六本木ヒルズの森美術館で、「幽体の知覚」と題し、小谷元彦の展覧会が開かれている。
小谷元彦は、例の「ネオテニー・ジャパン」に名を連ねていたひとり。
多くは造形作品で、その多彩さには圧倒される。
<ニューボーン>、<ファントムリム>、<ホロウ>などの白い作品が気に入った。
ホロウは、‘プレデター’が、人体でモビール細工を作ったみたいな作品。スカートの中をのぞいてみたけど、そこまでは作り込んでなかった。
結局のところ、わたしたちは、「永遠」という言葉に、あこがれを抱きつつ、欺瞞を嗅ぎとっている。私たちが不完全な存在である以上、それは、どんな高い次元でも同時に起こる。
私たちの美という感覚は、永遠を形にとどめようとしながら、形を破壊し続けようとする。
どんな形も破壊の予感を含んでいる。
日本人の美の感覚は不思議なのかもしれない。たとえば、日光の陽明門など、完璧を避けるために、わざと一本の柱を逆さまにする、なんていうことが、日本人の感覚としては、私はわかると思うのだけれど、外国人にはこれがわかるのだろうか。この、永遠に完成すまいとする、未完成を志向する感覚。
スカートの中をのぞくみたいな下世話なことをしておいて、こういうことを言うのも説得力に欠けるのだけれど、井戸茶碗の‘梅花皮(かいらぎ)’を愛でる気持ちと、ホロウの皮膚がはがれていく表現とは、その意味では共通しているのかもしれない。