フェリックス・ティオリエ写真展

夕方まぎわに入ったが、観客のフランス人率が異様に高く、人が少ないせいもあり(日本人は私ともうひとりくらい)、べちゃべちゃしゃべるわ、写メするわ、羽目はずしすぎなのだった。たぶん一年分くらいの(「シェルブールの雨傘」一本分くらい?)フランス語を浴びてしまった。
でもたぶん絵だとこういうことにはならない。写真だからだと思う。
その意味ではフランスでやったほうが受けそうだけど、なぜか世田谷でやってるという展覧会。帰りがけの駄賃に立ち寄っただけだが、でも、面白かったのは、19世紀末なのに、もうこんなに鮮明な写真がとれたのかという驚き。
写真機の実物が展示されていたけど、上野彦馬が使っていそうなでかいやつ。今ならデスクトップのパソコンでももう少し小さい。
これでほとんどスナップみたいな写真を撮っている。作例の動体ぶれを見ている限り、シャッター速度も60分の1くらいに見える。
坂本竜馬とか近藤勇なんかの写真を撮るときは、動かないように木製の器具で首を固定されていたと聞いているだけに驚きなのだ。
カラー写真まであった。後で着色したのかと思ったら、オートクロームという後に廃れはしたが、カラーフィルムがちゃんとあったのだそうだ。
サン=テティエンヌの炭鉱夫を写した写真には目黒美術館で開かれていた‘文化としての炭鉱’展を思い出した。あのとき書いたことを裏書してくれるようで心強く思った。言いたいことがあまり伝わらなかった気がしていたのだけれど。
19世紀末にヨーロッパが迎えていた工業化の季節を半世紀ほど遅れて日本も迎えた。
1900年といえばパリ万博である。その写真も多く展示されている。
大阪の万博が1970年、今年は上海万博だよね。
そういう風に世界が移ろっていく。‘まわりもち’というのかな。
それを自分の国だけ特別だとか思っているのはバカだと思いませんかという話。非常に短くいってしまうと。