シアスター・ゲイツ展と同じ六本木ヒルズでポール・マッカートニーの写真展。
「2020年、ポール・マッカートニーが35mm フィルムのカメラで撮影した1,000枚にもおよぶ大量の写真が、ボール個人のアーカイブから再発見された。
これらは、ビートルズが進化を遂げる重要な時期にグループの一員として過ごしたポールの個人的な記録である。ボールはレンズを通して、ビートルズの過密なツアーを都市ごとに記録している。それは、1963年後半のリバプールとロンドンから始まり、1964年2月のパリ、そしてアメリカでのツアーまでの様子を写している。」
こないだのインドの写真もそうだけど、最近、こういう発見が多いですね。この世代の人たちが終活に入っているような気もして、物悲しくもあります。
ポール・マッカートニーの撮った写真なので、彼の彼女の写真も。
ポール・マッカートニーって天才であるだけでなく、自己肯定感の権化のような人だと思うな。
ジョン・レノンも天才だけど、このあっけらかんさがない。というか、影がある。
これは私がブレてるんじゃなく、ポールがブレてるんです。昔は手ぶれ補正なんてないですから。
調べたら、英国で同性愛が合法化されたのは1967年だそうなので、内心に悩みはあったかも。昔は自殺と言われていたけど、今は、薬の誤用にすぎなかったと言われてるみたい。
いずれにせよ、この人を失って、代わりにアラン・クレインって詐欺師に食い込まれたのがビートルズの早すぎる解散の一因だったのは間違いなく思われます。
こちらも5人目のビートルズと言われているジョージ・マーティンと後に夫人となるジュディ・ロックハート=スミス。
こういう幸せがブライアン・エプスタインにあればと思わされますが。
の美男子ぶりとポール・マッカートニーの可愛さは、子供の頃からわかってたけど、
のセックスアピールは大人にならないと気が付かない。と言うか、女でないとわからない男臭さがあるんじゃないかと。オノ・ヨーコは一目見た瞬間に「ワオ!」と思ったそうです。
な感じはまさに映画「ハードデイズナイト」そのまま。
「この2年前にポール・マッカートニーはジョン・レノンとパリを訪れていた。
そのときは、ミュージシャン志望のヒッチハイカーとしてパリに到着し、フランスのロック・スター、ジョニー・アリディのコンサートを鑑賞した。
1964年までに彼らはスターになっていたが、それでもポールが撮ったパリの通りやランドマークの写真からは、一観光客としてこの街の光景を楽しんでいることが伝わってくる。写真の多くは運転手のビル・コルベットがロンドンから運転してきたオースティン・プリンセスの車窓から撮影されている。
パリ滞在中、彼らはプロによる写真撮影やグループの彫像製作のためにボーズをとり撮影している。
彼らの初の主演映画『ア・ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!)』製作に向け、監のリチャード・レスターと脚本家のアラン・オーウェンは、パリのザ・ビートルズを取材するために招待され、ジョルジュサンク・ホテルで彼らと隣接する部屋に滞在していた。そこで、ザ・ビートルズのメンバーたちがこの経験を前向きに捉えているようすを観察したのだ。「私たちが取材していくうちに、映画は自然と書き上がっていった」とレスターは回想する。」
メジャーデビュー突然にビートルズのドラマーが、ピート・ベストから
に変わったについてはいろいろ勘繰ったし、今度それについての映画も公開されるらしいが、リンゴのドラムの素晴らしさを理解するにつけ、つまりはメジャーデビューにあたって、ドラムのテコ入れが必要だったんだという面白くない結論に辿りつく。
いろいろ勘繰ったのは、当時のイギリスの音楽界を舐めてる気持ちがどこかにあるからで、ここでリンゴ・スターをドラムに据えたのは、誰か知らないけど炯眼というしかない。