ミネアポリス美術館展

 サントリー美術館で「ミネアポリス美術館展」を観た。コロナ禍が二年に達して、美術館に行く機会が減り、つい見逃すところだった。いつの間にか再開していたようだ。半信半疑で出かける前に電話して確かめた。
 写真OKだったので何点か紹介します。写真下のリンクから大きい画像が見られます。

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《武蔵野図屏風》作者不詳

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 写真からではわからないかもしれない細い緑色の線の反復で、画面全体にリズムを作ったあと、色とりどりの草花を音楽的に配している。彼が作者不詳であることに驚かされる。

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阿国歌舞伎図屏風》作者不詳

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 洛中洛外図、犬追物済など、テーマがあって構成がない、群像を描いた絵は、そのために延々と観ていられる。

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阿国歌舞伎図屏風》部分
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阿国歌舞伎図屏風》部分
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阿国歌舞伎図屏風》部分
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狩野山雪《群仙図襖》

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 これは、メトロポリタン美術館所蔵の《老梅図襖》と天祥院の襖の表裏をなしていたそうだ。それがいま二点ともアメリカにある。

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曾我蕭白《群鶴図屏風》

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浦上春琴《春秋山水図屏風》

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 浦上春琴は、浦上玉堂の長男で、存命中は、むしろ玉堂より絵師として名高かったそうだ。この《春秋山水図屏風》は、以前、千葉市美術館の「浦上玉堂と春琴・秋琴」で観た。浦上春琴は長崎に遊学して沈南蘋の画風を学んだ。父・玉堂の文人画とは真逆な感じだが、この絵を見ると、その2つの融合を目指していたように見える。ちょっと他の山水画にはない珍しいスタイルだと思う。

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狩野探幽《瀟湘八景図屏風》

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 狩野探幽の絵は、描かなさすぎる、余白が多すぎると感じないではない。端正とも言えるが、お高く止まってる距離感を感じなくもない。良くも悪くも迫力がない。狩野永徳の孫で幼い頃から才能を発揮して徳川幕府の御用絵師になった人のパーソナリティとしては当然なのかもしれない。ただ、この絵についてはその描かない意図がハッキリ伝わる。

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狩野山楽《四季耕作図襖》

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山田道安《龍虎図屏風》

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雪村周継《花鳥図屏風》

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小林信彦の連載エッセーが終了

 たまたま先週の木曜日休みを取った。いつも仕事帰りのコンビニで買う習慣だったので、うっかり先週の週刊文春を買い忘れていた。何と、小林信彦の連載がこの号で終わるそうだ。
 これで、来週から週刊文春を買うかどうか迷わなきゃならない。坪内祐三福田和也の対談が終わった後、週刊SPA!も結局いつの間にか買わなくなったし、中沢新一のアースダイバー終了とともに週刊現代も買わなくなった。
 小林信彦は、最初はコメディーのmentorとして、そしてもちろん小説家として親しんだものだったが、最近はこの随筆が重要な仕事の一部になっていたと思う。
 ともかく脳梗塞で突然筆を折るなんてことにならなくてよかった。闘病を綴ったころの連載は鬼気迫るものだった。
 小林信彦はつくづく江戸っ子なんだなと、この連載はある意味、江戸っ子の生態観察って一面もあった。
 週刊誌の連載という形でリアルタイムで読んでいると、たとえば、政治的発言など、たぶん単行本にまとめた後に読んでは気づかなかったことがあったのではないかと思う。
 そうはハッキリと書いてないが、しばらく熱心に応援していた小沢一郎についてぱたりと書かなくなった。そして、自分は政治オンチだと、これは明言して、その後政治について書かなくなった。  
 これは、小沢一郎の元奥さんの例の手紙が週刊文春誌上で発表されたのがきっかけだったと思っている。連載陣のひとりとして当然ながら編集者に詳細を確認できる立場にいるわけで、あの手紙の衝撃は、私としてはむしろ、小林信彦の態度に大きく感じるところがあった。
 江戸っ子が、いかにも誠実そうな田舎者に騙される典型的なパターンで、小林信彦はそういう点でも江戸っ子の王道を行っていた。
 ダウンタウンが嫌いなのも、端々から伝わってくる。これは今でも意外なんだけど、日本の喜劇人について、ほとんど小林信彦の言いなりだった私としては、漫才ブームのころの漫才師たちがお気に召さないのはまったく納得できるんだが、ダウンタウンは文芸復興だったと思っていたので。
 喜味こいしダウンタウンの漫才を褒めるのを見たことがある。なので、これは世代ではなく、江戸っ子なんだなというのが私の結論だった。
 古今亭志ん朝が早逝したときはこれで江戸の言葉が聞かれなくなったと大変な落ち込みようだった。
 これも今考えると、まだ柳家小三治がいるって気がするのだが、これはたぶん師匠の柳家小さんが嫌いなんだと思う。
 下衆の勘繰りがすぎたのでやめておこう。シネマヴェーラ小林信彦セレクトの喜劇映画を見られたのは楽しかった。
 こういうの、もう5年か10年は早くできていたらなと思う。何せ、未だに頑としてインターネットにつながらない人なので。そんな人は、私の知る限り伊東四朗小林信彦だけ。ぴあが廃刊したって困っていたが、誰も困らないから廃刊するのだ。
 まあ、インターネットのアーカイブより、小林信彦個人の記憶の方がはるかに膨大なんだから仕方ないのかもしれない。
 この小林信彦キュレーションの映画祭は、今度は世界の喜劇人とか、女優とかの特集でまた是非やってほしい。
 新たな活躍を期待しつつ、週刊文春はもう買わないかな。

