『沈黙のレジスタンス』 

 ジェシー・アイゼンバーグマルセル・マルソーを演じる。でも、パントマイムがそんなに上手くなかった。
 それが多分この映画があんまりハネてないところなのかなと思うけど、そこをひとまず置いとくと、考えさせられることが多かった。実話だし。
 ナチスの侵攻が迫るなか、集団でドイツとの国境の町ストラスブールを後にする、ユダヤ人コミュニティの丁寧な描写なんかは、今まであまり観たことがなかった。
 フランス全土がナチスの手に落ちた後、マルセルは兄弟たちとレジスタンスに身を投じていく。 
 フランスのレジスタンスについて、それがどの程度のものだったのか詳しく知らない。第二次世界大戦当時のフランスについてわかりづらいのは、戦勝国なのか敗戦国なのかよくわからないところ。終わってみたら連合国に名を連ねてたんだけれども、ヴィシー政権ナチスドイツに協力してたわけじゃないですか?。そして、ヴィシー政権がフランスの国家を代表してるわけじゃないですか?。だったら、フランスって敗戦国じゃないのって気がしないでもないんだけど、ドゴールの率いるレジスタンスがフランスの名誉を保ったわけじゃないですか。
 今になって、というのは黄色いベスト運動なんかが起こっている今になって、振り返ると、フランスはフランスらしいんだなと思わされる。マジだなと。
 だって、当時、フランスの国と言えるのはヴィシー政権の方じゃないですか。だけど、戦争が終わったら、レジスタンスの方が国になってたんですよね。他の国ではまず考えられない。 
 パリ・コミューンの時に、見せしめに市民の死体が長く放置されていたっていうパリ。それがフランスのあり方だから、フランスの民主主義にははっきりと実体がある。だから、レジスタンスにも実体があったのだろうことが確かに想像できる。
 泡のように消えてしまった日本の学生運動と比べて舐めてはいけない。前にも書いたけれども、今の黄色いベスト運動も、政権を動かして、くじ引き民主主義を実現している。
 日本で安倍政権に文句をつけると「反日」とか批判する奴が出てくるわけじゃないですか。フランスでは真逆なの、わかります?。反政権がフランスでもありうるわけですよ、当たり前だけど。市民がフランスなんだから、政権が気に入らなかったら倒さなければならないわけで、そのレジスタンスがフランスなんですよね。
 愛国心が反政権と矛盾しない、これも当たり前だけど。こう考えると、ネトウヨってつくづくバガなんだなあと思いますね。もちろん、バカなのは百も承知だと思う。三島由紀夫が言ってた通り、彼ら自身が反知性を標榜しているわけだから。暴力で知性を黙らせることが彼らの喜びであるとは、おそらく彼ら自身が同意するだろうと思う。
 具体的に言えば、伊藤詩織さんをレイプした山口敬之を、権力を使って無罪放免にする、そして、それを実行した中村格警察庁長官に任命する、なんてことに無上の喜びを感じる、それがまあ反知性の到達する境地というところだろう。
 これに比べれば、知性は確かに弱いものだろう。なぜなら、誰の知性も、理想的な知性に比べれば、取るに足りないほどわずかなものに違いないから。
 しかし、私は反知性は醜いとおもうし、強いと思いもしない。アフガニスタンで亡くなった中村哲医師のボランティアの人が、彼のもとで働くきっかけについて話していた。
 初めは見学程度のつもりで参加していたそうだったが、ある時、「こんなことをしていてほんとにアフガニスタンの人のためになると思ってるんですか」と中村哲医師に詰め寄ったそうなのだ。中村哲医師は、しばらく考えて「わしはバカじゃからな」と答えたそうだ。その答えを聞いてアフガニスタンにとどまる決意を固めたと言っていた。
 永遠に完璧には至ることがない人間の知性の表明をそこに聞いたからだと思う。
 この映画では、ナチスの将校クラウス・バルビーが華麗にピアノを弾きながらユダヤ人を撃ち殺すシーンがある。あれこそが美と人間性の蹂躙という意味でまさに反知性と言えるのだろうと思う。
 クラウス・バルビーは、4000人の殺害に関与し、15000人の拷問に関わったとされているが、戦後はアメリカ軍に保護されてボリビアで別人として暮らした。フランスに身柄を引き渡されたのはようやく70歳の時だった。
 星野源オールナイトニッポン荻上チキが来ていて選挙について色々話していた。選挙では何も変えられないとか、投票したい人がいないとかの意見はよくわかるのだけれども、そういうレベルではなく、民主主義のためだけにでも一応投票しておくべきなんだと思う。民主主義社会はその程度に弱い。
 というのも、日本は、今の今、現に、首相のお友達というだけでレイプ犯が逃げおおせる、そんな国になっている。もはやまともな法治国家とは言えない。そうとう異常なことなのに、それにみんな慣れっこになっている。
 荻上チキが言っていたけど、電流の流れる檻に入れられていた犬は、電流が流れなくなっても、檻をなくしても出ていかなくなるそうだ。そういう国がお望みなら仕方ないけれど。飼い慣らされた犬じゃないと表明するためだけにでも投票しとけばいいと思う。投票率が低けりゃほくそ笑む奴らが確実にいるわけだから。


