その土曜日、7時58分

knockeye2008-11-24

「その土曜日、7時58分」原題の
「Before the Devil Knows You're Dead」は、脚本家のケリー・マスターソンが、アイルランドに伝わる乾杯の音頭「天国にたどりつくまで悪魔に気づかれませんように」からとったそうだ。
セルピコ」の巨匠、シドニー・ルメット監督。一貫してNYに拠点をおいている。現在84歳だそうだ。
脚本について
「すぐに魅了された。質のよいメロドラマほど最高のものはないからね。」

インタビュアーに「メロドラマとドラマの違いを教えてください」と問われてこう答えている。
「ドラマでは、ストーリーは登場人物たちから派生しなければならない。彼はこうい人物だから、必然的にこういう結果になる、とね。メロドラマの場合はその正反対なんだ。ストーリーの要求に登場人物たちが合わせなければならない。ストーリーを正当化するものを提供する存在なんだ。」
(略)
「一体どういう人間だったらこんなことをするんだろう、と自問し続けた。まず、どういう人物かを自分の頭の中で作り出し、次にそれを実際にやってくれる役者を起用するんだ、大仕事だよ。」
そうして選ばれた役者は、兄アンディにフィリップ・シーモア・ホフマン、弟ハンクにイーサン・ホーク
フィリップ・シーモア・ホフマンは、製作総指揮そして主演した「カポーティ」で、アカデミー主演男優賞を受賞。ルメットも「現在のアメリカで最高の俳優の一人」と評している。
後半のあるシーンで、かなり感情移入していたのだろう、私は思わずため息をついてしまった、やりきれなくて。
この映画の家族について、フィリップ・シーモア・ホフマンはこう言っている。
「ハンソン一家はバラバラだ。バラバラだからこそ、兄弟はこの犯罪がうまくいくと思う。『両親はどうせ何とも思わないさ。保険が下りるから気にしないだろう。誰も傷つくわけじゃないし何てことないさ。奴らとはもう長いこと親子関係なんてないんだから』ってね。でもこの事件のせいで、一家は顔をつき合せることになるんだ。積年の恨みや痛みが飛び交う。それがこの作品の面白いところだよ。最後にこの映画が描いていることがすべて明らかになるが、それはすさまじいまでの怒りや恨み、そして、報われない愛なんだ。」
家族の誰からも愛されない兄と、誰からも愛される弟、おそらく兄でさえこの弟を愛しているだろう。だけど、彼が愛されるのは、安心して愛せるからにすぎない。彼自身の結婚生活は破綻している。
兄の妻、ジーナを演じたマリサ・トメイはこの夫婦についてこう言っている。
「夫のアンディはたくさんの傷を抱えているの。でもジーナは自分の痛みを感じるのに精一杯で、彼の痛みを分かってあげていない。あまり頭のいい人ではないから、自分自身の恐怖や不安や被害者意識でいっぱいなの(笑)。彼らは長年一緒にいて、どうすれば相手が怒るか、どうすれば安らぐか、お互いのことを知り尽くしている。そういう人たちの持つ親密さはあるけれど、ふたりの関係には成長がまったくないの。みずみずしさがない。親密な関係にあった時も、必要性や利便性ゆえのものだったと思う。「自分にはこういうものがふさわしい」「この人は自分を助けてくれる」「この人は、こういう姿であるべきだ」ってね。彼らは人生に置いてけぼりにされたの。」
ジーナが兄弟の存在に奥行きを与えている。事件には一切関係がないのだけれど、この人がいないと薄っぺらな絵空事に見えてしまったろうと思う。
と、ここまではほとんどパンフレットの丸写しみたいだし、またインタビューに対する役者の答えがなかなかよいのだ。
で、この先は私の全く個人的な感懐を述べる。映画鑑賞の妨げになるかもしれない。観る予定の人は読まないことをお勧めする。変なことをいうのだ。
私は兄アンディが、世界を敵に回して銃を乱射している、アメリカという国そのものに見えてしまった。
タフでマッチョを自認しているが、内心は愛を獲られない疎外感で泣きかけている。そして不安を麻薬で紛らしている。
私にはアンディの溺れるあの麻薬が実はアメリカ人にとっての映画とかアニメやゲームに思えてしまった。高級客のみを相手にしている羽振りのいいヤクの売人がどういうわけか東洋人なのである。(しかも、バスローブ代わりにいつも着物を羽織ってた。)
そして、アンディとハンクの兄弟関係は日米関係である。あのハンクの後姿。
アンディが不正経理で窮地に陥っている状況なんてドンピシャのカリカチュアだ。しかし、こういう見方をしていくとコメディになってしまってよろしくない。しかし、そう見えちゃったのである。
映画評論家の渡辺祥子カインとアベルを感じさせるといっているが、すると父チャールズはエホバということになる。でも、エホバはカインを追放したけれど殺しはしなかった。
「神よなぜあなたは私を見捨てたか」といったのはキリストと、そしておそらくは21世紀の十字軍将軍ジョージ・W・ブッシュだろう。
キリストが最後につぶやいたのはやっぱりただの泣き言で、それ以上でもそれ以下でもなかったんだなと、妙に納得してしまった。