大晦日も映画2本。「クリード」と「完全なるチェックメイト」。
「クリード」は、「ロッキー」の外伝というべき映画で、「ロッキー4」で死んだ、アポロ・クリードの息子が、ロッキー・バルボアのもとに押しかけてプロボクサーをめざす物語。シルベスター・スタローンは、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされている。
監督・脚本のライアン・クーグラーは、「フルートベール駅で」という、警察官に射殺された黒人青年の1日を描いた映画でも、脚本を書きおろし自ら監督もしている。
「フルートベール駅で」は、評判になったが、伝え聞くところによると、彼が「クリード」の脚本を、シルベスター・スタローンのもとに持ち込んだのは、「フルートベール駅で」より早かったそうで、だとすると、着想はほぼ同時期に育まれたかもしれない。
アポロの隠し子が未亡人に引き取られ、長じて亡父の背中を追う、この設定は、一方で「貴種流離譚」であり、他方では、リインカーネーションというか、復活の物語でもある。この映画のラストが「あ、夢か」ってなっても、怒らないかもしれないくらい、理想的な成功譚である。
これは多分、黒人の富裕層(までいかなくても、生活に不自由しない黒人の人たち)が、「こういう風に生きられたらな」とか、「こんな風に生きてるヤツがどこかにいないかな」とか、そんな風に思う映画じゃないんだろうか。
マイケル・B・ジョーダンが、ともに主役を演じていることもあって、「フルートベール駅で」とこの映画は、合わせ鏡のようにも見える。
個人的な思いとしては、アメリカ人はとっくに黒人差別を克服したと思っていた。多分、一面では、それも間違いではないのだろう。ただ、警察官が、黒人と見るや、発砲するという今の状況は、ショッキングでもあるし、何がその背後にあるのか、外国人には理解しがたい。
EUの人たちが、ISISのテロに怯えるように、アメリカでは、アフロアメリカンというだけで警察官に怯えなければならないとしたら、とてもまともな社会とは思えない。
「完全なるチェックメイト」は、これは、けっこう、有名な実話なので、たとえば、「FOUJITA」と同じように「どう描くか」だけなのだが、この並外れた神童の数奇な運命を、トビー・マクガイアが、英国的な(?)性格悲劇として演じている。トビー・マクガイアは、製作も兼ねており、映画の方向性はしっかりしていて、歩調の乱れは感じさせない。
ソ連のチェス王者、ボリス・スパスキーと、ボビー・フィッシャーの対局は、米ソ冷戦の比喩ではあるだろう。しかし、米ソ冷戦が、チェスの対局のように、知的であったと回想されるとすれば、結局、私たちが今、ISISのテロに対して、なす術もなく立ち竦んでいることの、良い証拠であるのかもしれない。
以前に紹介したとおり、フランクリン・ルーズベルトは、太平洋戦争当時、日本人を「頭蓋骨の未発達な」野蛮人だと、口にすることを憚らなかった。
何が、日本軍の蛮行を産み落としたかは、100年近く経った今も、当の私たち日本人でさえ、決着をつけられずにいるが、一旦、産み落とされた蛮行を止めるのに、原爆がふたつ必要だったことは事実である。
早くも、第三次世界大戦という言葉も耳にする、近頃の中東情勢だが、これがどんな形で終了するのか、今はまだ、誰も先を読み切れないでいるだろう。