『地獄の花園』観ました

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地獄の花園

 バカリズムが脚本を書いた『地獄の花園』を観ました。WOWOWのドラマを映画化した『殺意の道程』をなんか、たぶんコロナ禍で、見逃したので、これは観たいと思ってたのだけれど、「何なの?、この映画?」って感じがして『殺意の道程』ほど乗り切れない気がしてたんだけど、星野源オールナイトニッポンを聴いてたら、監督の関和亮が出てて、感じが良かったので気が変わって観にいきたくなった。星野源のMVを撮ってる人ならセンスが信用できるんじゃないかって、そう思えるくらい星野源の存在は、考えてみれば大きくなってるんだね。
 もうほとんど上映が終わりかけてるくらいだけど、これは観てよかった。永野芽郁広瀬アリス菜々緒大島美幸小池栄子なんかが出てる、「OL版の」クローズゼロとか、ビーバップハイスクールとか、その手の古典的「男の子マンガ」のパロディなんだけど、そもそも、男の子の不良モノが限りなくファンタジーに近いじゃないですか?。ファンタジーじゃない場合、たいがい本職になる方達で、そうなるとそれはそれで別のジャンルになるから。
 だから、その舞台を学園じゃなくて一般企業にして、登場人物を学生じゃなくてOLにしても成立するって発想は、さすがバカリズムだと思った。それに、今、「OL」って存在自体がファンタジーになりつつある。というか、女性社員を男性社員と区別して「OL」と呼ぶ感覚自体がまずいんじゃないかって思われる時代だし、そのファンタジー具合は、ケンカに明け暮れてる不良学生とほとんど同価くらいになってるって感覚がするどい。SDGs的とさえ言える。
 だって、マンガみたく、ケンカに強い高校生で、しかも、さっき言ったみたいにプロの道に進まないっていう漫画の主人公みたいのがもしいたとしたら、そういう人って社会に出たら、OLと同じくらいの立ち位置になりません?。
 だから、この映画の設定、案外とすんなり入ってきた。バカリズム自身がチョイ役で出てるんだけど、そういう会社の上司みたいな人には、OL同士の「きったはった」とは、別のチャンネルで対応するのがすごく可笑しかった。それって「ケンカに明け暮れるOL」じゃなくて、普通のテレビドラマのOLでもありうるシーンだからな。それがリアリティに寄与してだれさせない。
 でもホントに、バカリズム自体が、地元じゃそっちだったらしく、芸人になるって時にまずやったのが、筋肉を落とす事だったっていうのは、「にけつ!」にゲストに来た時に話題になってた。
 で、そこまでは、出オチに近い話だと思うんだ。「こんなのOLはいやだ」っていう大喜利のひとつみたいな。だけど、その先の展開が、やっぱりバカリズムってすごい才能なんだと納得させられた。作家のオークラさんがライバル視してるっていう芸人だけのことはある。
 「そんな設定ある?」ってところから始まって、「ありかも」ってくらいにマジで引っ張って、「マジかよ?」ってひねりを加えて、最後にスコッて落とした。
 さっき書いたみたいに「OL」って存在自体がそれはそれで別のファンタジーだから、そっちはそっちで別ジャンルの定型のストーリーが世にあふれてるわけじゃないですか?。
 最初に不良モノってファンタジーをOLの世界に転生させつつ、実は、OLって世界もこんなファンタジーですよねってオチにつなげて見せたのはホントにすごかった。
 同じくバカリズムの『架空OL日記』も未見なんだけど、そっちの経験が生きてるのかもしれない。
 たとえば、東京03がサラリーマンのコントをやってるじゃないですか?。でも、あの人たち全然サラリーマンのことなんか知らないんだよね。だから、「不良」とか「OL」とか「サラリーマン」とかホントに存在してるの?って話は、実は笑い話でもないってこと。
 こないだ書いたけど、難民問題が日本でイマイチ盛り上がらないひとつには、日本人の人権意識が低いってこともあるかもしれないが、難民のイメージの問題なんだろう。その時も書いたけど、あのときのはてなブックマークのコメントに「毎日新聞の社屋に難民を住まわせろや」みたいな。難民はホームレスじゃないから、普通に生活しますから。ただ、困難なことは多々あるに決まってるので、そこは手助けするのが政治が存在する意味だから。それは難民問題だけでなくて、他の問題と同じなんで、国連で名指しされるほど異常な対応を、する役人も、それを支持するはてな民も、そのヒステリックな対応は、その人たちの難民って固定観念にあるんだろうな。それと「日本人えらい」って、日々繰り返される刷り込みもこういうところに無意識にでてくるんだろうな。
 話を元に戻すと、今の女優さんたちは、マンガフリークを自負する広瀬アリスだけでなくて、マンガネイティブの人たちばかりで、菜々緒にしても、あんなスタイルいいモデルさんみたいなのに、コメディエンヌとして達者だわ。『オー!マイ!ボス!恋は別冊で』でも片鱗をみせてたけど。
 敵方のOL役に遠藤憲一勝村政信丸山智己が女装して出てたんだけど、全員女優さんでやってほしいと思ったくらいだった。ありえなさの演出として、あの配役を男性にしたのはすごくうまいと思いつつ女優さんたちが生き生きしてたのでついそう思ってしまった。
 コメディーができる女優さんって昔はなかなかいなかった。いまは、少女マンガの質が上がったのが大きいんだと思う。
 それから、室井滋広瀬アリスのからみが(笑)、あの転調がホントに上手いと思った。

