戦争と平和

戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない
高遠菜穂子さんの『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』を読み終わった。事件以来、ずっと心にのしかかっていた重石がとれた気がする。まだ、事件の傷も癒えないうちに、これだけの本をまとめた熱意に敬意を表したい。

あの事件後に「もう日本人をやめたい」という言葉を、何度か目にした。私はと言えば、あのときほど自分の貧乏を悔しく思ったことはない。金があれば、即座に海外に移住できるのにと思った。

このサイトでも、折に触れて、人質バッシングを非難してきたし、ときには高遠さんを曲庇したかも知れない。ひいきの引き倒しだったかも知れない。

しかし、思い出してみると、私の持論は、「人が嫌いになる相手は、どこかその人に似ている」だった。私も、どこか、彼ら人質バッシャーに似ていたのだろうと、反省せざるを得ない。

事件発生から4ヶ月がたち、事実が明らかになるにつれ、人質をたたいた人たちは、黙らざるを得なくなった。もし、何かを語るとなると、謝罪から始めなければならない。しかし、誰に対しての謝罪か?そして、何を謝罪するのか?考えてみると、かなり恥ずかしいことになる。というより、自己の存在意義そのものを否定しかねない。だから、今は、あの事件はなかった事にしておこうというわけだ。


どんな事であれ、事件を黙殺することは、メディアの良心を殺すことであるはずだ。一連のオウム事件で、新聞というメディアは死んだと感じたが、今度の事件では、マスメディアの意味自体が死んだと思う。彼らはこれからも事実を報道し続けるだろうが、そこに良心がないことを、もうみんなが知ってしまった。


人質バッシングのあまりの非道さに、私は内心怒り狂っていて、高遠さんを曲庇したかも知れない。それは必要ないことだった。この本は、本当に心が通い合う友達と、本当に心がふれあった時にだけすすめたい。いつものように引用したいフレーズがいくつもあるが、今のところやめておきたい。この本は、人質バッシャーではなく、私に突きつけられている問いだと思う。