今年も去年と同じく花見できないので

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新宿 常圓寺の桜

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ちるがうへにちりもまがふかさくらばな かくてぞこぞのはるもすぎにし

 去年の今頃にもこの紀貫之の歌を紹介していた。その時はきっと今年の春にはコロナ禍が収まっているのだろうと思ってたわけ。事実はそうならなかった。
 改装なったSOMPO美術館にピエト・モンドリアンを観に出かけた、その帰りに、雨が小止みになり、歩道橋の上からこの桜が目に入ったのでちょっと立ち寄った。常圓寺というお寺。
 コロナ禍でなければ、新宿の街中にこんなお寺があると気が付かなかったと思う。

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便々館湖鯉鮒の狂歌の碑

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 便々館湖鯉鮒という狂歌師の歌碑があった。太田蜀山人の揮毫で

三度たく米さへこはしやはらかし 思ふままにはならぬ世の中

と、この人の代表作だそうです。

『DAU.ナターシャ』と『ノマドランド』の続きと『秘密への招待状』

 ロシアの映画なんだけど、『DAU』っていう壮大なプロジェクトのほんの一部がこの『DAU.ナターシャ』なんだそうで、見た感想としては、たぶん他の監督なら、15分か20分くらいに縮められたと思う。くどい。
 ところで、『ノマドランド』について町山智浩が語ってるYouTubeがあった。と言っても、たまむすびなんだけど。

www.youtube.com

 なんでAmazonなのかなと思ってた。原作にはあるんだろうけど。Amazonの倉庫が、ど田舎もど田舎にあるのね。それで、彼らのような車上生活者季節労働の職を得るんだ、なるほど。その代わり駐車場に泊まっていいよっていう、割りのいいトレードとも思えないけど。
 ただ、わかる気がするのは、石の話。石が出てくるんですよね、映画に。ただの石に感動できるかどうかなんだけど。石に感動する人がお金に執着しないのは当然ですよね。
 ところで、こないだの『わたしの叔父さん』に出てたあの叔父さん、主役の女の子のほんとの叔父さんだったそうだ。それにしちゃすごくいいお芝居だった気がする。
 それで、その時ちょっとふれた『アフター・ウェディング』のハリウッドリメイク『秘密への招待状』を見た。
 ジュリアン・ムーアとミシェル・ウィリアズが主演なんだけど、元々のデンマーク版ではこの役は男性だったらしい。それを女性に変えたのが無理だったと思う。設定のところで「え?」というモヤモヤがずっと残る。
 デンマークと言われても、アンデルセンハムレットしか知らないと書いたけど、もうひとりマッツ・ミケルセンがいたわ。『アフター・ウェディング』ではミシェル・ウィリアムズの役をマッツ・ミケルセンがやったそうです。

あちこちオードリーの今田耕司

 あちこちオードリーが深夜からすこし浅い時間帯に移動する最後の週に今田耕司がゲストに来ていた。
 ごっつええ感じの裏話とかは、今までのゲストの話とはちょっとレベルが違う感じがした。例えて言えば、日本映画全盛期のスターの話を聞いている感じ。
 「イタかった」と自虐していたが、当時、坂本龍一が「日本のテレビが一番面白い」と言って「ごっつええ感じ」に出てた時代、いきおいエッジが効いていた。表舞台で面白い分、楽屋話では笑えないのかも。面白いんだけど、笑うとかじゃない感じはあった。
 佐久間宣行がテレビ東京を退社してフリーになる。ラジオで言ってたのはキアヌ・リーブスのセリフ「違うだろ。大切なのは、答えのない人生を生きる勇気だろ」だった。
 勇気で判断すべきところを正義で判断するとイヤな感じの生き方になる。確かにそうだと思う。