『民主主義という病い』

 小林よしのりの『民主主義という病い』は、下にリンクしたYouTubeで、面白そうだったので読んでみた。現に面白かったのだけれども、下の動画を見ればわかるとおり、論理が混濁している箇所はある。
 小林よしのりが言いたいことはつまり、民主主義と国民国家は表裏一体で、国民国家意識のない国では民主主義は成立しない、という事のようだ。
 だから、戦後、アメリカに押し付けられた憲法のままで民主主義は実現できない、と言いたいみたい。
 現憲法を変えましょうと言いたいなら、どこをどう変えるか言えば、その方が話が早いはずだが、小林よしのりがここでそうしないのは、自分がネトウヨの親玉だと思われてる自覚があるからみたい。
 私はそうは思っていないが、しかし、そう思われても仕方ないとも思う。小林よしのりは、少なくともネトウヨにスタイルを授けた。
 たとえば、今回の民主主義には愛国心が必要だという主張にしても、「だから、民主主義の前に愛国心を育てよう!」という主張にに直結する。そうなればネトウヨよりネトウヨネトウヨでも呆れるトンデモ主張になるだろう。
 また、民主主義が万能ではない、なぜなら、日本を泥沼の戦争に導いたのは、むしろ、大衆だったからだ、と言いつつ、戦前の日本にも大正デモクラシーのような民主主義があったと言ってるのは、何が言いたいのか、戦前の日本人はバカだと言いたいのか、すばらしいと言いたいのか?。
 また、明治維新の混乱期に日本が列強の食い物にならなかったのはナショナリズムがあったからだと言いつつ、その後の軍国主義については「戦略を誤った」の1コマで済ましている。
 日本がまだ封建社会だった徳川時代ナショナリズムがあったので、列強に占領されずに済み、中央集権体制が確立した近代日本では、大衆がバカだったから国が滅んだは、主張として無茶苦茶すぎる。封建主義と中央集権体制のどちらがナショナリズムが強いのか、ナショナリズムを政治利用しているのはどちらなのかはいうまでもない。
 気持ちはわかる。要するに、どうしても戦後民主主義を批判したいために、論理に無理が生じている。わざわざフランスにまで飛んで取材しながら、民主主義が万能じゃないですよ、愛国心が悪ではないですよ、と言おうとしているのだけれども、結果として、ネトウヨ寸前になっている。
 このマンガで小林よしのりが「戦略を誤った」の1コマで済ませている軍部の暴走を、詳しく研究していけば、戦前の日本は素晴らしいですよ、という結論には絶対にならない。
 戦後民主主義を絶対視するのもバカげているけれども、その反発で、戦前の日本はすばらしかったと主張するのも、それ以上にバカげている。
 小林よしのりの本質にはどうしてもケンカしたいという欲求があって、その後ろにネトウヨがまとわりつくのだろう。
 今回のケンカのよりどころである、民主主義には国民国家の成立が必要なんだという主張にしても、そう単純に言い切れないと思う。
 たとえば、香港の場合はどうなるのか?。香港人という意識は、むしろ民主主義者という意識が先にあるように見える。小林よしのりの主張に沿うと香港は中国に率先して合併されるべきだということになる。
 また、イギリスの場合はどうなるのか?。イギリスは民主主義的な国だと思うが、四つの国からなる連邦国家なんで、この場合のナショナリズムとは何を指すのか?。
 民主主義が万能ではないのは全くそのとおりだと思う。が、その戦後民主主義者たちへの批判に加えるに、戦前の日本はすばらしかったんだみたいな事を言おうとするので、論理が破綻する。
 日露戦争直後に夏目漱石が「滅びるね」と言ってたんであって、その当時から、見る人が見れば「ダメだこりゃ」という状況だったんだし、何も戦後民主主義を批判するのに、戦前の日本を褒めそやす必要はない。戦前も戦後もダメダメなのだ。
 特に、世界の五大国と言われた時代からあっという間に国を滅ぼした軍国主義の時代を「戦略を誤った」の一コマで片付けてては、それこそ誤ちを繰り返すだけだろう。
 もしかすると、戦後民主主義者と小林よしのりはデマゴギックという点で互いによく似ていて、それで反発し合うのかもしれない。
 ただ、このマンガ自体は矛盾を抱えながら、民主主義の歴史を振り返った労作に違いなく読む価値はある。ネトウヨの生みの親と思われてるのはそうとう堪えているみたい。否定できない一面はあると思いますけどね。


