夏目漱石の『三四郎』と日露戦争

 自粛期間中に漱石の『三四郎』を読んだっつう話を書いたけど、いまちょうどNHKのラジオで『三四郎』の朗読がやっている。
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 『三四郎』は、日露戦争後の小説だった。それは初めから知ってはいたけれど、

この本を読んで日露戦争の内実がわかると、例の

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたも ので、 「滅びるね」と言った。

と言う三四郎と広田先生の有名なファーストコンタクトのシーンもその後に続く

――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国 賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気 のうちで生長した。

という部分の方が重要に感ぜられてくる。
 戦後ずっと、広田先生の「滅びるね」を私たちは夏目漱石の予言と聞いてきたわけだった。
 そして、その後に続く部分は、三四郎の田舎者ぶりを誇張するジョークくらいにしか思ってこなかったんじゃないだろうか。
 少なくとも、広田先生の「滅びるね」は、漱石の全小説の中でも抜群に引用率が高い箇所だと思うのだ。その後に続く「熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。」は、「そんなんいうたら殴られるで、自分(笑)」といった漫才のツッコミのようにとられて記憶に残らない。
 だが、ポーツマス条約に不満を持った民衆の日比谷焼打事件を考えると、広田先生の「滅びるね」につづくくだりは、当時の日本人の異常な熱狂を映していたのかもしれない。「滅びるね」は、夏目漱石の皮膚感覚であったかもしれない。
 ロシアの南下に対する防衛が日露戦争の目的であったのならば、満州鉄道の経営にハリマンの資本が入ることは、コストを考えても、力学的な視点からも、まったく望ましいことだった。イギリスの東インド会社をまねて満鉄を軍の傀儡にしようとしたことが軍の暴走を招いた。
 『三四郎』は、青春小説のようにはじまるも不穏な空気で終わる。この後、漱石の小説は暗くなっていく。明治の明るさが失われていく分岐点だったように思う。日本人の一等国民意識が、今から見るとかなりうざい。

『事故物件 恐い間取り』

 中田秀夫監督自身にはホラー志向はないそうである。しかし、それでも『リング』の中田秀夫監督なので、そのあたりの描写はオハコってところ。
 今回の映画の原作は、事故物件住みます芸人の松原タニシの『事故物件怪談 恐い間取り』ってノンフィクションなので、これをフィクションに仕立てる芸がさすがだと思った。
 恐いってよりも笑わせる要素が強かったように私には思えた。もちろん恐いんだけど、「半沢直樹」でブレイクした江口のりこの演じる不動産屋さんが意外な活躍をするあたり、本質的にホラーを志向してないからこそのエンターテイメント性だったと思う。「いや、そっち?」っていう。
 先般亡くなった竹内結子が主演した『残穢-住んではいけない部屋-』って映画があった。同じく中村義洋監督とタッグを組んだ『ジェネラル・ルージュの凱旋』が大好きだったので期待したのだけれど、「ええ?」って感じだった。中村義洋監督も駆け出しの頃テレビでホラー関係の仕事をしていたそうで、ある意味では昔取った杵柄ってところがあったんだと思う。エピソードが羅列的になってしまっていた。『事故物件 恐い間取り』も羅列的になるおそれはあったはずだけど、別筋でうまくまとめていた。
 引き合いに出す必要なかったけど、好対照な印象だったので。中村義洋監督は、そのあと『決算!忠臣蔵』で、あれは原作は歴史書に過ぎないものを見事にエンターテイメントに変えて見せていたので、『残穢』の時は、得意分野だと逆にそういうことってあるんだと思う。
 主演の亀梨和也はジャニーズのなかでも映画映えがするのか、『美しい星』とか『俺俺』とか意外なところでいい演技をしている。リリー・フランキーと共演した『美しい星』は特におすすめ。
 『事故物件 恐い間取り』はたぶんヒットしたんだろうと思う。コロナ禍さめやらぬ頃の公開だったのに満席が続いていた。
 あと、松竹映画なので、出てくる芸人がみんな松竹芸能だったのも珍しいっちゃ珍しいのかも。


映画『事故物件 恐い間取り』【特報】8月28日(金)全国公開

美しい星

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決算!忠臣蔵

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  • 発売日: 2020/05/02
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『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 』

