石原新党について

knockeye2012-10-26

 石原慎太郎都知事を辞めて新党を結成した、というニュースをわたしが聞いたのは、ひさしぶりに富山の本社から人が来て機械の調整中、待ってましたとばかりにもう一台の機械が壊れ、くわえて派遣社員が大きなミスをする、といったごたごたの最中。つまり聞いたと言うより小耳にはさんだという程度だが、直感的に腹におさまるものがあった。
 石原慎太郎はもう80歳なのであり、前回の都知事選にもいったんは不出馬を表明していた。それを撤回したのは、東国原前宮崎県知事の当選を阻止するためで、その動機には、猪瀬直樹副知事への禅譲に可能性を残したいという思いが含まれていたと思う。猪瀬直樹を副知事に迎えたのは石原慎太郎自身だったと記憶している。
 猪瀬直樹が有能な実務家であることは、道路公団改革についてもそうだし、副都知事としても、地下鉄改革、水道事業の海外展開、原発事故を受けてのガス発電プロジェクト、東日本大震災のとき、孤立した被災者を救った迅速な対応など、ぼんやりネットをブラウズしているだけでもこれくらいの実例は列挙できる(話がそれて申し訳ないけれど、ここに挙げた実例のどれか一つだけでも政治家としての有能さを証明するのに充分であるはずだ。しかし、日本人ってそれだけでは何か不満らしい。と、こういうことをいうのは、小泉政権に対する世論の激変を傍観してきたからだ。必要以上に持ち上げて、必要以上に貶める。これは偶像崇拝の典型だろう。正当な評価をする代わりに、‘物語のころも’をまとわせて、そして、はぎとる。観察していればわかることだが、そういう偶像崇拝は、崇拝される者ではなく、崇拝する者に利益をもたらす。崇拝する権利の序列化がおこなわれる。こうしたエセ宗教はいたるところで泡のように生まれては消えているはずである。わたしがここで猪瀬直樹を褒めているのはそういう意味ではない。で、こういう但し書きを書いているのも、わたしのこの猪瀬直樹評に対してだれかが抱くかもしれないその種のくだらない反発に対する予防である)。
 実際、今期の都政は実質猪瀬都政といってもよいほどだったとわたしには見える。
 そして、新党結成については、これは、本人もほのめかしているらしいが、橋下徹が国政に登場するまでのつなぎであり、地ならしという意識らしい。
 同じ時期に、橋下徹は維新の会の議員団がつくった公約素案を酷評したそうだ。橋下徹はまだまだ海のものとも山のものともつかないという印象を強くする。
 それにつけて思うのは、石原慎太郎のこのところの行動が基本的に利他的であるということ。都政は猪瀬直樹に、国政はやがては橋下徹にという期待を抱いていると思う。このことは、自身の息子が自民党の総裁候補に名を連ねていることを考えれば、立派な行為だと思う。人によっては無私の行為というだろう。
 ここに書いているわたしの解釈めいたものは、「若い人、しっかりしろよ」という発言とも矛盾しない。
 小沢一郎は、石原新党について「支持が拡がらない」とコメントしたそうだ。そうかもしれない。しかし、小沢一郎のまわりにいったい誰がいる?あるいは、何がある?ここでもういちど夫人の手紙にあった震災直後の行動を列挙しようか?
 わたしは石原慎太郎という人と政治についての志向はたぶん全然違うけれど、‘器’ということについて考えさせられた。