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『由宇子の天秤』ネタバレあり

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由宇子の天秤

 主演は、「大豆田とわ子と三人の元夫」で、東京03の角田さんのお相手をしていた瀧内公美さん。テレビジャーナリストの役どころだけど、上司の川瀬陽太さんさえまだ契約社員だったから、立場としては不安定みたい。かたわら、父親の経営する学習塾で講師をしている。
 
 由宇子の父親を演じているのは、『彼女の人生は間違いじゃない』でも瀧内公美と父娘だった光石研さん。塾を経営しているその由宇子の父が、生徒の一人を妊娠させてしまう。
 由宇子がジャーナリストとして追いかけていた事件は、いじめを苦に自殺した女子高生と、肉体関係を持っていたと報道されて、彼もまた自殺してしまった高校教師が、実は冤罪だったんではないかという追跡取材。
 一旦、マスコミにレッテル付けされてしまった人の悲惨な体験を目の当たりにしているわけで、それと同じことが自分にも起こりかねないという状況に置かれて、由宇子の判断が狂い始めているのだろうと推量することもできる。
 だけど、妊娠している女子高生に、親の心当たりを尋ねた結果、それが自分の父親だと言われて、ふつう、それを鵜呑みにするかなぁ。「あいつならやりかねない」みたいな父親ならともかく、そういうキャラに描かれてないし。
 自分の父親が女子高生を妊娠させたと聞いても、あまりにも冷静に振る舞う由宇子が、女子高生がウソをついていると疑ってみもしないのはどういうことなんだろうと、観客としては、謎が謎を呼ぶ展開に引きずられてしまうのだけれども、最後までその謎は解明されない。
 だけでなく、女子高生の父親に「お腹の子の父親は私の父です」みたいな告白をするんだけれど、いやいや待て待て、まだわかんないし、っていう。
 そして、取材していた事件の方も、事実誤認だったと分かってしまう。全然見込み違いだったとわかる。
 つまり、この主人公である由宇子は、ジャーナリストとしても、プライベートでも、間違いまくってるわけ。観客としては、正直いって呆気にとられるんだけど、でも、ジャーナリストでも何でも人間ってこのくらいバカになっちゃうことはあるよなっていう、そんなリアリティを何故か感じてしまう。
 問題は、それが作品の意図だったのか、それとも全くの失敗なのかってことなんだけど、十中八九ほんとに失敗なんだと思う。というのは、やっぱりラストの告白で、命と尊厳に関わることを、事実かどうかわからないまま、あんな軽率に告白してしまうのは、ドラマとしても脈絡がないし、リアルでもない。
 なので、失敗なんだと思うが、ただ、プライベートの事件と、ジャーナリストとして関わっているパブリックな事件との対比構造がしっかりしているので、登場人物の行動が常軌を逸していても、しっかりした構造とのコントラストで逆にリアルに見える。 
 最後に破綻してしまうのは、やっぱり女子高生(萌)の人物造型が生煮えだったからだと思う。親子ほど歳が離れた、とはよくいうけど、今回の場合は、祖父ほども年が離れた塾の講師と関係を持ってしまう、その背景がまったく見えてこない。
 だからこそ観客は、由宇子がどう思おうが、どう信じようが、そのお腹の子の父親は、由宇子の父親じゃなさそうだと思いながら観続けることになる。最後まで観続けられたという意味では面白かったとも言えるし、観終わっても何もわからないという意味では「何だよ?これ!」とも言える。不思議な映画だった。
 もしかしたらこの映画のテーマになったかもしれないテレビの裏側については、昨年に映画化された東海テレビ制作の『さよならテレビ』が詳しくて、何なら、ドキュメンタリーなのに、ドラマという観点からも『さよならテレビ』の方がよくできている。そちらもオススメしたい。

