せっかく朝早く目がさめたので、ボストン美術館展にでかけることにした。すくなくとも開場一時間前くらいには並んでおかないとまずい予感がするのは、あの上野の集客力がやはり図抜けているからなんだろう。
実際、一時間以上前にはせ参じたのだけれど、すでにチケットを持参した人たちの行列ができはじめている。
わたくし、静嘉堂文庫美術館の半券を持参していて、それを提示すれば、100円くらいか割引になるのだが、そんなこといってる場合ではないので、アメ横あたりまで引き返して、入り口付近でケンカしている酔っ払いに遠慮しつつ、サークルKサンクスで当日券を購入。とって返すと、さらに行列が伸びていた。
この日は、午後からはむしろ涼しかったのだけれど、朝は太陽が照りつける中、一時間近く並んで、開場してからは、他にはほぼ目もくれずに、一番奥の曾我蕭白のコーナーへ。こういう見方をすると、とりあえず、見たい絵だけはじっくりと見られる。
千葉で曾我蕭白の展覧会を観て、どうしても観たくなったのはこの絵。
<風仙図屏風>
迫力があるというだけでなく、その迫力が石ノ森章太郎の世界に直結する種類のものであることに気がつかないわけにいかない。
また、今回のポスターにも採用されているこの絵。
<雲龍図>
これだけでも襖8面からなる巨大なものだが、これでも龍の胴の部分が欠損してしまっているそうだ。
だが、この龍の顔をよくみると
「天才バカボン」がシュールになったころの赤塚不二夫のタッチを思わせる。
デフォルメされたイメージの力強さは、西洋のアカデミズムに萎縮した、明治以降の日本画には絶対に観られない。
曾我蕭白が、鬼神斎を名乗った<商山四皓図屏風>もあったが、なんといってもうねる松の表現がすばらしい。
ほかに、山水にも、なぜそんなに打ったのかわからないほど過剰に点があったり。そういえば、千葉で観た山水には、理解できないほど過剰に金泥の線が引かれていた。
内側からあふれ出るものを絵にできた天才だったと思う。それはこうして遺された画業の多くを目にして初めて言えることだ。
帰りに順路を逆行していったが、そのころには、平治物語絵巻には菜種の茎につくアブラムシのように、人がびっしり。特に興味もないので(まで言うとウソだけどしかたない)パス。