東北往復

knockeye2011-05-03

 昨日と今日、東北に行ってきた。
 ボランティアとかじゃなく、ほんとに行ってきただけ。
 バイクを受け取ったのが30日、明日からはもう仕事なのだ。もちろん、あとからは、ああすればこうすればと思い浮かぶのだけれど。
 福島県のいわき湯本というところに行った。何故そこなのかというと、そこで日が暮れたから。
 状況次第では、野営できるように装備は調えていたが、着いてみると、拍子抜けするくらい、フツーにガソリンも売っているし、夕飯は吉野家の隣のマクドナルドで食べ、看板に明かりがついている民宿に、飛び込みで部屋がとれた。地図を買いに行った本屋さんも、地元の人がDVDを返しに来たり。
 翌朝(つまり今朝だけれど)、よく晴れた空の下、東北の遅い桜を愛でつつ、少し海の方に走ると、町並みは突如こんな風になる。

 つまり、フツーの暮らしをしている人たちの頭上から、津波というでかい包丁が落ちてきて、その海側の人も街も暮らしも、すべて切り落としてしまったのだ。

 防波堤は、波を防ぐどころか、根もとからもぎ取られ、道を隔てた民家に投げ飛ばされていた。
 その上には炎上した車の残骸が、腹をさらして赤く錆びついていた。
 帰宅後、被災地にボランティアが殺到したというニュースを聞いてびっくりした。
 あのあたりは、むしろひっそりとして、人も少なく、たまに訪れる人も、どこか所在なげだった。
 あのありさまでは、ボランティアがどうこうという段階ではないのかもしれない。
 日程的にすぐに帰らなければならない状況だったが、被災したらしい家の前で、おばあさんと何か話をしている、つなぎの服を着たおじさんに、少し話を聞いてみた。
 そのおうちは漁港の防波堤のおかげか、建物は無事だったそうだが、それでも欄間の高さまで浸水した。いっときは、うちの中のものも散乱していたが、自衛隊やボランティアの人たちがはいって、今はなんとか片付いた状態にはなっていた。といっても、壁ははげ、天井は落ち、畳のない床板の一部をあげて、泥かきをしなければならない状態だ。ただ、それをやったとしても、大工さんたちが仮設住宅に駆り出されているし、資材も手に入るめどがないそうだ。
 今まで、災害なんかがあると、義援金を出すくらいしかしたことがなかったけれど、今度のことで、ボランティアというのは大したものだなと思ったので、今度何かあれば、自分も参加したいと思ったそうだ。
 私は、一時間や二時間の泥かきなら手伝えそうだがと、迷っていたわけだが、おじさんの方は、手伝ってほしいというそぶりさえ見せなかった。
 「ここはまだいい方で、灯台のほうは、町ごと根こそぎになっているので、1200年ぶりという津波のあとを見ていったらいいですよ」
といって、猫車に積んだ土嚢の口を締め直した。
 立派な人だなと思った。被災の当初は知らず、今、立ち直って、立ち向かおうとしている。自衛隊やボランティアの人たちの気持ちを無駄にすまいとしている。えらいと思う。自分にできるかなと思った。
 私が一二時間手伝ったからといって、もしくは、もう一日休みが取れて、一日手伝ったからといって、それがどれほどのことになるわけもない。私の方は全くの自己満足にすぎない。おそまつなものだ。
 帰りは、大泉ジャンクションのあたりから大雨になり、経年劣化したモンベルのパンツが、完全に防水性を失っていて、下着までびしょ濡れになった。
 東北に行くのにいちばん時間をロスするのは東京を抜ける区間だ。地図を改めてみてあきれるのだけれど、東京では、‘環状’といいつつ、環状になっている道が一本もない。これでは渋滞するでしょう、そりゃ。