sayonara-tv.jp

 ちなみに、森達也の映画評が『由宇子の天秤』を取り上げている。参考になるかも。

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アメリカ人はデブ、日本人は発達障害

 私は映画が好きでわりとよく観てる方かと思う。
 ドキュメンタリーとかもよく観る。「ドキュメンタリーはウソをつく」ってことは、森達也の言う通り、あると思います。
 でも、昨日書いたように、OASISの野外ライブを撮ったドキュメンタリーでノエル・ギャラガーが着ていたセーターがまさに今年の流行だよなんてことはウソとかなんとかでありようがない。偶然に写ってただけだから。
 それと同じ体験を前にもしたことがある。それは、1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録したドキュメンタリーで、ヨットレースにかこつけてジャズフェスティバルを記録したって印象があった。そうやってスポンサーを説き伏せたように見えた。
 セロニアス・モンクサッチモが出演したフェスそのものももちろんよかったのだけれども、今言いたいのはそのことではなくて、そのフェスに来ていた観客にひとりもデブがいなかったってことなのである。映画を見てもらえれば一目瞭然です。議論の余地はない。


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 ところが、アメリカは今や肥満大国です。「ヒスパニック:47.0%、黒人:46.8%、白人:37.9%、アジア系:12.7%」って肥満率だそうです。
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 じゃあ、この四半世紀に何が起こったのですか?。アメリカが豊かになった?。「ヒスパニック:47.0%、黒人:46.8%」ですよ。貧困層の方が肥満になってませんか?。そうでなくても、ベトナム戦争以前、第二次世界大戦以降のアメリカは世界でいちばん豊かだったでしょう。
 「科学的根拠」ってことを言い出す人がいるんですよ。先日の『食の安全を守る人々』にもそう言う人が出てきました。科学的根拠を盾に進化論を否定する人たちもいるんですよ。
 話を戻すと、アメリカの異常な肥満率は、食肉の品種改良と無縁ではないと私は思いますね。アメリカの食用鶏は、自力で立つこともできない。


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 で、バカバカしいのは、ここから展開が予測されそうな議論は、世界ではもうとっくにされ尽くしていて、アメリカでは、オバマ時代に、いわゆるモンサント保護法は撤廃されたし、オーガニックマーケットが広がりを見せている事実があるのに、日本ではそれに逆行して、グリサホートの残留率が緩和されようとしていることです。

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 ラウンドアップその他の農薬被害をめぐる訴訟で、バイエル社は「最大109億ドル(約1兆1600億円)」の和解金を支払うことになった。もう結論が出てるんです。 
 それを日本でまた繰り返そうとしているのはなぜかといえば、TPP狙いでしょう。日本で認可されたとなれば、TPP参加の他の国でも売れる可能性が高い。もし、アメリカやヨーロッパ諸国のように、法の正義が確かな国ならば、同じ結論になるでしょう。でも、ご存知のように日本では警察庁長官が総理大臣に忖度してレイプ犯を逃す。そう言う国なら、有害な農薬も売り続けられる可能性があると踏んでいるわけです。
 で、現に自公政権はグリサホートの含有率緩和に舵を切ったわけなので、彼らの読みは当たってたわけです。

