メディアの言葉がさすがに卑しすぎる。
神奈川県民なので、兵庫県知事に興味はないが、それをめぐる報道の言葉がひどすぎる。
ひとつは「おねだり」だが、「おねだり」はどういう言葉なのか?。例えば「殺人」という言葉をメディアで使う場合、誰かの死という事実をどういう言葉に置き換えるのか、「殺人」なのか、「傷害致死」なのか、「事故死」なのかには、厳密な定義の差異がある。
だからこそ推理小説がエキサイティングになりうる。だからこそ裁判が可能になる。殺人と思われていたのに事故だったとか。だからこそそれについて報道できるはず。
そんな厳密な定義が「おねだり」にありますか?。何が「おねだり」で何が「おねだり」でないのか。「おねだり」は法律用語でないのはもちろんだが、報道で用いるべき言葉なのかどうか疑問だと思う。
漏れ聞いた話だと、兵庫県のワイナリーの人に「ぜひご相伴にあずかりたいですね」と言っただけだとか。漏れ聞いただけで事実は知らないが、「権力をかさに強請した」とか「収賄が常態化していた」と言わずに「おねだり」と表現しているのはその程度の事実しかないだろうと、その言葉を聞く側に予想させる。
つまり「おねだり」は、およそ報道で用いるべき言葉ではない。もし新聞がそんな表現を用いたのだとしたら、それはもちろんクオリティペーパーとは言えないだろう。
つぎに「パワハラ」だが、この言葉は、「セクハラ」「モラハラ」「スメハラ」「マタハラ」などと同じく、ハラスメント関連の言葉の「パワー・ハラスメント」の略なのだろう。しかし、英会話を勉強していたら自然に身につく知識として、「パワー・ハラスメント」などという英語は、検索してもらいたい。サイトによっては、そんな英語はないと書いてあるかもしれない。あるいは「和製英語」と書いてあるかも。少なくとも、英語としてネイティブ・スピーカーにとっては一般的ではないのは間違いない。
ではなぜ、そんなネイティブ・スピーカーにも耳慣れない英語を、日本の報道機関が日本人読者に向けた記事に用いるのか。日本人が使い慣れた言葉の方が、より正確に事実が伝わるはず。ところが、今回の件を報道するにあたって、日本のメディアが、日本人が使い慣れた言葉ではなく、英語ネイティブさえ耳慣れない英語を使ったのはなぜ?。
ふたつほど考えられる。ひとつは、事実を伝えたくなかった。もうひとつはそもそも伝えるべき事実がなかった。あるいは、そもそも日本のマスメディアは事実を伝える意思がないのかもしれない。
日本のマスメディアの目的は読者の印象操作だけなのかもしれない。そう考えると辻褄は合う。
今回の兵庫県知事の再選について「マスメディアの敗北」というが、マスメディアの目的が事実を伝えることならば勝敗を言うこと自体がおかしい。じゃあどうだったら「勝ち」だったのか?。
小籔千豊が面白いことを言っていた。「斎藤さんが勝ったからSNSの勝利だとか、テレビが負けたとか言ってますけど、そんなことを言っていることが自体がテレビの人はえらい、おごっているなと思う」と。
しかも、これを取り上げたネットニュースの一部は「おごっている」の部分を「怒っている」と書き間違えている。かけらも内容を理解していない。日本の報道はかなりの底辺まで落ちてるみたい。