『ゴーストワールド』

 1月17日も、うっかり忘れて通りすぎることもあったくらいだが、今年はやはり意識した。
 しかし、私だけでなく、あれが100年に一度のまがごとなんだろうと、良くも悪くもそう思ったはずだった。
 少なくともあれから、こんなに長く、断続的に大災害に悩まされ続けるとは誰も予想していなかった。
 能登半島で4mも隆起した岸壁なんて写真を見せられると、私たちがいかに間違っていたか思い知らされる。
 95年でさえ、政治の機能不全について批判する声は多かった。ボランティア元年なんて言われたわけだが、言い換えれば、国政が機能しないって諦めなのだった。
 それが最大の間違いだったろう。政治に背を向けるのではなく、機能する政治を築き上げる努力に足を向けるべきだった。
 サブカルに走るのではなく、カルチャーそのものを塑造するべきだった。リベラルがサブカルでしかなく、カルチャーたりえない現在の政治状況は、あの4mの岸壁の前では全く無効だと思われる。
 何でまた『ゴーストワールド』を観てそんなことを思ってるのかといえば、この映画が、2001年のアメリカのサブカル映画だったからだ。
 スカーレット・ヨハンソンが、ほとんど今と変わらないルックスをしているので、時間感覚が歪むが、それよりも、2001年のアメリカの若者が誰も携帯を持っていないことに驚いた。日本では、阪神淡路大震災が、一気に携帯を普及させた。
 調べたら、この2001年に初代iPodが発売されたのだった。「うわ」と思ってしまう。  
 ということは、みんなまだMDウォークマンとか聞いてたのか?。Windowsがまだ覇権を握っていたのか?。世界がまだ寝ぼけていたかのように感じられる。
 そんな中で、主人公の女の子は、大人の世界の手前で逡巡を繰り返している。映画のコピーにある「つまらない大人たち」「死んだ町」「世界にうまく馴染めない」で止まっているからこそのサブカルだということが痛いほどわかる。
 大人たちをつまらないと感じているあなたたちも、大人たちから見ればつまらない子供たち、その辺によくいるやつにすぎない。まさにこいつらこそ、つまらない大人たちの予備役なのだった。
 この映画はどこまでもサブカルにすぎない。重要なのはカルチャーの方の成熟度と豊かさで、ある意味では、日米は、その未熟さを共有していると言えるかもしれない。
 それは、また、文化の「少年性」と言えるかもしれない。戦後、日米が共有してきたのは文化の少年性だと、川本三郎が書いていたと記憶している。多分、トルーマン・カポーティの解説だったと思う。
 二つの大戦を経て、大人のカルチャーが傷ついてしまったことは、日米だけでなく、世界的な事実だろうと思う。いま、『ゴジラ-1.0』が全米でヒットしている背景には、ゴジラというサブカルチャーを再びカルチャーにひも付け直す成功例だったからではないか。
 例えば『ワンダーウーマン』の大ヒットが、アメコミというサブカルチャーを、第一次世界大戦というカルチャーの崩壊の出発点に引き戻した発明にあるという見方とこれは共通した視点である。
 坂本龍一が、少しおどけて語っていたけれど、彼の学生時代には「30歳以上を信用するな」ってことが、マジでグローバルに標榜されていたのだった。そしてそういう世代の知的アイコンが吉本隆明だった。
 また、『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』を見ればわかるように、三島由紀夫全共闘反知性主義という点で気脈を通じていた。反知性主義は言い換えれば反カルチャーでありサブカルチャーだった。
 つまり、右も左も、大人になることに強い拒絶感を持っていた長い時代が、だんだん終わろうとしていると感じられる。
 というのは、大人に反抗的な態度、いわゆる「尖っている」態度がかっこよかった最後の世代がたぶんダウンタウンだと思う。こないだたまたまニューヨークとハイヒール・モモコがしゃべってるYouTubeを見た。ご存知のとおり、ダウンタウンとハイヒールはNSCの一期生なのだけれども、ダウンタウンはその頃から、まったく「へこへこしなかった」そうなのだ。
 つまり、彼らはつまらない大人になりたくないありふれた子供ではなく、つまらない大人を力でねじ伏せた子供だった。東京では北野武がそういう存在だったかもしれない。ただ、北野武は、子供というには売れるのが遅かったが。
 ダウンタウンが大人になった世界はもう以前の世界ではない。大人はわかってくれないは寝言なのだ。なぜなら、大人をわからせた子供が大人になった世界だから。
 ダウンタウンは間違いなく世界を変えた。これは笑芸の世界の話だが、しかし、世界が変えられるという事実を示した後には古い世界の門は閉じてしまったと思うべきだろう。
 サブカルは浮遊しながら腐るだろう。サブカルをカルチャーに再び接続すること。そしてカルチャーをねじ伏せること。それ以外に世界の扉を開く術はない。考えてみれば当たり前のことだが、その門の前で怯んでいられたぬるい時代もあったってこと。

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