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 不気味なことに、というより、当然の帰結として、上のような事態になっています。グリサホートの使用量の増加と、発達障害児童の増加がリンクしています。
 初めに戻りますけど、1958年のニューポートジャズフェスティバルには、肥満のアメリカ人なんてほとんどいない。ところが、それから63年後の今日、アメリカは肥満大国です。たとえば、70年代の日本に、発達障害の子ってどれくらいいましたか?。
 自分たちの子供をどうするつもり?。私は子どもがいないから、あなたたちの子供がどうなろうが知らないけど、日本で、オーガニックがどうのこうのというと、オカルト扱いされるらしい。
 私に言わせれば、英霊だの題目だののほうがよっぽどオカルトだけどね(笑)。

『オアシス:ネブワース1996』

 実は何を隠そう『オアシス:ネブワース1996』を観てたんだけど、個人的に(もちろん)ピンと来なかった。ネガティブではなかった。むしろポジティブだったけど、ロン・ハワードの『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years』とか、“ロック・アゲインスト・レイシズム” の『白い暴動』のような衝撃はなかったということ。
 ポップなんですね。それはネガティブではないけど。
 それと、やはり、私自身が音楽人間じゃないんだな。正直言って、ノエル・ギャラガーのセーターがいちばん気になった。

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ノエル・ギャラガー at ネブワース1996 2ndナイト

 マルチボーダーのオーバーサイズめのリラックスフィットで、このセーターの感じがまさに今年だと思う。1996年なんですが。
 『オアシス:ネブワース1996』を観て、そういう隅っこのこと言う人もいないだろうと思うので。

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紗倉まなが言うには

 土曜日の深夜にこっそりやってる「紗倉まなとニューヨークのマジックミラーナイト」で、女性は初めての人を憶えてるかどうかって話をしていた。
 紗倉まなが言うには「憶えてない」というより「消したい」に近いそうなのだ。
 別れた男に対する女の、この態度は男には感覚的に理解できないところがあって、カッコ悪いことになりがち。
 西原理恵子って、今、高須クリニックの院長サンと付き合ってるんだと認識してるけど、元旦那に対する発言がすごく冷たい。
 いちおう映画にまでなってるんだから、キレイな話に収めておくって手もあると思うのだが、容赦ないね。
 「憶えてない」じゃなく「消したい」。正直。至言。

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『食の安全を守る人々』観ました。

 エリック・ロメールはやっぱりいいわ。BGMがまったくないのもいいし。「六つの教訓話 デジタルリマスター版」なんだけど、ただ、1日に2本続けると印象が薄まる気がして『食の安全を守る人々』を見たんだけど、驚きました。愕然とした。
 日本でまだラウンドアップなんて売ってるの?!。ありえないんですけど。唖然としました。誰が買うの?。誰か買ってるの?。ライフル売ってる方がましだよ。
 いわゆる「モンサント保護法」は、アメリカではオバマ政権で既に廃止されて、一件落着してるんですけど。日本でもう一回悪夢の再放送する必要ないでしょうよ。馬鹿じゃないの。
 ていうか、日本でも、TPP賛否がかまびすしかった頃、まだ島田紳助が「サルでもわかる・・・」やってた頃、その論点の最大のものがまさにモンサント社の問題だったろうがよ。忘れてんのか?。
 バカだわ、ばか。自公政権のすべてが茶番だわ。俺は子供いないから知らね。我が子に毒食らわせて痴呆にしたけりゃ、これからも自公政権に投票しな。創価学会靖国の人々よ。
 そういや昨日書いたんだった。「日本会議が主張している「自主憲法」は、何のことはない、つまり、もう一度、皇室を薩長政府の意のままに掌握したいという願望にすぎない。」って。
 いや驚いた。何が「自主憲法」だよ(笑)。アメリカで売れなくなった毒を、自国で売るようにする片棒担いでる連中がよくそんなこと口にできるな。笑わせるなよ。そりゃレイプ犯に伝記書かせるわ。
 私が何言ってるか分からない?。じゃあ、もう一生分からなくていいわ。