『ノマドランド』

 「ノマド」という言葉が今ほど一般的でなかったころ、フランスに留学していた須賀敦子が「あなたはほんとにノマドね」と言われて戸惑ったと書いてあった。
 日本は「ムラ社会」と、よく言われるが、そうしたムラ社会に暮らす村人だけでなく、旅人、マレ人、杣人、と言われる、ムラ社会の外の住人の存在を、社会はずっと、時には敬い、時には畏れつつ受け入れてきた。それは瞽女であったり、聖であったり、僧であったり、行者であったり。柳田國男が「山の人生」で描いたような人たちもそこにカテゴライズされるのかもしれない。
 ムラ社会であっても、その外側に住まう人たちのことが常に意識されていたのであれば、全てを画一的な価値観で絡め取ってしまう今のムラ社会よりはるかに風通しが良かったかもしれない。村人の社会が行き詰まったとき、その外側の人たちの生き方が浮かび上がってくる。
 今まで数多くの名作に出演してきたフランシス・マクドーマンドの新作は世界中で話題になっている。
 まずびっくりするのは、この映画は単なるフィクションではなく、トルーマン・カポーティ風に言えばファクションというやつで、原作はジェシカ・ブルーダーって人が書いたルポルタージュである。実際、主要な出演者の何人かは、そのルポに出てくる、そういうノマドとして暮らしている人たちで、この人たちの言葉がすごく魅力的。そして、そうしたホンモノに混じって存在感を発揮するフランシス・マクドーマンドがすごい。
 こないだ『人新生の資本論』って本を紹介したとき、デヴィッド・グレーバーの『ブルシットジョブ クソどうでもいい仕事の理論』にちらっとふれたが、あの世界観からこの『ノマドランド』の世界観にあっという間に接続する。そういう人たちが現に存在して、そしてそれが本になって、今度また映画になるっていう、そこがやっぱりアメリカのすごさなのかも。
 ヒッピームーブメントがインターネットを生んだのは有名なんだけど、ヒッピームーブメントたけなわのころにだれがそれを想像したろうか。
 こないだの議会襲撃はアメリカ社会の信頼を揺るがしたと思う。その一方でこういう作品が生まれてくる。
 日本人は社会制度を変えるのが苦手なのか、教育勅語の復活とか、もう一回オリンピックと万博やろうとか、後ろ向きなことばかりやってる気がする。

searchlightpictures.jp

ノマド: 漂流する高齢労働者たち

ノマド: 漂流する高齢労働者たち

『わたしの叔父さん ONKEL』すこしネタバレ

 デンマークの映画と聞いて思い出すのはただひとつ『GUILTY』だけなんだが、なかなか日本にまで流れてこない国の映画なだけに厳選されているってことなのかなぁ。デンマークって、アンデルセンハムレットしか思いつかんが。ただ、2006年の『アフター・ウェディング』っていうデンマーク映画がハリウッド・リメイクされたそうだ。来てるのかも、デンマーク映画
 『わたしの叔父さん』は東京国際映画祭でグランプリを受賞していて、その時の審査員長がチャン・ツィーだったそうだ。そういうこと全部ひっくるめていい感じ。
 監督はフラレ・ビーダセンという人。80年生まれというから40歳。脚本もこの人が書いている。独特のユーモアで間合いがすごくいい。フライヤーには、同じ北欧ということもあり、アキ・カウリスマキと比較されていたが、わたしだけの感じ方かもしれないけど、カウリスマキのギャグって間は外すじゃないですか?。フリがないっていうか。この映画はその点きちんとしてて日本のお笑い好きにも親しみやすいと思った。
 ただ、主人公は笑える状況ではない。実の父が自殺して身寄りのなくなった主人公を引き取って育ててくれたのが叔父さんなんだけど、その叔父さんも身体を悪くして主人公が進学を諦め牧場を手伝わなくてはならなくなった。主人公と叔父さんの感情は、だから、複雑。お互いにすごく気遣っている。そして、お互いに気を遣わせまいとしている。そのシチュエーションがあるのでたくまざるユーモアが生まれる。
 ただ、シチュエーションを遊ぶコメディーに終らない。ひとりも悪役が出てこないだけに、ラストはすごく怖いと思った。
 こここらはネタバレになるけれども、ラストで、主人公と叔父さんが毎朝の食事中に見ていたテレビが壊れる。それまで淡々と伝えていたニュースは、アフリカからEUに押しかける難民のニュース、北朝鮮の核開発のニュースなど、それまでは、お互いの気遣いをまぎらわすためにテレビに視線を向けていただけって感じだったのだが、そのテレビが突然壊れたことで、叔父さんが主人公にとっての難民や北朝鮮になったかのような気がしてしまう。
 それまでずっとTVニュースに字幕がついていたのがここで生きる。ていうかふつう朝食の時に流れてるTVニュースに字幕なんか付けないのだから、これは狙いだったのだ。
 日本映画ならこんなオープンエンディングにしないと思う。中盤のほっこりした感じがすごくいいのだから、結末にもう少し明るい未来を望ませて終わらせたくなるのではないか。もちろん、明るい未来もまだまだ可能だと思うのだ。ただ、映画がそれを提示しないので、観客には、難民や北朝鮮の問題と同じ地平にこの映画の2人が並べられてしまう。
 2人の善意と隣人の助けだけではどうしようもならないとしたらどうすればいいのか。そういう一瞬の戸惑いで鮮やかに映画を切り上げるエンディングが見事だったと思う。ほっこりした2人の関係は変わらないと思うのだけれど、あの一瞬に何かが覗いてしまった。目を背け続けるわけにいかないという覚悟の芽生えみたいなものとともに映画が終わる。

