『ノマドランド』

 「ノマド」という言葉が今ほど一般的でなかったころ、フランスに留学していた須賀敦子が「あなたはほんとにノマドね」と言われて戸惑ったと書いてあった。
 日本は「ムラ社会」と、よく言われるが、そうしたムラ社会に暮らす村人だけでなく、旅人、マレ人、杣人、と言われる、ムラ社会の外の住人の存在を、社会はずっと、時には敬い、時には畏れつつ受け入れてきた。それは瞽女であったり、聖であったり、僧であったり、行者であったり。柳田國男が「山の人生」で描いたような人たちもそこにカテゴライズされるのかもしれない。
 ムラ社会であっても、その外側に住まう人たちのことが常に意識されていたのであれば、全てを画一的な価値観で絡め取ってしまう今のムラ社会よりはるかに風通しが良かったかもしれない。村人の社会が行き詰まったとき、その外側の人たちの生き方が浮かび上がってくる。
 今まで数多くの名作に出演してきたフランシス・マクドーマンドの新作は世界中で話題になっている。
 まずびっくりするのは、この映画は単なるフィクションではなく、トルーマン・カポーティ風に言えばファクションというやつで、原作はジェシカ・ブルーダーって人が書いたルポルタージュである。実際、主要な出演者の何人かは、そのルポに出てくる、そういうノマドとして暮らしている人たちで、この人たちの言葉がすごく魅力的。そして、そうしたホンモノに混じって存在感を発揮するフランシス・マクドーマンドがすごい。
 こないだ『人新生の資本論』って本を紹介したとき、デヴィッド・グレーバーの『ブルシットジョブ クソどうでもいい仕事の理論』にちらっとふれたが、あの世界観からこの『ノマドランド』の世界観にあっという間に接続する。そういう人たちが現に存在して、そしてそれが本になって、今度また映画になるっていう、そこがやっぱりアメリカのすごさなのかも。
 ヒッピームーブメントがインターネットを生んだのは有名なんだけど、ヒッピームーブメントたけなわのころにだれがそれを想像したろうか。
 こないだの議会襲撃はアメリカ社会の信頼を揺るがしたと思う。その一方でこういう作品が生まれてくる。
 日本人は社会制度を変えるのが苦手なのか、教育勅語の復活とか、もう一回オリンピックと万博やろうとか、後ろ向きなことばかりやってる気がする。

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ノマド: 漂流する高齢労働者たち

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