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貞明皇后に関する本2冊

 以前から疑問に思っていたことでこのブログにも書いたことがあった、日本のリベラルを考える時、旧民主党共産党ではなく、なぜか皇室が頭に浮かんでしまう。たとえば平成改元の際の、生前退位をめぐる綱引きなどを見ていると、保守とリベラルのビビッドな対立軸が、皇室と現政権間にあるように見えてしまう。
 それを、その時点ではパラドクスと感じていたのだが、貞明皇后に焦点を当てて考え直すと、それはパラドクスとは言えないのだと気付かされる。
 上にあげた2冊の本はそれぞれ貞明皇后についての小説と評伝。どちらも傑作とまでいうと嘘になると思うけど、力作には違いなく、貞明皇后の人となりとその時代について、色々と伝えてくれる。
 貞明皇后は、昭和天皇の母、そして、大正天皇の奥さんであるのだけれど、もう少し視野を広げてみると、五摂家のひとつ九条家の末裔であり、そして、貞明皇后の父・九条道孝は、明治天皇の先帝である孝明天皇の奥さん(と敢えて今風に言う)英照皇太后実弟だった。
 幕末、九条道孝公武合体派であったために、佐幕とみなされ朝廷から遠ざけられていた。にもかかわらず、のちの戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督に任ぜられて奥州を転戦することになる。九条家が公家であることを考えると、薩長政府のいやらしさがみえてくる気がする。
 そのはるか後になるが、貞明皇后は、昭和天皇の弟、雍仁親王の妃に、会津藩主だった松平容保の孫にあたる「節子」を選んだ。「節子(せつこ)」は貞明皇后自身の名前「節子(さだこ)」と漢字が共通していたために、「勢津子」と改めるが、その「津」の字は「会津」から取ったものだった。
 実は、大正天皇の4人の皇子のうち3人の妃が旧佐幕派から嫁いでいる。このことから、薩長政府と天皇家の関係が読み取れる。
 そもそも戊辰戦争大義があったとは到底いえない。江戸無血開城の後に、なぜ戦争を続ける必要があったか。言うまでもなく、薩長軍の暴走でしかなかった。戊辰戦争はその後に日本陸軍が繰り返す無軌道な暴走の雛形だった。
 安倍政権にまで続くそうした薩長政府のやり方に対して、天皇家は、わずかにできる抵抗として皇統の継承に旧佐幕派の血筋を残したと言える。
 そのキーマンと言える人が貞明皇后なのだった。大正天皇は、病を得て早世したために、今から眺めると印象が薄いが、皇太子時代から、日本全国を行幸して、気さくな皇太子として国民に人気があった。大正デモクラシーの空気は、そうした大正天皇の人がらと無関係ではなかった。
 また、貞明皇后は古来から伝わる皇室の伝統を大事にした。明治政府は、皇室だけでなく日本の伝統や歴史を自らの意にそうように捻じ曲げようとしたが、そうはっきりと意図したかどうかわからないものの、貞明皇后の存在は、薩長政府のそうした「歴史改変」に図らずも抵抗する拠点になっていたように見える。
 皇室の養蚕は古くは日本書紀に見えるが、近代のいわゆる「皇后御親蚕」は明治4年昭憲皇太后によって始められ、歴代の皇后に受け継がれてきた。現在の紅葉山御養蚕所は貞明皇后大正3年に新設されたものだ。
 皇室の伝統とは本来こうしたものだった。昭和天皇像は、薩長政府がでっち上げようとした「軍神」のイメージの戦前と、大正天皇の持っていた気さくな天皇の戦後とに引き裂かれて見える。
 日本会議が主張している「自主憲法」は、何のことはない、つまり、もう一度、皇室を薩長政府の意のままに掌握したいという願望にすぎない。
 貞明皇后に関して、もう一点、ハンセン病患者に対する援助が、彼らの隔離政策を助長したと言った批判があるが、隔離したのは当時の政権なのであって、その隔離された患者たちに私費を切り詰めて援助していた貞明皇后に、あたかも隔離の責任をなすりつけようとするかの言説がどこから出てくるのか、分かりやすすぎる。その論理展開は明治維新以来何度も見てきたものだからである。
 こういう記事が話題になっている。

president.jp

 明治維新が正義だという価値観を捨てる時がきているだろう。明治政府の政策は、幕末に急死した阿部正弘の政策をほとんどそのまま受け継いだにすぎないとも言われている。
 「戊辰戦争の暴虐は正義で、太平洋戦争の暴虐は天皇の戦争責任だ」は、あまりにも都合が良すぎないか?。
 皇室も神道薩長政府の呪縛から解き放つべき時が来ている。