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与謝蕪村展

 ジョン・コンスタブル展にちょっとモヤモヤしたので、勢いで府中市美術館に与謝蕪村を観に出かけた。府中市美術館は予約制にしていないので、こんな具合にコロナ禍以前の訪ね方ができる。
府中市美術館の桜

 これはカンザクラだけれども、今年も東京では、都市排熱で沖縄より早く桜が咲く。その歪さ、人間の活動が自然を簡単に変えられてしまうおそろしさ。東京の開花宣言を聞いて、グレタ・トゥンベリなら怒り狂うだろう。私たちも少なくとも泣くべきなのだろう。サンドウィッチマンは、東日本大震災のとき東北にいて、「津波見に行こうか?」とか言ってたとか。たまたま一緒にいた誰かが「今回のはちょっと揺れが大きいので一応逃げましょうか?」って言ったそうだ。そんな風に今わたしたちは東京のソメイヨシノを見ている。「沖縄より東京の桜が早いなんてちょっとおかしいですよ」と誰かが言ったとして、私たちは誰も逃げない。死ぬのはグレタ・トゥンベリの世代だし。

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 これは今回の展覧会のキービジュアルに使われている蕪村の絵の一部。蕪村の五、六十代の頃の絵だそうだが、画題は彼がまだ二十代後半だった頃の実体験で、秋田の九十九袋という里に宿したとき、夜中に何やらごとごと音がするので起き出してみると、古寺の庭で老人が麦をついていた。日中の暑さを避けて夜作業をしている。蕪村もひとしきり月をめでて老人に名を尋ねると卯兵衛という。
 涼しさに麦を月夜の卯兵衛かな
と句が添えられている。
 月夜に麦をついていた男の名前がたまたま卯兵衛だったっていうおかしみ。
 コンスタブルと比較する必要はないけれども、写実は確かに大事には違いないが、東洋の絵画はそもそもそこを目指していないってことを再確認する。

 室町時代水墨画のコレクターとして知られているピーター・F・ドラッカーは、西洋の風景画がディスクリプションであるのに対して日本の山水画はデザインだと指摘している。これはしかし面白いことに、昨日書いたターナーの絵の描き方に通じている視点だともとれる。ターナーの意識は画面のデザインにあったことは間違いないとおもわれる。すでに完成している絵に赤いブイを一点描き加えるなどは、画竜点睛とかいう東洋の逸話を思い起こさせる。モネの《日の出、印象》も水墨画を思わせる。ジャポニズム云々よりむしろ、画家に空間の意識があるかどうかがポイントだろう。
 横尾忠則は「上手くなることと下手になることは私には同じこと」とTweetしていた。上手いか下手かの比較にあまり意味はないんだと思う。このツィートを探してみたが見つからなかった。そのかわり

というツイートを見つけた。
 ニューヨークが無限大ホールを卒業して、NGKに出てカルチャーショックを受けたそうだ。去年のM-1でマジカルラブリーが漫才かどうか議論になったが、そういう議論が馬鹿馬鹿しくなるほど、師匠連中の漫才はぶっ飛んでるのだそうだ。
嶋佐 「あれは上手いのか?」
屋敷 「上手いんやで。あのまま俺らが真似してみ?。絶対受けんで。」
と。
 今年のお正月話題になったオナニーマシーンイノマーさんの最後のコンサートだけれど、ハイパーハードボイルドグルメリポートの上出さんの質問に答えて「あんまり楽しいのも考えもんだね」と言ってた。上手い下手にこだわってるとあんな答えは出せない。
 与謝蕪村は、松尾芭蕉を再顕彰した人としても知られている。奥の細道の絵巻は見たことがあったが、今回は屏風が展示されていた。
 与謝蕪村の絵は人物に味がある。山水だけなら同じ文人でも浦上玉堂に凄みがあると思うが。

knockeye.hatenablog.com
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ジョン・コンスタブルの風景と与謝蕪村の山水

