「おみおくりの作法」

knockeye2015-02-02

 うっかりしていたけど、昨日は1日で日曜日。映画が1100円で観られるので、なぜか映画館が混む。私が思うには、映画なんて、ふつうに観ても1800円。その700円がそんなに惜しいっていう世の中でもないと思うんだ。でも、1日と休日が重なると、映画館は必ず混む。これは、縁日とかお祭りの感覚だと思うんだ。ベビーカステラとか、あんなのコンビニで売ってても誰も買わないのを、縁日だと500円以上もするのを惜しげもなく買って、しかも、なんか旨い気さえしてしまう。1日に映画館が混むのはそんな感じに似てると思う。
 なぜか久しぶりになってしまったが、横浜のジャック&ベティに「おみおくりの作法」っていうイギリス映画を観にいった。これがどういうわけかシネスイッチ銀座とジャック&ベティでしかやってないんだ、いまのところ。順次公開されるようだけど。
 10:00の回を観て、それから、汐留のパナソニックミュージアムでジュール・パスキンを観て、青山のワタリウム美術館奈良美智石川直樹の写真展を観る予定にしていた。わたしはサハリンをちょっとだけバイクで走ったことがあるので、なつかしいっていう気持ちもあるわけ。もう前世紀の話だけど。
 冬晴れの気持ちよい朝だし、早く出掛けた。でも、10:00っていうことは、開館直後ということだから、早く着きすぎても中にも入れないんだし、というわけで、京急横浜駅ホームにあるタリーズで、ボールパークドッグのオニオングラタンとソイラテで時間調整した。これが間違いだった。びっくりしたわ。真冬の朝に長蛇の列だよ。隣の風俗の行列であってくれという願いもむなしく。
 階段の下にたどりついたあたりで、「『おみおくりの作法』10:00の回は補助席まですべて売り切れました」っていうわけよ、梶原さんが。わたしとしては、今週これを観ないとおさまらないので、いずれにせよ観るのだけれど、ただ、困ったのは、14:50と18:05の回どちらにしようかということで、パスキンだけならマチネーで間に合うと思うけど、ワタリウムを回ったら、ちょっと厳しいと思ったので、ソワレにしました。お日様をあてにして少し薄着だったので寒いかなとも思ったけれど。
 結局、オペラシティアートギャラリーのスイスデザインまで足を伸ばして余裕こいてたら、山手線の内回りと外回り間違えて、ぎりぎりで駆け込むことになったんだけど、驚いたことに、18:05の回も満席。私は補助席でした。
 パスキンを見終わった頃に、後藤健二さん殺害のニュースを知った。残念だけれど、はじめから殺すつもりだったろうと思う。
 高遠菜穂子さんたちが誘拐されたのは10年前だった。高遠さんは、著書でも映画でも、自分たちを誘拐したのは、ふつうの人たちだったと証言している。アメリカの攻撃で理不尽に家族や職を奪われて、憎しみに駆られたふつうの人たちだったと。
 だからこそ、人質である高遠さんと誘拐犯との間にコミュニケーションが可能だったのだし、そして、部族の長を通じての説得も効力があった。
 しかし、それから十年を経た後藤さんのケースは、それとはまったく違うと気づかずにおれない。
 ひとつには、おそらくアメリカへの憎しみは、もはや熱い‘感情’ではなく、冷たい‘理念’になっている。つまり、個人的ではなく普遍的になっているので、無関係な後藤さんを殺すことを躊躇させる何ものもない。
 もうひとつには、おそらく行動のシステム化が進んでいる。行動がそもそもの動機から切り離されている。したがって、殺害に罪悪感がない。
 また、おそらくはこの10年間で、イラクに元々あった伝統的社会の崩壊が進んでいるとすれば、彼らの行動を押しとどめる社会規範の感覚も失われて、それに取って代わっているのは、おそらく先に挙げた反西欧主義の‘理念’しかないはずである。
 秩序が崩壊にさらされた10年間は、ふつうの人たちをイデオロギーを背景にシステム化していくに充分な時間だったと思う。その間、正義の回復に責任を持つ主体が存在しなかったことは、イラクにとってだけでなく、世界全体にとって不幸だったが、今現在も必要なことは、正義の回復に責任を持つ主体の存在だろう。つまり、イラク国民はイラクという国をどうしたいのか。フセイン政権をたおして喜んでいたのは事実のはずだが、イスラム教徒は、その後も、シーア派スンニ派で殺し合いが続く状況になすすべもないのか。この状況の打開策としてイスラム国のような国際正義に反する集団しか生み出せないのだとしたら、イラクは国としてさらなる崩壊へと進むだけだろう。
 話を戻すけれど、TOHOシネマズだと1100円だけれど、ジャック&ベティは消費税増税後も1000円なんだね。この心意気も、映画観にいこっかという気分を後押ししているのだろう。
 「おみおくりの作法」は、孤独死したひとたちの葬儀その他をおこなう地方公務員のお話なんだけど、この主演がエディ・マーサンという、私が覚えているのは、「フィルス」というジェームズ・マカヴォイ主演の変な映画でいい味出していた役者さんなんだけど、このキャスティングでもう半分勝ったようなもの。
 しかし、シナリオも演出も見事だった。過剰にならず、最後に親の総取りみたいにかっさらっていった感じ。
 ベースになったのは実話で、ウベルト・パゾリーニ監督は、ロンドン市内の民生係に同行し、実在の人物、出来事について綿密な取材を重ねたそう。そういのがやっぱり作品の厚みを増すんですよ。
 孤独死した人をとむらう主人公が、彼自身も一人暮らしで、すでに自分の墓所を買っている、そういうキャラクター造型がなによりすばらしいんだけど、それを単なるハッピーエンドにもっていかず、もう一ひねりひねった、ともいえるし、テーマを貫いたとも言えるエンディングが、全体を締めてる。
 魅力的な主旋律をさまざまに転調させながら、最後に美しい響きを残したっていう感じ。これは絶対おすすめなんだけど、とにかく上映館が少ないのはどうしたこと?。