『打ちのめされるようなすごい本』と社会主義 2.0

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)

打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)


 米原万里の『打ちのめされるようなすごい本』を読んでいる。書評集なので、Kindleにいれていて、折々に読んでいる。
 週刊文春に連載していた分は全部読み終わったみたい。最後の方は、癌の闘病生活と並行していて、癌関連の本ばかり。読んでいるこちらとしては、このあとこれを書いている人が亡くなるってわかっているわけだから、気分は重い。進行の速い癌に侵されると今のところ、打つ手がないのが実情なんだろうと思うが、患者本人は「座して死を待つわけにはいかない」ので、さまざまな治療法を試みようとする。そして、そんな怪しげな本もいっぱい出ている。それが毎週の連載なんだから、痛々しい。
 15年ほど前の文章なので、かえって現時点の「おさらい」というか「答え合わせ」のような趣があり、いまさらなるほどと思えることがある。
 その中で、岩田昌征著『社会主義崩壊から多民族戦争へ』(御茶の水書房)に書かれている旧ユーゴ多民族戦争の分析は、今に直結していると思った。
 戦争の発端となったスロヴェニア十日間戦争は「今日でも、圧倒的多数の人々によって、当時のユーゴスラビア連邦軍とセルビアミロシェビッチ政権が自由を求めるスロヴェニアを攻撃したことに端を発し」たと了解されている。いいかえれば、それがメディアに流布している「世論」である。
 ところが、実態は「バチカンカトリック信者の多い二国(スロヴェニアクロアチア)を独立させるために画策しセルビア悪玉論を流布させた」のだった。この著者はそのやり口を克明に実証している。
 1999年のNATOによるユーゴ空爆を、1968年のワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア侵攻と比較して、1968年のケースには「市民社会基本的人権、民主主義への信頼」という希望が残ったのに対して、東西冷戦終結後の1999年のケースの場合、「バルカンの一小国」に対する大空爆を「民主主義と基本的人権に立脚する市民社会が衆知を集めて民主的に決定した」という意味で、より絶望的であり、この著者は「未来志向的恐怖を肌で感じ」ると書いているが、今の私たちにとっては、すでに「未来志向的」ですらなく、まさに今の今であると思うがどうだろうか。
 そして、「社会主義という思想が完全に---つまり『影』としてさえも---消え去ると、凡人たちに確実に不幸がやってくる」「社会主義は資本主義の影としてこれからも存在せざるを得ない」と書いている。これも、これが書かれた当時より、民主社会主義者を標榜するバーニー・サンダース米大統領の予備選で善戦する今の時代にこそむしろ強い響きを持っているようだ。
 橘玲週刊プレイボーイに「安倍政権がますます『リベラル化』するのっぴきならない理由」という記事を書いていた。最近では、安倍首相自身が「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいえば」と言っているとか(朝日新聞2017年12月26日朝刊)。橘玲によれば、安倍政権の政策がリベラル化する理由は、ひとつには小池新党の失速にによって「右」にライバルがいなくなったため、右寄りの政策で先鋭化する必要がなくなった一方で、民進党の崩壊で「左」に「広大なフロンティアが開けたのですから」リベラル層を取り込む戦略としての一面。
 もうひとつには、終身雇用と年功序列の日本的雇用がシステムとして機能しなくなった今、現実的な政策を採用すると、結果として「リベラル」にならざるえないということ。「リベラル」な政策がもっとも現実的だというのは、とても面白い。
 個人的には、もうカギ括弧つきの「リベラル」というなんだかわかったようなわからないような概念は捨て去って、「社会主義 2.0」というくらいのつもりで、はっきりと社会主義の復活について議論すべきではないかと思う。
 もう一点は、佐藤優の『国家の罠』についての書評。この本は「国策捜査」という検察のことばを一般に知らしめた。担当検事の言ったことを改めて引用しておくと
「あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。」
 私も読んだんだけど、米原万里のように深くは読んでなかった。「近視眼的には、外務省の居心地の良さを乱す真紀子と宗男を駆逐するために、外務官僚たちが破廉恥なリークによって仕組んだ対決なのだが」と、ここまでは私もわかった。「巨視的には、外務省内で拮抗していた(1)対米追随のアメリカスクール、(2)中国やアジアとの関係を重視するチャイナスクール、(3)対ロシアその他との関係のバランスを図ろうとするロシアスクールという三つの潮流の内、(2)が真紀子とともに、(3)が宗男とともにパージされ、(1)の対米一辺倒になってしまった」というあたりはわかっていなかった。
 この結果が、今になって、安倍首相とプーチン大統領が個人的に相性がよく、また、双方とも長期安定政権であるにもかかわらず、日ロ関係がぎくしゃくして前に進まない遠因となっているのだろうと思う。
 しかし、「国策捜査」が時代の転換に必要というなら、逆転の「国策捜査」が必要な時かもしれない。