 椎名誠が「純文学」と評した感じがわかった。いま、純文学を志向して文章を書く人はいない。もちろん、この本も「純文学」を目指してはいない。しかし、結果として「純文学」と評したい何かがそこに生じたからには、作家であり編集者でもあった椎名誠は、感嘆しただろうと思う。
 先週、佐久間宣行のオールナイトニッポンゼロに出ていたバカリズムが、オードリーのオールナイトニッポンを「あんなの『北の国から』じゃないですか」と言ってた。鋭いと思う。俯瞰して見た時、そういう何かがここにはある。
 若林正恭って人は月島の出で、吉本隆明と同じ産である。ってことを、私は何か意識している。江戸っ子なのである。カストロゲバラの顔を「命を燃やし尽くそうとしているものの顔」と見るのは江戸っ子だと思う。
 吉本隆明の思想は江戸っ子の思想で、山の手のお坊ちゃんには響かないようだったのもそのためだと思う。
 M1の予選に5000組が応募する時代は、作家を志望する若者より漫才師を目指す若者の方が多いのかもしれない。そこには、結果として「純文学」的な何かが生まれるんじゃないかと思う。

東京03と空気階段

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 NHKのラジオ第1で木曜日の午後8時5分からやっている「東京03の好きにさせるかッ!」という番組のラジオコントのコーナーで、ここ何週間か、ゲストのコントグループが自作のコント台本を持ち込んで、東京03と共演している。
 10月22日の放送はキングオブコントで3位になった空気階段の持ち込みコントだったが、これがめちゃくちゃ面白かった。ラジオ特有の音声しか聞こえない特徴をうまく活かしたコントで、さすがだなと思った。上のサイトから29日の午後8時までは配信されているそうなのでぜひ聴いてもらいたい。
 考えてみれば、毎週新作コントをやるって番組は、テレビの方では見かけなくなった。クレイジーキャッツ以来続いていた伝統が、はやりすたりとはいえ、いつしか途絶えたのを、ラジオでやっているっていうのが東京03らしいのかもしれない。
 「空気階段の踊り場」は土曜日の27:30〜28:00という絶望的な時間帯にやってるラジオ番組なんだが、radicoとラジオクラウドのおかげで聴けるわけである。本編は30分なんだがラジオクラウドでアフタートークを30分くらいやる時もある。バナナマンバナナムーンGOLD聴取率1%に迫ろうかという頃は、ポッドキャストで1時間とかアフタートークをする時もあった。 
 霜降り明星も金曜日の27:00〜29:00というあれだけの売れっ子としては考えられないような時間帯で、しかも生放送している。RADICOのタイムフリーがなければ割りに合わない放送なんだろうと思う。
 今週の空気階段の踊り場には、銀杏ボーイズ峯田和伸がゲストで来ていた。峯田和伸は、末井昭の半自伝的映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』で、主人公の親友役で出ていた。あのお芝居が心に残っている。
 峯田和伸空気階段の鈴木もぐらは、因縁浅からぬ仲だそうだ。もぐらが高校生時代に追っかけをしていて、もぐらという名前は銀杏ボーイズのファン掲示板のハンドルネームなのだそうだ。その辺の経緯を語った↓この回は泣ける。
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 10月21日の「バナナサンド」に東京03が出ていた。バナナマンサンドウィッチマン、東京03という、今、一番客が呼べるコントグループ3組の共演で見応えがあった。東京03の全国ツアーは、バナナマンがテレビに出てない頃にやったツアーに憧れて始めたものだそうだ。
 サンドウィッチマンのリクエストで披露した「待ち合わせ」てふショートコントは、東京03の地肩の強さを推し量れる面白いコントだった。最後は3組全員参加でやったのも面白かった。
 TV erの見逃し配信も10月28日までなので、見たほうがいいと思う。
tver.jp

 今週は、佐久間宣行のオールナイトニッポンZEROにバカリズムがゲストに来ていて、この回も聴きごたえがあったし、ちょっと奇跡的な週だったな。



 
 