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『Arc アーク』観ました

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Arc アーク

 『Arc アーク』は、不老不死が技術的に実現された近未来を扱っている。この作品内ではDNAのテロメアの増殖を高度に制御することでその技術が可能になったと説明されている。ショーン・コネリーの『未来惑星ザルドス』の昔に比べると、科学的な説得力が増しているのだけれども、そういうことよりもSFとしての寓話性がどれくらい現代的かというところに注目してみると、1974年の『ザルドス』以上の結論にいたらなかったことに、はぐらかされた思いがした。
 というよりも、後半でまるで『ザルドス』と同じところに落とし込まれたので、そんな古い映画を思い出してしまったというのが正しい。
 前半部分と後半部分がつながっていないと感じる。前半部分はすごくよかった。ざっとあらすじに触れると、芳根京子演ずるリナは17歳で出産した子に愛情を抱けず、わが子を病院に残して失踪してしまう。19歳の時、ダンスのサイファーのようなところで踊っているのを、寺島しのぶ演ずるエマに見初められ、彼女が代表を務めているボディワークスという会社で一緒に働くことになる。その会社は死体の体液を置き換えることで、生前の姿を永遠にとどめるサービスを行なっていた。
 ここまでの描写は素晴らしい。最初の芳根京子のダンスは、わが子に愛情を抱けなかった自分に対する鬱屈が表現されていた。そして、そのダンスに才能を見出したエマ(寺島しのぶ)が、死体をポージングする「儀式」というのか「施術」というのか、映画では正確に説明されていないが、死体につながった無数の糸を彼女が手繰ることで死体の姿を固定するのだけれども、これは、寺島しのぶと死体役の役者さんとのアンサンブルのダンスなのである。これが見事としか言いようがなかった。芳根京子寺島しのぶの後継としてこのダンスを受け継ぐことになる。
 愛おしさを感ぜられず、わが子を捨ててしまったリナ(芳根京子)が、失った誰かを永遠にとどめたいと思う誰かのために舞踏を踊って、そのカリスマになっていく。その矛盾が美しいと思ったし、それがこの映画の魅力だと思えた。
 ところが、寺島しのぶが軸になっていた前半から、不老不死の技術が軸になった後半では、ドラマの質が変わってしまったように思えた。
 このSFが単なる夢物語でないと感じられたのは、17歳で出産したリナがわが子を捨てる、その心理の現代性だったと思っていたので、後半、小林薫風吹ジュンが出てきたあたりからの、ありきたり感に驚いた。17歳で子供を産んで100歳になってるリナだから、ここまで書けばネタバレも何も、後の展開は想像できるはずと思うが、たぶん、あなたの今想像したその通りだ。
 17歳で出産したばかりのわが子に愛おしさを感じられなかったその思いが、SFであれ、コメディーであれ何であれ、その後の展開でどう昇華されていくかがストーリーの骨格であるはずだったと思う。人の死者を思う心に触れ、不老不死を拒む人たちにも出会い、不老不死を人類で初めて経験しながら、そのテーマが全く置き去りにされてる。その結果として小林薫の演技が浮きまくってる。
 「あ、ごめん、知らなかった」じゃないし。