 三菱一号館美術館で「テート美術館所蔵 コンスタブル展」が開催中。そして、府中市美術館で「与謝蕪村展」が開かれている。
無人の丸の内

 車道の真ん中に立って撮影できる無人の丸の内。コロナ禍?。美術館が開いているのだから、朝早すぎるってわけでもなかったと思うが。ちなみにこういう写真は、銀塩カメラの時代ならTS-Eレンズが必要だったって、そんなこと知る人も少ないか。
 ジョン・コンスタブルがJ.M.W.ターナーと並び称せられる英国の風景画家だとは知っているが、日本では、ターナーほどには作品に接することがない。
 日本でのターナーの人気が夏目漱石の『坊っちゃん』に由来するものなのかどうかわからないが、今回の展覧会でもやはりターナーの天才が際立って見える。
 今回の展覧会では、コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式》

《ウォータールー橋の開通式》コンスタブル

と、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号の出航》

《ユトレヒトシティ64号の出航》ターナー

が、ロイヤルアカデミー展での初お目見えと同じくまた隣り合って展示されている。今日の目からすると、ターナーには、やはりその後に続く印象派への流れが良くも悪くも見えてくる。印象派の登場までこの後まだドービニーやブーダンも控えている。
 コンスタブルはフィリップス・コレクションでみた《スタウア河畔にて》

《スタウア河畔にて》コンスタブル
 
印象派を飛び越えてまるでジャクソン・ポロックのようだった。画面全体に飛び散っているこの白い飛沫は、一瞬、何なんだろうと思うが、すぐにこれが輝きの表現であることがわかる。
 ドラクロワになると三原色に分割されるこの白い粒が、コンスタブルにおいては輝きの表現として用いられている。巧拙の問題というよりも、風景の中で輝きを捉えようとしたその意識自体が、外光派の意識と重なっていると思うのだ。
 このころから画家が屋外で絵を描くことが多くなった。それはひとつにはチューブ入りの絵の具の発明。もうひとつにはグランドツアーというイギリスの若者たちの大陸旅行のブームにより、ピクチャレスクと言われる美しい風景への興味が高まった。
 コンスタブルの場合は徹底していて、最終的な仕上げまでも屋外でやってしまうこともあったそう。絵を見るときは屋内で観るわけだから、仕上げまで屋外で行うその感覚は、画家よりも写真家に近いと思える。
ターナーと比べて省略や演出の意識が低い。
 ターナーは自分の絵の隣にコンスタブルの暖色系の絵が飾られると知った後、すでに展示されていた自分の絵に赤いブイをひとつ描き加えた。コンスタブルは「ターナーはここにやってきて、銃をぶっ放していったよ」とのちに語ったそうだ。この頃のコンスタブルにはたぶんそういうことができなかった。というか、はなからそういう気がなかったと思う。でなければ現場で仕上げる意味がない。
 そこまで写実に徹したコンスタブルが《スタウア河畔にて》のような、ポロックを思わせる表現主義めいた絵を描いてしまうことが面白い。
 ターナーには何を描いたか分からない絵が何点か知られている。ターナーはまず構図全体の効果を先に描き込んで、そのあとディテールを描いていったときいたことがあるから、それはそういう下絵なのかもしれないが、詳細はわからないのだろう。
 ターナーはだから、赤いブイがそこにある効果を熟知していた。しかし、コンスタブルにとっての絵はそういうものではなかったと思う。

《虹が立つハムステッド・ヒース》ジョン・コンスタブル

 これはコンスタブルが晩年に描いた《虹が立つハムステッド・ヒース》。虹は想像で描き加えられたものだし、水車も実際には存在しないそうだ。
 これをどう思うべきなのか迷う。写実にこだわり続けるなら虹を描かなくてもよかったのにと思ってしまう。今回の展示では少なくとも、コンスタブルはターナーの影のように見えてしまった。