『浅田家!』

 中野量太監督が東日本大震災を映画にしようとする、と、この切り口になるんだという。東日本大震災も2011年だから、あれからもう9年も経っている。
 その間に、それにまつわる映画もたくさん作られてきた。ぱっと思いつくものをあげれば、まず、園子温監督の『ヒミズ』、あれは元々マンガが原作の映画だったんだが、撮影中に大震災が起こって、急遽シナリオを書き換えたんだった。それがすごい緊迫感を生んでいる。染谷将太二階堂ふみをスターダムに押し上げた作品としても忘れがたい。
 園子温監督では、『希望の国』も東日本大震災を扱った映画だが、個人的には『ひそひそ星』の方が射程距離が長いように感ぜられた。
 中野量太監督の前々作『湯を沸かすほどの熱い愛』のヒューマニズムには、こころのどこかで鳴るアラームを意識していた。それは自分でもまだちゃんと片付けてられていない感覚だった。単に、古傷が傷むというだけだったかもしれない。
 ともかく、『湯を沸かすほどの熱い愛』の作家性の強いオリジナル脚本を、作品に昇華させたのは、宮沢りえの存在だったと思う。宮沢りえの女優としての力量を再認識させた映画だった。『紙の月』ではキャスティングが間違ってたと思う。
 中野量太がヒューマニストであるかどうかはともかく、中野量太が東日本大震災を映画にしようと模索したとすると、写真家の浅田政志にぶつかったというのが面白い。
 映画『浅田家!』は、浅田政志の半生記のような、言い換えれば「浅田政志は如何にして写真家となりし哉」とでも言うべき成長譚でもあり、一方で「写真とは何ぞや」という写真論にもなっている。それはたぶん中野量太自身の映画論にもなっていると思う。
 『湯を沸かすほどの熱い愛』の、宮沢りえオダギリジョーの強い女とダメ男の関係が、『浅田家!』でも、主人公の浅田政志役の二宮和也とその彼女の黒木華、主人公の両親の平田満風吹ジュンの関係に、二重に反映されているようで面白かった。
 『浅田家』は浅田政志の写真集のタイトルでもあるのだが、映画『浅田家!』は、浅田政志が東日本大震災の現場で出会った写真洗浄のボランティアを撮した『アルバムのチカラ』を原案にしている。
 被災した写真を洗浄して持ち主に返すボランティアを始めた学生を菅田将暉が演じている。
 TVドラマ「MIU404」とはまるで違う人みたいで、あたりまえだけれども、この人ホンキで役者だなと感服させられた。
 同じくボランティアの人に、『37seconds』でもボランティアのセックスワーカーを演じた渡辺真起子、被災者のひとりに北村有起哉など『湯を沸かすほどの熱い愛』の時に、ダメ元で宮沢りえにオファーしたというキャスティングのセンスはバツグンだと思う。
 『湯を沸かすほどの熱い愛』の時に感じた警戒感の正体が、『浅田家!』で少しわかった気がした。
 つまり、私たちは物語を生きているかどうか。私たちは「人間」という物語を、「家族」という物語を、生きているのでしょうか。それともその物語の外側、その書き手、読み手の思惑の外に、私たちの生はあるのでしょうか。
 その問いは、その問い自体が少しおかしいのかもしれないという疑念とともに、いつも心に浮かんでくるようだ。
 だから、『浅田家!』のようにメタ構造になっている作品の方が、私としては息苦しく感じないようである。


映画「浅田家!」予告【2020年10月2日(金)公開】

湯を沸かすほどの熱い愛

湯を沸かすほどの熱い愛

  • 発売日: 2017/04/26
  • メディア: Prime Video
浅田家! (徳間文庫)

浅田家! (徳間文庫)

浅田家

浅田家

  • 作者:浅田政志
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: ペーパーバック
アルバムのチカラ 増補版

アルバムのチカラ 増補版

ヒミズ

ヒミズ

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
ひそひそ星

ひそひそ星

  • メディア: Prime Video

小川洋子の『密やかな結晶』

密やかな結晶 (講談社文庫)

密やかな結晶 (講談社文庫)

