チェーン、スプロケットの交換

チェーンとスプロケットを交換した。チェーンの方はもうだいぶ前からだるだるだったが、スプロケットはまだよかったか知れない。まぁしかし別々に換えるのもなんなので。ついでに東京モーターサイクルショーの前売り券も買っておいた。
今週はまた寒くなるそうだが、それでも少しずつ春めくらしい。バシシさんはロシア〜アフリカの旅をおえてバイクの旅にこだわらなくなったといっていた。私も同感だけれど、春の予感がただようこの季節はちょっとどこかに出かけたくなる。ただ、こちらの土地勘がないので具体的なイメージがわかない。吉田健一の真似をして小田原まで乗り過ごしてみようか。

ヴァギナ 女性器の文化史

ヴァギナ 女性器の文化史

キャサリン・ブラックリッジという女性の書いた『ヴァギナ 女性器の文化史』という本を読み終わった。著者によると、女性器は文化や時代の違いによって、崇められたり貶められたりしてきたという。それだけでなく、解剖学的にも、発見されたり忘れられたりを繰り返しているそうだ。たとえばクリトリス、われわれ一般人がクリトリスと思っているのは、実はクリトリス全体のホンの先っちょにすぎず、全体はほぼペニスと同じ大きさがある。1998年にセンセーションを巻き起こしたニュースだそうだが、実はこれ、17世紀にはすでに発見されていたのに、その後なぜか忘れられ無視されるに至った。現代でも割礼の名の下で赤ん坊のクリトリスが切り取られる習慣がある。未開の土地の話ではない。イギリスでは年に700〜1400人、アメリカでは2000人がクリトリスを切除されているそうだ。
これはクリトリスがペニスの残存物だと思われているせいだが、まったくの誤解で、実は男性にもクリトリスがあるというほうが正しい。ペニスのことではない。このあたりの話はややこしくなるので本書に当たってほしい。
女性器に関しては「科学的」という名の迷信が常識を支配してきたといえそうだ。科学的という言葉が案外あてにならないということは、20世紀を乗り切ったわれわれの共通認識になりつつある気がする。科学的であることは重要なことだと思うが、専門家が科学的だと言ったからといって、それを妄信するのは態度として科学的といえない。(特に日本の学者は、役所に都合がいいことをいう御用学者がほとんどだろう。それが彼らの生活を支えているのだから仕方がない。)
「女性には性欲がない」とか「女性のオーガズムは異常である」などということを、大真面目に語っていた学者の言うことに、いちいち振り回されるのも馬鹿らしい。そういう説を信じたい社会があったということなのである。たとえば今日本では高齢化が問題になっているが、「高齢化」という言葉はごまかしであって、実際には社会的性差別を放置してきたツケにすぎない。が、そうは言ってほしくないのだろう。
ヴァギナの文化史的側面では、ヴァギナディスプレーの話が面白かった。女性がスカートをまくりあげヴァギナを見せることで、嵐をしずめ、悪魔をしりぞけ、猛獣を追い払い、敵を退却させ、穀物の実りを豊かにすることができると信じられてきたそうだ。遠い国の話ではない。日本でもアメノウズメノミコの神話がある。あれがヴァギナディスプレーだ。日本でもあちこちに小便小僧が建っているが、そう思えば、それと同じくらいの数の「ヴァギナディスプレー像」がたっていてもよさそうなものだ。少なくとも各県庁所在地の駅前くらいにはほしい。子供のちんちんなんかより、断然ご利益がありそうだ。
ところで、これを読んでいたのでバシシさんの講演にいけなかったというわけではない。言い訳の必要はないようなものだが、一応断っておく。今日は最終章をやっつけただけ。この一週間くらいかかりきりだった。それもどうかという話だけれど、面白い本だった。クリトリスのほかにも潮吹き、Gスポット、オーガズムについてもなるほどとひざをたたく最新の発見が書かれているので、興味のある方は(ない人いないと思うけど)読んで見られるとよい。
こういう本が女性の医学ジャーナリストによって書かれる事は私はいいことだと思う。ちなみに口絵の写真はなぜか日本とアメリカでだけモノクロに変更されたそうだ。