弓削田さんはジョーン・ベノイトと初めて対面した。
 その時を回想しながら弓削田さんが語った言葉で、意外でもあり印象的でもあったのは、結局、26歳のあのとき、「自分は結婚に逃げた」というところだった。ストーリー全体を振り返ると、「逃げた」といえるようなところはどこにもないように見える。トレーニングを続けて、恋をして結婚して、教職を続けながら子育てをして。しかし、ベノイトさんのレースを深夜のテレビで観ながら、弓削田さんが噛みしめていたのは、「自分は逃げた」という思いだったのである。
 聖書の楽園追放のオチに、楽園を追放されたアダムとイブにはそれぞれ罰が与えられたとなっている。いわく、アダムには労働が、イブには妊娠が、それぞれ罰として課せられた。その罰に、私たちは易々と逃げ込むようである。女は結婚に、男は仕事に、逃げ込むのではないだろうか。そして、おそらくは誰ひとりとして、それを逃避だとは思わない。むしろ、自分は頑張っていると思うだろう。
 そんな中で、弓削田さんはただひとり、深夜のテレビの前で「自分は逃げた」と思ったのである。それが、その後の彼女を支えるモチベーションになった。一度逃げた場所からもう一度戻ろうとする、そこには途方もない距離が見えたのではないか。ボストンでベノイトさんと出会ったときの感動は、長い旅のゴールに似た感動だったのではないかと思う。気の遠くなるほど長いマラソンを走り、勝利を報告するアテナイをようやく見つけたのだった。