 チャーリー・カウフマンが、小川洋子のこの小説を映画化するそうなので読んでみた。
 小川洋子は海外でも読まれるらしく、以前は『薬指の標本』がフランスで映画化されたこともあった。
 しかし今回は『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマンなわけだから、期待が高まる。
 島全体で記憶を失っていく人たちの物語。現象として、モノについての概念と記憶が失われていくのは、『世界から猫が消えたなら』に似ているが、この小説が書かれたのは1994年なのでこちらの方がはるかに早い。
 しかも、面白いのは、そうした記憶の消滅が、官憲の手によって強制されるのでなく、島の人たち全体で自然現象のように起こる。権力はむしろ、そういう現象の後を追うように、記憶の消滅を、いわば「保護」しようとしている。というのも、一部で何故か記憶を持ち続ける人たちがいて、権力側は、彼ら異端を徹底的に排除しようとする。そういう人たちは『アンネの日記』みたいに、当局の目を逃れて隠れ棲む。
 秦の焚書坑儒とかナチスの退廃美術展のようなことが、権力の強制としてだけでなく、大衆の側で自然発生するところがすごく怖い。
 1994年といえば、阪神・淡路大震災の前年で、まだ携帯電話すら普及していなかった時代なのに、大衆に自然発生的に抑圧が共有されるこの感じは、当時の読者はこれをどう読んでいたのか想像もできない。まるでSNS上で出所の不確かな正義感があれよあれよといつの間にか抑圧としてまかり通ってしまう今の時代を予言されているように思った。
 この小説のどんなところがチャーリー・カウフマンを刺激したのか、彼がこれをどんな風に映画にするのか楽しみ。

アイヌの美しき手仕事 日本民藝館

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アイヌの手仕事

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 府中市美術館のあと、同じく京王沿線つながりで日本民藝館を訪ねることにした。時間もちょうどよかった。
 日本民藝館のような古い建物は、コロナ対策が大変らしい。今ははめ殺しになっている窓を、柳宗悦が暮らしていた頃のように開放すれば、風が通って気持ちがよいのだろうといつも思うが、そうすると展示品が虫に食われる。ので、空調でしのいでいる。しかし、このコロナ禍では、さすがに、二階の窓を開け放つ誘惑に駆られるのではないかと思った。
 コロナ対策で目立って変わったところは、チケットを屋外で求めるようになったことと、今までは靴を脱いでスリッパに履き替えていたのを、靴の上からシューズカバーをかけるようになったこと。刑事ドラマの現場検証みたいで滑稽ではある。でも便利。そもそもスリッパというものは、西洋人を和室にあげるために、靴の上から履いたものなので、ある意味、原点回帰と言える。サザエさんのマンガで、玄関に藁沓を置いておいてブーツを脱がずに部屋に上がるっていうのがあった。あれなんか民芸館らしくていいかも。
 それはともかく、意外なことに、日本民藝館は混んでいた。割とよく訪ねているつもりだけれども、今まででいちばん混んでいた。コロナ禍で苦戦しているのかと思っていたのだが。
 今回、日本民藝館には珍しく、一部撮影が許可されていた。ちなみに、府中市美術館の方も、スタッフに尋ねると「一枚くらいなら」と微妙なことを言われた。「撮影不可」の貼り紙がなかったので、たぶんOKだったんだろうと思う。
 「一枚くらい」と言われたあと、白髪一雄を撮った。その隣のスペースに椛田ちひろがあった。「一枚くらい」と言ったスタッフさんが、こっちをみてるので椛田ちひろは撮れなかった。2枚は「一枚くらい」に入るかもしれない。でも、なんか撮りにくいじゃん。訊かずに撮ればよかった。念のために訊いただけだったんだが、なんかその場の空気で撮れなくなった。
 日本民藝館の撮影可のスペースは、1941年の「アイヌ工藝文化展」の再現だそうである。そのとき、収集展示をしたのは芹沢銈介だった。一室で芹沢銈介の染色作品が展示されていた。染色出身の連想かもしれないが、デュフィの明るい色を思い出させた。
 それから台湾の民族衣装があり、このビーズ刺繍がすばらしいと思った。
 めずらしいところでは、蓮如上人の御文があった。凡夫往生の手鏡と言われているだけあって、室町時代のものなのに、私でも読める。すべての漢字にルビがふってあり、カタカナさえ読めれば読めるようになっている。
 蓮如上人は、信心の沙汰をせよ、つまり、信仰について議論せよと言った人だった。庶民の暮らしに信仰があった手触りを伝えてくれると同時に、柳宗悦民藝運動にこめた思いにも触れた気がした。

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