 遡って、前半部分のエマ(寺島しのぶ)のパートで死者としてわが子が現れたらどうだっただろうか。その頃ならリナの子は中学生くらいだったはずだ。死産の子が持ち込まれるシーンはあった。しかし、観客はそこで初めてリナのトラウマを知ることになるだけだから、あのシーンが代償にはならない。
 振り返ってみると、リナを不老不死に導いた天音(岡田将生)との別れの時も、苦悩する彼をリナはドア越しに窺うだけだった。17歳の時からリナの内面は全然進歩していない。
 ダンスという縦糸もどこかに消えてしまう。どうなんだろうと思った。前半部分がすごくよかっただけに、ええっ?て感じだった。
 不老不死なんてゲーテの『ファウスト』の時代から、使い古されている。今回の場合は、「誰も愛せないのに」という条件付きなのが興味深かったし、今日的だと思ったそのテーマが全然展開しなかったのが残念だった。
 石川慶監督は、日本で大学を卒業した後、ポーランドの映画学校に留学していたって人で、今回の撮影監督もその頃からの盟友でピオトル・ニエミイスキという人で、この人の映像感覚に支えられている面も大きいのだろうと思った。
 繰り返しになるが、「愛なき不老不死をどう生きるか」は、人生100年時代と言われている今の日本人にとっては、実はSFがとまで言えない。そういうテーマを冒頭に提示しながら、その掘り下げがあまりにも浅薄だったと思う。

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『牛久』見逃した

 入管問題を扱ったドキュメンタリー映画『牛久』ってのがあったそうだ。気がついたら配信が終わっていて残念。ぜひまた公開してほしい。
 ちなみに毎日新聞の記事に関するはてぶコメントにはがっかりさせられる。日本人の島国根性は、しかし、イギリスだって島国なんだし、日本でも奈良時代鎌倉時代安土桃山時代、明治初期とか、国際的に開かれていた時代もあったので、今の日本人がせせこましいのか。それとも一部の人だけなのか。
 とりあえず「不法滞在」について一言しておくと、その「不法」の部分が入管の匙加減ひとつなのが国会でも問題になっている。しかし、目の前で人権蹂躙を目にしているのに、なんでそんな役人の犬みたいな発言ができるのか不思議でたまらない。さらに言えば、前にも書いたが、日本の入管のあり方は、10年も前から国連で問題視されていて、国際的にいえば入管の方こそ違法の疑いが濃い。
 「入管批判してる奴でも自分の家に住ませないだろう」とか、子供かよ。ただ、サヘル・ローズさんの話だと住ませてくれたおばさんがいたそうだ。そういう話を聞くとホッとする。
 そういう発言の裏には、なんかいまだに日本が先進国だという上から目線があるのだろう。とっくにすべり落ちてるし、これからさらに下降していく気配だし、問題は、この今の難民政策は、その墜落にさらに加速度をつけることになるってこと。日本のブランドイメージという意味からも、外交政策という意味からも、日本の国際的発言力を損なわせる、というより品位が疑われることになるだろう。
 いまの難民に対する態度が、日本の国政的な地位を低下させ、国際的な孤立を招くことを気にもしないほど、今の政権は傲慢だと言えるだろう(国連で名指しされてんのよ)。その傲慢は度を超えている。バカというべきレベルだろう。
 なのに、それを批判するどころか、入管を擁護してるコメントばかりとは。五・一五事件の時に軍部をもてはやした日本人ってこの感じだったんだろうな。
 

