「イラク チグリスに浮かぶ平和」

knockeye2015-01-11

 世の中は三連休にちがいないはずだが、私は昨年末からの忙しさがまだ続いていて、昨日も明日もお仕事で、ブログの更新も滞りがち。改装なった後、はじめて訪ねた東京都庭園美術館とか、チューリヒ美術館展とか、まだこのブログに書いてないけど、気がつけばもう一ヶ月も前のこと。
 大丈夫か?って感じだけど、たぶん大丈夫じゃないんだろうな。
 旧朝香宮邸の東京都庭園美術館とは規模が違うものの、こちらも改装して、めでたく再開することになった、横浜シネマリンに「イラク チグリスに浮かぶ平和」という、綿井健陽監督の映画を観にいった。ほんとは昨日なら、監督自らのトークショーがあったので、いろいろと話が聞けたはずなんだけど。
 綿井健陽トークショーでいえば、これも横浜になるんだけど、ジャック&ベティで「3.11」を観たときにも聴いたんだった。あのときは、死体をちゃんと写すべきかどうかについて悩んでいるようだったが。
 「イラク チグリスに浮かぶ平和」は、イラク戦争バグダッド陥落から10年、イラクのある家族、軍にも政府にも関わりのないひとつの家族のクロニクル、と言っていいんだろう。
 フィオナ・タンの映画に出てきたドイツのジャーナリストが、これは、お父さんブッシュのイラク戦争について、「あの戦争には映像が残っていないので、あの戦争はやがてなかったことになるだろう」と云っていたのが印象に残っている。
 私たちのような通りすがりは、どんな戦争であれ、ジャーナリストが残したイメージの断片で再構成しているだけだということは、肝に銘じなくても、心の片隅に留めておいてもいいことだろう。
 たとえば、フセイン銅像が引き倒される、ニュースでよく目にしたシーンがある。ジョージ・W・ブッシュは、あのシーンをテレビで観て狂喜したそうなんだが、綿井健陽のカメラは、フセインの像に星条旗がかぶせられることに抗議して、イラクの国旗を掲げている人たちを写している。
 「たしかにフセインイラクにひどいことをしたし、フセインを倒したのはアメリカやフランスだったかもしれないが、この国旗は私たちの大事な国旗なんだ」
と、正確に思い出せないのだけれど、バグダッドが陥落するというときに、ふつうのイラクの人たちが示した、自然な自尊心には胸が打たれた。
 米軍の誤爆で3人の子を失った人と、綿井は個人的な親交を結ぶことになるのだが、その人の生涯を考えると、バグダッド陥落からの10年は、私たちの戦後70年と重なって見えてくるのだけれど、どうだろうか。
 「ファルージャ」という映画を観たときにも、そこに登場するイラク人の人たちがカメラに向かって、「これがアメリカの民主主義か?」と言うシーンがある。この映画でも、その同じ台詞を何度も耳にする。その問いについて、私がもし答えるとするならば、まずこう言うしかないだろう。
 私たちも、その「アメリカの民主主義」のもとでこの70年を過ごしてきた、その経験からいえば、「それがアメリカの民主主義だ」と、たしかに言っていいでしょう。彼らは、私たちの頭上に原爆を落とした。それについて、私たちは憎むこともできるし、恨むこともできる。テロで復讐する選択肢もあるし、完膚無きまでの正論で国際社会に抗議することもできる。
 しかし、私たちはそのどれもしなかった。「これがアメリカの民主主義か」と抗議することすらしなかった。なぜなら私たちは負けたのであって、アメリカの民主主義があれかこれかよりも、立ち直るために、生き残るために、状況を受け入れ、それに対処しなければならなかった。それだけです。
 あなたたちは「これがアメリカの民主主義か」と問う。だが、私は思う。「問うまでもないじゃないか」と。「目の前にそれがある以上、それ以外にアメリカの民主主義なんてあるはずないじゃないか」と。それがアメリカの民主主義で、ひどくまずいかしれないけど、これからはそれを食って生きていくしかない。それ以外に食い物がないんだから。
 私たちも戦後70年、それを食って生きてきた。別にそれが理想だと思ったわけではない。戦後民主主義を‘金科玉条’と奉る‘リベラル’を名乗る変な奴らと、戦前の日本は‘美しい国’だったというバカな奴らの中間に、ふつうの日本人はいると、私は思っている。
 綿井健陽が、偶然のように写し取った、イラクのふつうの人たちのこの10年の営みに、わたしは日本のふつうの人たちがたどった運命を重ねてみざるえない。ただ、残念なのは、歴史のごく早い段階で、マルチカルチュラルな試練を経てきた日本(除夜の鐘を耳に聞きながら初詣にでかける、それが私たちの文化)と違い、イラクの場合は、シーア派スンニ派の抗争を克服するのがむずかしいかのように見える。
 アメリカの民主主義と私たちの戦後民主主義がまるで違うように、イラクの人たちも、与えられたその民主主義という変なおもちゃをどうにか工夫して、何とか暮らせる国を作っていってほしいと思う。結局、私たちの戦後民主主義より、もっとよいモノが作れるかもしれないのだし。少なくともつかの間の平和がチグリスに浮かんでいるのだし。