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『不寛容論』

「あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである」(「コリント人への第一の手紙」五・一二)」

—『不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)』森本あんり著
https://a.co/fwX2fSE

 森本あんりのこの本を読んだ。アメリカって国はイギリスで迫害された清教徒が新天地を求めて入植したってあたりを起点に語られることが多い。ありがちなことだが、本国での差別を逃れてきた人たちなのに、新天地で中心的な存在になると、そこでの少数派を差別し始める。そんな時に、信仰は強要されるべきでないと主張した人がロジャー・ウィリアムズだった。

イギリス人よ、汝の生まれや血筋を誇るなかれ
汝の兄弟なるインディアンは、汝と同じに善く生まれたのである。
汝と彼を、神はひとつの血筋から造り給うた   
賢明に、美麗に、強靭に、人格として。   
生まれによれば、汝もインディアンも等しく神の怒りの子である   
恵みにより、神が汝と彼の魂をキリストによって贖うまでは。   
汝の回心と再生を確かにせよ。さもなくば、汝は見るであろう   
天国の門が、蛮人インディアンに開かれ、汝に閉ざされるのを。

 ロジャー・ウィリアムズは、こういうことを17世紀に言えた人だった。一時期はインディアンと生活を共にして、後には彼らの言葉の辞書まで出版した。
 ロジャー・ウィリアムズの評価はピルグリム・ファーザーの評価と反比例しているそうだ。メイフラワー号の最初の入植者が神聖化されているときには、ロジャー・ウィリアムズの存在はほとんど忘れられている。一方で、先住民の土地を奪い虐殺した、いわゆるアメリカの原罪にフォーカスが集まるとロジャー・ウィリアムズに注目が集まる。

 愛知のビエンナーレ日本会議電凸で一部の展示を引っ込めた時に、「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルテールの言葉を舛添要一tweetしていた。実際のところ、「表現の自由」についてはそれですべてなのだが、ところが、この舛添要一Tweetが炎上した。
 「表現の自由」もヴォルテールも知ったこっちゃないと人が思えるのは自分たちこそ正義だと思っているからだ。そういう人たちは、他者もまた「自分たちこそ正義だ」と考えているのが想像できないわけではない。おそらく、他者もまた自分と同じようだと思っているからこそ「表現の自由」を認めてはならないと考えている。口で言うほど自分が正義だと信じていないからこそ、政治的な力で他者の正義を抑えつけないと不安になるのだろう。
 宗教心のよわい地域ほど他者に対して不寛容になるそうだ。それは日本の難民政策を見ているとよくわかる。宗教という点で言えば「靖国」のようなエセ宗教を受け入れられる程度に浅薄な日本人のプロファイルとして実に説得力がある。
 欧州では30年戦争の後、ウェストファリア条約で互いの「愚行権」を認め合ったわけだが、日本もまた、仏教伝来の時、鎌倉仏教が弾圧された時、キリスト教が伝来した時、何度となく宗教をめぐる血なまぐさい争いがあった。それを踏まえた上で日本人を自認している人たちは、安直に正義をふりかざすはずがない。
 「寛容」は「正義」とは関係ない。「寛容」が対象とするのは常に「悪」である。「外の人たちは、神が裁く」のだから、キリスト教だけでなく、イスラム教でも、他の宗教を信じる人たちに対して、「寛容」であることが求められてきた。孔子は悪に報いるに善をもってすべきか、悪をもってすべきかと尋ねられた時、むしろ、不義に対するに義をもってせよと答えた。
 「寛容」であるべき時に正義を振りかざしているのは愚かすぎる。「寛容」は「正義の取り扱い説明」だと思えばいいんじゃないかと思う。もし人が「正義」を取り扱うつもりであれば、取り扱いに注意して然るべきだとは思ってもらいたいものだ。